ハノイの歴史博物館へ行ってきた。

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こんばんわ!つばさです。
今日はめちゃくちゃ濃い1日でした!!
かなりハノイを満喫してます♪

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今日は朝からカンさんと青空美容室♪(って言ってもバリカンで刈るだけですがw)
朝準備が完了したらカンさんが僕らの部屋に来てくれて、『はい!これプレゼント!』とレザーで作ったアクセサリーをくれました♪

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可愛いアクセサリーでめっちゃ嬉しくてすぐにいつも使っているカバンに装着♪
カンさん本当にありがとうございます!!

そして、ホテルの前で青空美容室♪

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まずは、カンさんが僕の頭を刈り上げます!

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完成ドン!!

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次は僕がカンさんの頭を刈り上げます♪

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完成ドーーン!!

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ちょっと刈り上げただけなので2人で10分くらいで終わったんですが、観光客に写真を撮られたり♪道行く人がこっちをチラチラ見てたり♪路上で何かをするの良いなぁ〜とか思いました。

それから、カンさんと一旦別れて僕らの今日の目的【ベトナム歴史博物館】へ!!
博物館へ向かう途中で小腹が空いたのでバインミーを食べました♪

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ホアンキエム湖が途中にあるので、そこでも撮影♪

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すると、目の見えない人が笛を吹いてました。

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博物館に行く道中もかなり楽しんで♪

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本屋さんにコナンの漫画が♪日本の漫画文化の凄さを改めて実感。
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博物館の裏にあるオペラハウス10/10が建国60年の記念日なので祭りを開催するみたい。
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博物館に到着!!が、13:30まで閉まっているのでちょっと待機。

おじちゃんが博物館の時間を教えてくれました。(8:00〜12:00と13:30〜16:00)
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博物館のチケットを購入して、入場♪

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ちなみに、博物館のチケットを買うと歴史博物館と革命博物館のチケットがセットになっています。(1人4万ドン(200円くらい))
歴史博物館は1945年の大東亜戦争終了までの資料が置かれていて、歴史博物館は大東亜戦争から現代までの資料が置かれています。なので、2つの博物館に行くとベトナムの歴史がわかるようになっています。

この2つの博物館には非常に多くの資料が展示されていて、ベトナムの歴史を学ぶ最良の機会になるので、オススメです。

入ってすぐのフロアには古代のベトナムの資料が置かれていました♪

進化論を現す展示物
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多くの展示物の説明文が、英語とベトナム語で書かれていたので、よくわからないと思っていたところに、日本語が聞こえてきて、宮城からベトナムに旅行に来ていて、日本語ガイドを付けていたので、その話を聞きながら進んでいきました♪
めっちゃラッキー♪

ガイドさんが、『ベトナムは中国と2000年間戦争をしてきた』と言っていて。
その時の資料を指差していた。

元がベトナムに攻め込んできた時はこの経路を通った
s元

陸路だと多くの山があって危険だから海路を通って攻め込んできたようです。この時ベトナム人は潮の満ち引きを利用して元軍と闘い勝利を収めたようです♪

ハロン湾で元軍と戦うベトナム人
sハロン湾元

この頃からゲリラ戦を行って戦っていたようで、ベトナム人の戦闘スタイルはこの勝利が成功体験となって生み出されたのかと感じました。

そして、リー王朝時代には明軍と闘い。

リー王朝が継続された期間
sリー王朝続く

明軍が攻め込んできたルート
s明

明軍との闘いの写真
sVS明

リー王朝の時代になって物々交換から紙幣を使うようになったようです。
昔は硬貨を使っていたが、今のベトナムは紙幣のみになっていて、理由は重いかららしいですw

sりー王朝お金

リー王朝の時の首都はハノイで、かなり長い時間ハノイがベトナムの首都だったようです。

リー王朝の後に、とても学問を大切にしている王朝が生まれて、この時に一昨日行った文廟が出来たようです。
s学問を大切にした王朝

文廟にもあったんですが、この写真の鶴と亀には意味があるみたいで、『鶴は千年、亀は万年』という言葉から国を永久に繁栄させていく人材になって欲しいという想いが込められているようです。
この鶴と亀の像は多くの学校に置かれていたようです。

s鶴は1000年

その後1800年代にハノイからフエへ首都を変更して、新しい王朝が生まれます。
が、時代が進み大航海時代に入り、フランスがベトナムを植民地化するようになりました。
フランスはベトナムの王族を変えることなく、裏で支配するという仕組みでベトナムを植民地化していたようです。(イギリスが香港を支配していた時のよう)

フランスが植民地化していた時の王朝
sフランス占領

1800年代の時点でベトナムは下記写真のような武器を持っていて、この当時、江戸時代だった日本がもしベトナムと戦っていたら負けていたんだろうな〜と感じました。
s1800年代に使ってた武器

ベトナムがフランスに支配されてから紙幣にも変化がでてきて、紙幣の肖像が西洋人に変わってました。
s紙幣も西洋か

ここからベトナムに革命を起こしたホーチミンが登場します。

1920年にホーチミンはフランスやロシアに行って革命学を学んでいます。フランスよりもロシアの方側の革命学に傾倒し、共産党よりの考え方を得てきました。
ホーチミンは凄く頭が良くて、8カ国語を話せたようです。
そんなホーチミンが1930年ロシアから香港を経由してベトナムに帰って来て、ベトナムの独立運動を開始しました。

1930年から始まったホーチミンの革命運動
sホーチミン革命

多くの若者を煽動して精力的に活動を行ったようです。そして、1945年9月2日に独立宣言を行いました。

s独立

s独立宣言9・2

大東亜戦争(第二次世界大戦)が終了してすぐにベトナムは独立宣言を行いました。大東亜戦争中の日本に関して書かれていたことは、日本が戦っているこのチャンスにフランスを倒そう!!ということだけでした。
大東亜戦争を通じてアジアのいろんな国を侵略したと日本では教えられているのに、そんなことがこの博物館では一切書かれていなかったのに驚きました。

ホーチミンを中心とした革命軍の写真
sホーチミン達

独立宣言後も1954年にパリで行われたジュネーブ協定が結ばれるまでベトナムはフランスと戦い続けました。

ジュネーブ協定写真
s1954ジュネーブ協定

反フランスの教育を行っている様子
s反フランス教育

フランスの要塞をゲリラ攻撃している様子
sフランスの要塞陥落→ジュネーブ

しかし、ジュネーブ協定で決められたことは北緯17度線でベトナムを南北に分割することで、ホーチミンがいる北ベトナムがベトナム民主主義共和国。南ベトナムはベトナム共和国となりました。

1954年の2年後南北のベトナムを統一する動きをおこすが、南ベトナムが反対し達成ならず。
北ベトナムは共産党の流れがあるので、(ホーチミンがその勉強を行ったから)ロシアと中国が味方をしていて、この時冷戦中だったので、アメリカが、『共産党の国を増やさない!』『ロシアとの代理戦争』の考えの下、南ベトナムを支援し始めました。

ロシアと中国がベトナム民主主義共和国の存在を認めた文書
s中国とロシアが北ベトナムを認めた

北ベトナムの様子(ホーチミンが演説を行っている)
s北はホーチミン

南ベトナムの様子(アメリカ人が壇上にいる)
s南はアメリカ

美術館の中では道を挟んで南北の情報がわかれていた
s北と南に別れてる

南ベトナムをアメリカが支援することに反対するカンボジアや日本が非難の文章を書いている写真が展示されていました。

カンボジア人がアメリカ反対を掲げている
sカンボジアでもアメリカに反対

日本からベトナムへ送られた旗
s日本人からのメッセージ

この頃の日本は大東亜戦争で負けて、戦後20年くらいの時期で、ベトナムに送った旗にはこう書かれてある。
『南ベトナム人民の愛国正義の解放闘争を支持!共同の敵アメリカ帝国主義と戦う日本・ベトナム両国人民の戦闘的連帯万歳!』
一部の日本人が送ったものかもしれないが、日本が戦後アメリカをどう見ていたかはっきとわかる資料だと思う。

ベトナム国内でも国民の声が上がってきて、南ベトナム政府に反対して武力解放運動が始まった。北ベトナムはこの運動を支援する。

解放軍の写真
s南ベトナム内での解放運動

解放軍の活動が活発化したこと、トンキン湾でアメリカの軍艦が北ベトナムから攻撃を受けたこと(事実かは不明)を期に1965年からアメリカ軍による空爆を開始

アメリカ軍の空爆による被害の写真
s被害アメリカ

死んでいるベトナム人の近くで笑っているアメリカ軍兵士
s笑うアメリカ人

この空爆の時に、カンボジア人のゲリラ戦線に苦戦していたアメリカは枯れ葉剤を散布し始め、その影響で奇形児など後に広がる大きな影響を生んだ。

強力なベトナム軍と周りの国からアメリカへの非難のいよって1969年にからアメリカ軍は撤退を始め、1973年にパリで和平協定が結ばれ完全撤退する。

パリで結ばれた和平協定の写真
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1973年にアメリカが撤退した後も、ベトナム国内では争いが続いていて、1975年に一斉攻撃を仕掛けてベトナム戦争が終結。

撤退していくアメリカ軍
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現在のベトナム国家が誕生
s現在のベトナム誕生

1969年にホーチミンは亡くなってしまったので、革命後の平和な世の中を見ることが出来なかった。
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その後のベトナムは南部と北部の文化の違いから大きな飢饉に見舞われたり、ポルポト政権下のカンボジアに侵攻(1978年)によって国際的に孤立するが、『ドイ(変える)モイ(新しい)』という経済政策を樹立し1990年以降に経済発展を遂げた。
1995年にアメリカとの国交も正常化しASEANに加入。
過去の戦争の歴史をしっかり表現する文化を形成して、過去の社会体制を批判し新しいあり方を考える等、過去から学ぶ姿勢を作り上げ、現在に至る。

今回ベトナムの歴史博物館に行って、ベトナムから日本がどのように見られているのか、戦後の日本がアメリカをどう見ていたのか、また、アメリカやフランスなどベトナムに干渉した国がどのような影響を与えたのかを理解することができた。
多くの国が現在の立ち位置にあるのは、それまでの歴史の積み重ねによって作られていて。国家間の交流もこの歴史的事実から形成されているので、ベトナムから見た歴史を見ることができたのが嬉しいし楽しかった。

博物館に行ったあとに、飲んでいると以前一緒に飲んだベトナム人のトゥアンさんと再会。
トゥアンさんの友達も途中参加でいろんな話をした中で、トゥアンさんのお母さんが警察官でアメリカの軍人と一緒に写真を撮っていた話を聞いたり。
トゥアンさんの友達が『阿部(内閣総理大臣)大好き』とか『日本とアメリカとベトナムとフィリピンは仲間!中国は敵!』って言ってたのを聞いて、現地の人と仲良くなることでもっともっと多くのことを知れるなと思った。
(詳しい記事はあゆみが書きます)

世界を回りながら歴史を学んでいくことが、めっちゃ楽しいと思った体験でした♪

本日もご愛読ありがとうございました。
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