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フィリピン留学中にボランティアのプログラムに参加しました!

ハロー!つばさです!
このブログ完全にアップするの忘れてたので、今アップします。
めっちゃ前の記事。

今回はCELLAに在学中に参加したボランティアのプログラムについて書きます。

CELLAでは実力テストの日の午後にボランティアのプログラムを組んでて(不定期)、たまたま僕が在学中に参加する機会があったので、参加してきました。

ボランティアではフィリピンの公立学校に行ってきました。

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留学3週目金曜日の実力テストが終わったあと、昼ごはんを食べて、僕らはバスに向かいました。
今回40名ほど参加する予定のボランティアのプログラムに参加するためです。
実はこのプログラムに参加する際の昼食で、ある韓国人の学生が、慰安婦問題について話をしたいと僕に言ってきたので、このテーマについて後日話したんですが、その話はまた別の記事で。

ボランティアの活動を行う学校へ行くためにチャーターしたバス
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1時間ほどで学校に到着。
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学校の門はかなり厳重で、門番がいました。
このスタイルがアジアの学校。

中に入ると、子供たちがめっちゃ遊んでました。
あと、めっちゃいろんな子が好奇の目で僕らを見てました。
今回のプログラムでは、僕たちが参加費として払ったお金で子供達にご飯を配る予定だったので、めっちゃ子供たちが嬉しそうだった。

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早く物が欲しい学生たち。
後で知りましたが、このイベントの最後に学校で優秀な成績を残した子たちにプレゼントを買ってて、下の写真に集まってるのは全員優秀な成績を残した生徒のようでした。

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いよいよイベントが始まります。
まずはうちの先生たちが盛り上げます。

司会を任された先生
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歌を披露する先生
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むっちゃ歌上手かったし、歌に合わせてみんなが歌う姿を見て先生が泣いてました。
なんか感動的なシーンでした。

次は先生たちがダンスを披露!
授業後に毎日屋上で練習してたダンスをお披露目です。

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このイベントは真ん中にCELLAの生徒が座ってて、周りを学校の子供たちが覆う感じで座ってました。

できれば、バラバラで交流しながら演目を見たかったけど、後でうちの学校の先生にその話をしたら、公立学校の先生が分けることを希望したらしい。
問題を起こしたくなかったんだと思う。あと、これも後日談だけど、あるCELLAの学生がめっちゃセクシーなダンスをしてた子がいいと思って、連絡先の交換に行って、CELLAの先生がそれを止めるってこともあったらしい。

ボランティアをしに行ってるのに何してるんだか・・・って感じでした。

周りで応援してる可愛い応援団
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その後もいろんな出し物が続きます。

公立学校の歌姫。ほんま歌声すごかった。
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うちの先生たちと学校の生徒のダンス
青いバンダナの子のダンスがダイナミックで惹きつけられました
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CELLAの学生たちも参加してゲーム
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ここまでの所見は、ボランティアっていうより物資を持ってきた人とそれをもらうためにもてなす人達って感じがして、あんまボランティアに来た感がありませんでした。

その後は、今日頑張った子にご飯をプレゼントと題してご飯を配るイベントが開始されました。

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ご飯をもらおうと列になる子どもたち
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ご飯をもらってテンションが上がる子どもたち
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フィリピン人の女の子に大人気のルームメートのテッド(写真真ん中の黒い帽子)
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この後もめっちゃツーショット写真せがまれてて、めっちゃ恥ずかしそうなテッドがおもろかった。

この後最後のイベント成績上位者へのプレゼントが開始されました。
頑張ったご褒美じゃないけど、名前を呼ばれて出てくる子は誇らしげで、その姿は良かったな。

成績上位者に授与してるところ
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名前を呼ばれて前に出て、褒められて、自信をつけるってめっちゃいいことやと思う、
頑張ったかいも出てくるし、今度はオレもわたしもあそこにって思うかもしれんし。

僕が渡したプレゼント

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プレゼント渡した子と写真撮った
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プレゼント渡した後、席に戻ると子ども達が中身見てて、何かなーって覗いてみると、明らかに子どもが着るサイズじゃない服入ってました。
こんなの着れないよ・・・って目で笑ってこっち見てたのが可愛かったけど、ちゃんとサイズ考えて準備しろよ!とも思いました。

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今回のボランティア活動ですが、ボランティアというよりは支援物資の配達人って感じでした。
こういうのも悪くないなとは思うんですが、やはりものを一時的に与えるだけの活動は個人的にあまり好きじゃないので、次からは参加しない方向で考えようかなと思いました。

でも、ご飯をもらってるときの嬉しそうな顔や成績上位者の誇らしげな表情は忘れられないので、いい経験になったなーと感じました。

もっと継続的で価値のあることができるようになりたいなーと思う日々です。

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日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

ハロー!つばさです。
先日書いた留学中に韓国人の友達と話したことで、調べてみたいと思った日本と韓国の間の歴史のことを調べたので、そのことを書こうと思います。

前回の記事はこちら↓
フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

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今回調べたのは、日本と朝鮮半島の関係についてと、その際のできごとについてまとめました。
基本データはWiki参考なので、説得力に欠ける部分があると感じるとも思いますが、韓国人と話している時に『あれ?これどうなってたんだっけ?』って僕がなった内容を調べてまとめました。

日本と朝鮮半島の関係が大きく動いたのは、日清戦争後からなのですが、その後三国干渉などがあって保護国から離れていたりしたので、実質的な変化の起点となった日露戦争から紹介していきます。

1904年から始まり、1905年に終了した日露戦争で朝鮮半島は陸軍の主な戦場となった。
ちなみにこの際、大韓帝国と言う名前の国だった。

Coree

日露戦争が終わった後、朝鮮半島内での日本の影響が絶大となり、日本の保護国となる。
その後1910年に日韓併合条約により、大韓帝国は日本に併合され、滅亡する。

1910年から1945年の第二次世界大戦で日本が敗戦するまでの35年間が、日本が朝鮮半島を支配していた期間になる。

【統治している間の変化(朝鮮半島の変化と日本が行った支援)】

・土地の権利確定、水防工事や水利工事、金融組合、水利組合を作りお金を低利で借りれるようにする→安心して農業ができるようになり、また生産性が高まったので農作物を日本に輸出し多額の利益を得ていた。(代表者はサムスングループの代表者この際に得た利益でサムスングループの前身を作った)

・小学校を作成。統治前は100校→1943年には4271校。ハングルを必修科目とするが、教授言語は日本語。ハングルの識字率ハングル6%→22%に上がった
科目は日本語、朝鮮語、算数、日本史、朝鮮史、修身など。
普通学校の就学率は1910年で1%→1923年に11.2%→1943年には49%になった。

・1933年に民主的選挙の導入。8割以上の議員が朝鮮人となる。

・朝鮮が日本にとって日本本土を守る重要な要であり、日本の中で最も遅れている地域の1つと捉えられたので、富国強兵政策に従い、国家予算を朝鮮半島に使い、鉄道、道路、上下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など最新鋭のインフラの整備を行なった。(主な労働力は朝鮮人が行い、無償労働による工事も行われていた)

・衛生面や生活面の向上からコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病による乳児死亡率が減少したので、平均寿命は1910年24歳→1942年45歳となった。

・人口推移は1910年1313万人→1942年には2553万人

1944年9月から1945年8月まで朝鮮半島でも国民徴用令をだす。それ以前は志願兵制を取ってて、1937-1943年で志願者総数は799,201人合格者は17,664人だった。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣が行われた。(1959年の外務省の調べによると徴用で日本に来て在留しているのは245人)
その他の渡航者は大半は職を求めての個別渡航で日本にやってきてて、工鉱業や土木業の募集に応じて来た者だった。

【慰安婦に関しては】

・慰安婦制度を確立したのはフランス。(1802年)目的は性病対策と軍事慰安だった。
・1910年に婦人売買禁止に関する国際条約が国際連盟で取り決められた。
→慰安制度があったことが国際的に認められていた。

・朝鮮において、少女を誘拐したり妻だと偽って人身売買を行うケースが増えていた。
女性の値段は500-1200円。
・朝鮮総督府警察はこの誘拐業者を取り締まり、そのデータによると略取・誘拐の検挙数は1935年朝鮮人2,482人・日本人24人、1938年朝鮮人1,699人・日本人10人、1940年朝鮮人1,464人・日本人16人。
→人身売買を行っていた人の中に日本人が入ってるのが残念だが、それ以上に朝鮮人の量に驚く。

・日本では慰安施設の設置が強姦や輪姦の抑止になると考えられていて、設置前には強姦が多発していた。ただ、設置後も強姦は絶えなかった。

・1938年に慰安婦の募集が行われた。
3000人の募集で、契約は2年前借金は500-1,000円まで、16-30歳まで。
また、「慰安婦に就職しないか?」と勧誘していた不審な男が逮捕されたりもしてた。

COMFORTAdd-2

慰安婦への給料は不払いが起きないように管理されてて、半額を預金通帳へ、半額を軍票で渡していた。
故郷に1000円で家を建て、5000円は兄に送るなどのケースもあった。
日本軍を相手とした場合、半分以上は女性の手取りとなり、残りは業者のものになった。
日本の内地より朝鮮半島の慰安所の給料が良かったので、吉原から朝鮮半島へ移動した人もいた。
→朝鮮半島の慰安施設の厚遇が見られる。

・ビルマにあったマンダレー慰安所においては、使用者の守るべきルールとして、「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員に暴力を行わないこと」「サックを使用し性病予防を行うこと」「違反者は慰安所の利用停止ならびに会報に載せ、その部隊の使用停止につながる」とされていた。

日本政府から「慰安婦を誘拐まがいの方法で募集を行う業者がいるから注意せよ」という通達が出されていたが、その業者への軍の関与と解釈するか、対策と解釈するかで意味あいが変わっている。
→解釈の違いで大きな論争になっているポイント。

第二次世界大戦において戦地での性政策は自由恋愛型(私娼中心。イギリスの・アメリカ)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連、朝鮮)の3タイプ。
日本における慰安婦の制度・運用・実態に関しては、客観的に叙述が難しい。
ちなみに第二次世界大戦の際に国家管理型で慰安婦制度を採っていたのは日本とドイツ。

【挺身隊と慰安婦の混同】→どうやらこの件に関する混同が現在の論争を呼んでいるようだ。
挺身隊→主に工場などの勤労労働に従事する女性
慰安婦→戦地や占領地、内外地での公娼。

・日本での政策
1944年8月、日本内地においても日本人女性を工場に強制動員する女子挺身勤労令が出された。(12-40歳までの未婚女子)また、学徒動員もあった。

・韓国での政策
朝鮮では、1944年9月から徴用令を出した。朝鮮半島の女性に関しては、日本内地における徴用令も女性への女子挺身勤労令も発令されなかった。
が、学校の先生の斡旋によって、女子挺身隊が日本内地へ向かった事例(総数は1万人)もあったため、挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員されると慰安婦にされる」というデマが流布した。
この事は朝鮮総督府も認識してて、挺身隊→慰安婦というデマのせいで、労働力の確保がこれから難しくなるという予想している。
→韓国の当時の総督府はデマだと明言している。

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【敗戦後の日本の在留民への扱い】

ソ連軍では慰安所は設置されてなかったが、レイプが黙認されていて、満州や朝鮮半島では日本人女性の強制強姦が各地で繰り返されていた。
また、朝鮮人もソ連軍兵と共に非戦闘員の女性に対して集団強姦を行い、強姦後に虐殺するケースもあった。
強姦により妊娠したり、精神的な病を患った女性の治療をした二日市保養所では4500件の中絶手術が行われた。
→なぜこの点が問題意識を持たれないのか?と思う。

【戦後】

1945年に日本が敗戦し、朝鮮半島はアメリカとソ連の統治下に入り、38度線で区切られ、南部を韓国、北部を北朝鮮とした。

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統治後日本においては占領軍による一般女性のレイプ事件が予測された為、連合軍向けの慰安施設を設立した。
慰安所を作ったが、進駐軍が民家に入り女性を強姦する事件は多発した。この事件は連合軍元帥のダグラス・マッカーサーももちろん認知してて、アメリカ軍から女性を守ろうと作られた自警団はアメリカ軍の戦闘車両により鎮圧され、刑務所に監禁された。

韓国は自国が第二次世界大戦の戦勝国だと主張するも、統治下だったので認められず、独自に日本と交渉を始める。

交渉中に1950年から朝鮮戦争が勃発。
朝鮮戦争中、日本人の慰安婦も在日米軍基地や朝鮮半島に連れて行かれた。

1965年に日韓基本条約を締結。
この際に1910年以降に交わされた全ての条約や協定は全て無効であることが確認される。
また、日本は韓国に対して巨額の資金協力を行なった。無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル。
また統治時に日本政府が作った施設などは無情件で韓国政府のものになった。

この条約により取り決められたことは、

・個別請求権の問題解決
・相手国に対する個別請求権の破棄

3億ドルを年2500万ドルの支払いを12年間払うことが決められた。

日本はフィリピン・インドネシア・ベトナム・タイ・ビルマ・台湾に7600万ドルを毎年支払っていた。
この中でフィリピンが最多の額が2500万ドルで、フィリピンに支払っている金額と同様の額を韓国に払うが、フィリピンに対しては12年と長期ではなかった。

韓国政府に支払ったお金は朝鮮半島に払ったものなので、被害者に向けたものや北朝鮮に対する賠償金でもあったが、政府はもらったお金のほとんもを韓国政府のためにのみに使った。

韓国政府が第二次世界大戦時の軍人・軍属・労務者として招集された人の遺族に払ったお金は30万ウォン(当時約2.24万円)。総額91億8000万ウォン(当時約58億円)。無償3億ドル(当時約1080億円)の5.4%のみだった。

日韓基本条約によって、個別・集団請求権の破棄・解決がらなされ、その際に取り決められた約束を日本は支払いという形で行なったが、2015年の締結に至るまで、韓国政府は日本へ請求してきて(日韓基本条約には慰安婦が入ってなかったとかイチャモンつけて)、2015年の締結時にはまた改めて10億円もの大金を支払った。

ちなみにドイツが行ったユダヤ人に対する政策は、1人につき6000マルクを支払うというものだったようです。

調べてみて。

慰安所を管理しているのが日本軍。
条件に関しては日本政府が決めるが、慰安所に慰安婦を連れてくるのは業者。
業者の中には強引に連れてくるものもいた。業者はもちろん日本人だけでなく、中国人や朝鮮人も業者として働いていた。
慰安所を運営している業者にはもちろんメリットがあった。
→これが強制的に連れてこられた慰安婦の実態なのかな。と思う。

敗戦後、移住していた日本人も大きな被害を被った。
→なぜこの問題に問題意識を持たないのか?中絶件数を考えると、大問題だと思うが。
逆に朝鮮の慰安婦の中絶手術の件数を知りたいと思う。

日韓基本条約とはなんだったのか?と思う後の対応に関しても留意したいと思った。

調べることで知れる知識があるのは嬉しいと思った。
ただ、上記のものも歴史の一方的な解釈に過ぎないので、意見としてもつがこだわりは持たず、柔軟な姿勢でいることが重要だと思う。
歴史認識に関して、意見がないのが一番ダメなことだと思うので。。。

参照
日本の慰安婦
日韓併合条約
日本統治時代の朝鮮

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フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

ハロー!つばさです。
今回は留学中に韓国人の友達と話した事を書きます。
僕の学校は韓国資本だったので、韓国人がたくさん学校にいて、ルームメイトも韓国人でした。

みんなめっちゃいい奴で、一緒に生活してて楽しかった。

せっかく仲良くなったからと言う事で、韓国と北朝鮮の国境に行った時に興味を持った兵役について、僕が韓国人の友達に聞いた話と、友達から慰安婦問題についてどう思う?って聞かれた時の話をしようと思います。

韓国と北朝鮮の国境に行った時の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

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まずは、韓国の兵役について。

תרגיל גדודי קרקל

韓国人の男性には2年間の兵役に従事する義務があります。
この兵役を乗り越えないと一人前と認められず、正社員として仕事に就くこともできません。
多くの人は、高校卒業後か大学在学中に休学して兵役に就くようです。

兵役の話は3人の友達から聞いて、概要・環境面に関して・兵役のメリットの順番で書こうと思います。

まずは、概要から。

兵役中は4つのパート(1パート6ヶ月間)があるようで、入隊後最初の6ヶ月間は猛烈に厳しい部隊に参加し、全くプライベートなしの生活を送るようです。

殴る蹴るとかも普通で、先輩には逆らえない状態らしいです。
その後少しずつゆるい部隊に移動して、最後の6ヶ月間は少しは自由がある身分になれるようです。
兵役中の兵隊がもらう給料は月額8000円くらい。

学校のグループレッスンの中で、『もし自分の人生で過去に戻ってやり直しができるならいつがいい?』って質問で、ある友達が『military serves(兵役) の後がいい。もう一度兵役に就くのは嫌だ!』って言ってたのが印象的でした。

環境面に関して。

どこの部隊に所属するかが重要で、ある部隊では訓練中に目が見えなくなったり、負傷したりするようです。
ただ、軍に従事している医療機関があまり良くないらしく、多くの兵は休みを取って、自分が普段から通っている医者に行くようです。
その友達は、何よりも変えて欲しいのは医療機関の質だと言ってました。

あと、『兵役中は北からの脅威についてどのように考えてたのか?』と聞くと彼は、『北朝鮮が攻めてくる可能性は低く、今北がやってる事はほとんどがパフォーマンスだ。』と言ってました。

なので、そこまで危機感とかがある感じではなく、兵役に就く必要があるからその期間だけ就くという、一種の通過儀礼のような位置づけのように感じてたようです。

最後に兵役のメリットについて。

多くの韓国の友達は『兵役はもうやりたくない』と言うんですが、それと同時に『兵役をやって良かった』と言っています。

と言うのも、兵役中の礼儀や作法の教育がしっかりしているので、知識量が増え、立ち振る舞い方を知ることができ、圧倒的に体力や忍耐力がついたと。
その結果、『韓国では男と女の間で知識格差があるんだ。』って言ってました。

あと、これは実際に聞いた事ではなく、僕の実感ですが、部隊や時期は違えど同じ兵役をこなしたことによって、ある種の一体感や仲間意識が韓国人の間で生まれてるなと思いました。
そのメンバーが将来企業を担う役割になった時に、強いチームワークを生み出すことで韓国の企業は伸びたのかなーと。

『戦争が起こらない』と言う大前提の元で考えると、兵役のような時期がある事は大きなメリットを生むのかなーと思いました。
まぁ現実問題、今の日本でやるのは難しいし、無理だとは思いますが。

次に慰安婦問題について。

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慰安婦問題については、ある日の昼食に食堂でご飯を食べながら今まで行ったことのある国について話をしている時にある友達が、『comfort women』の事は知ってる?って聞いてきたことから始まりました。

最初『comfort women』の意味がわからなくて、何の話をしてるんだろうと思ってたんですが、google翻訳で調べると、それが慰安婦だと言うことがわかりました。

彼は『慰安婦問題について日本人がどう考えているか?知りたいと思っているけど、どの日本人に聞いても良く分からないって言われて話が終わっちゃうんだ』と言ってて、これは日本人として大問題だ!と言うことで時間を作って話すことにしました。

話したときの会話の流れをそのまま書いたので、読みにくかったらすみません。

まず最初に慰安婦がいたかどうかについて話しました。

僕は『今の風俗嬢のような、お金を貰ってそういうことをする人がいたが、それらは全て募集して集めたもので、強制ではない』という主張をしました。

彼は『韓国人は仕事があるからと集められ、そこに行くと実はその仕事が慰安婦だった。だから強制だったし、中には惨殺される人もいて、その証拠写真がこれだ!』と当時の募集票の写真や韓国語と日本語翻訳がされているサイトのページを見せてきました。

35年間の支配や滞在していた部隊の多さから100パーセント強制的な行為や殺害事件がなかったとは言えないので、一旦慰安婦がいたとして話を進めました。

その後、仮に強制的な慰安婦がいたとして、その人たちが被害について日本の安倍首相に認めて欲しいという主張をしたが、安倍首相がそれを認めなかったことについてどう思うか?という話になりました。

僕は『それを認めさせるのは難しい。と言うのも2015年に日本と韓国の国家間で慰安婦事件に関して話を終わらせましょう!って言う締結(日韓合意)をして、その際に日本は韓国に対して支援金を送っている。もちろん、第二次世界大戦で負けたから、その前からずっと賠償金を払っているし。
国家間で決まったことを、個人→国で主張して認めさせるのは無理だ。もし、この件に関して問題提起するならまず韓国の政府に言うべきだし、もし、今回の締結を破棄するならその際に払った支援金は返却すべきだと思う。』と言う主張をしました。

これに対して、彼は『でも、強制的な慰安婦がいたのは事実だからそこに対して認めないのはおかしい。ドイツは現在もユダヤ人に対して支援金を行なっていることを知ってるか?ドイツは第二次世界大戦で犯した罪に対する支援をずっとしてるのに、日本が辞めるのはおかしい。日本は韓国に対してひどいことを行なったのだから。』と言ってきました。

この意見に対して、僕は『ではなぜ日本とドイツが支援をせざるを得ない状態になったか知ってるか?それは戦争に負けたからだ。もし、本当に仮の話だが日本やドイツ・イタリア軍が第二次世界大戦の時に勝っていたら、韓国に賠償金を払うとか、行なった行為に関して支援を行うとかそう言う事態は起きてなかっただろう。そう言うお金は全て負けた国が払うものだからだ。
それに、1900年前後の植民地支配の中で確実に植民地支配後に多くの征服された国で強制的な慰安婦はたくさんいたし、殺害もあった。だから今の多くのアジアの国でいろんな肌の色の子どもがいるし、実際にフィリピンでも混血児が多くいる。日露戦争の時にソ連軍のバルチック艦隊が泊まった寄港地では、どこも慰安婦だらけだったと言う資料も残っている。
では、なぜこれらの国が処罰されないのか?それは戦勝国だからだ!勝った国が全て自分達の都合のいいように解釈して作るから負けた国の問題になって、賠償金支払いの義務が生まれる。日本は第二次世界大戦で負けたから韓国やその他の多くの国に賠償金を支払った。』と主張しました。

この話をすると、彼は一瞬止まってそれは本当のことか?と言う反応をしたあと、考え直して『それでも日本が行なった行為は悪いことだそこの認識はあってるか?』と聞いてきた。

あまりにも日本が行なった行為を悪く言われるので、ベトナム戦争時の韓国兵の話をした。

ベトナム戦争時に傭兵として戦争に参加した韓国人は、ベトナム人の村を見つけると、村の人を全て殺して、女性にはレイプ→殺害。全ての金品を略奪していたと言う事実をベトナムを旅していた時に、多くの博物館で資料として確認して知ってたので、韓国人が行なった行為についてはどう思っているのか?と確認してみた。

また、日本は韓国に対してその罪を償う為に賠償金を払ったが、韓国はベトナムに関して何もしてない。仮に虐殺・レイプを日本が行なっていたとして、日本は罪を認めて賠償金を支払っているが、韓国は何も行っていない。日本の方がまだ誠実だと思うが?と言う風に聞いてみた。

すると、彼は『もちろんベトナム戦争時に虐殺、強奪、レイプをしていたのは知っているが、そこに政府は関与していなかった。だから国が責任を取る必要はないし、国の問題ではない。それに対して、日本は政府が慰安婦を作る事を許容して、慰安婦を管理する施設も作っていた。国がこのことに関与して動いていたという事実が一番の問題であり、国が関与していたから国が責任を取るべきだ』と言ってきた。

彼からすると、行為に対して国が関与したか?していなかったか?が一番の問題らしい。

僕は『当時を振り返ると、日本が慰安婦を管理することは当然の事だと思う。と言うのも満州事変が1931年からずっと続いていて、ずっと戦時中だ。満州国への兵の供給ラインである朝鮮にいる兵が変な事をして、戦えない状態になったり体調不良になると大問題だから、性的な感染経路になる可能性がある慰安婦が病気にかかってないか確認したり、生活を管理したりするのは当然だし、軍の規律を守る為に政府がそれに関与することは当然だと思う。だって、そこが戦争の戦場となり、ずっと戦争が行われていたのだから。
韓国は南北戦争の後、国の体制がしっかりしてない状態でベトナム戦争が始まり、傭兵として出て行った兵士を政府が管理できていなかったのは、政府の力がそこまで及ばなかったからだ。
行なった行為・行動は同じだからそこに差はない。』と主張しました。

それでも行なった行為に関して政府が関わったか関わってないかが一番の問題だとずっと言ってくるので、結局今日の話をしてどうしたかったのか?と聞いてみると、彼は『日本が韓国に行なったことが悪であると言う自分の意見を僕に主張し説得し認めさせたい』と言ってきた。

それは無理だ。と伝えた。
なぜなら僕は歴史感に関して自分で勉強して、自分なりの解釈や理解があるから、彼の意見を一つの側面として捉える可能性はあっても、彼の意見に傾倒されることも、彼の話の根拠が正しいとも思えないからだ。

結局国が関わったことが、問題になるか?ならないか?という話をいろんなたとえ話を交えながら続けていると就寝時刻の12時になり警備のおじさんにもう部屋に帰れ!と言われ、それで一旦話は終了した。
気づけば2時間ほど話をしていたようだ。

結局それ以降話す機会がなかったので、この状態で話は終了。
話の後も彼とは同じグループクラスを取ってるので、普通に挨拶し、普通の会話をして普通に過ごしてました。

今回の話で、新しい歴史に関する考え方や捉え方を知れたし、自分の知識が足りてない部分もわかったので、また調べてみようと思う。
それにしても、Google翻訳を使いながらでも、英語でこれだけのことが話せるようになったのは嬉しかった。

その後調べた内容はこちら↓
日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

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英語留学してきました!〜フィリピンのセブにあるCELLAで4週間の修行〜

ハロー!つばさです。
今回の記事はフィリピン英語留学をしてきたので、そのことについて書きます。

僕が行った学校はCELLAという韓国人経営の英会話学校。

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この学校に通うことに決めたのは、僕が取りたいと思ってたTESOL(英語を使って英語を教える資格)って資格がフィリピンで唯一取れる学校だったからです。

留学の目的はTESOL取得の英語力に到達すること!CELLAの規定ではTOEIC700点以上+電話面談での英語力なので、かなり高い壁やけど頑張ります!(ちなみに世界一周前に受けたTOEICの成績は275点とかだった。。。)

留学エージェントの人や学校と話をして、まず4週間留学して僕の英語力を確認しつつTESOLコースに入れるかを確認。
で、もう一度4週間留学してTESOLコースを受けるか、そのまま直接TESOLコースを受けるかを相談して決める予定なんですが、僕としてはどうしても後者のパターンで進めたいんです!!

というのも、4週間の留学にかかる費用は18万円くらい、TESOLコースの金額は25万円くらい。
もし留学8週間にTESOLだと、3ヶ月で61万円も掛かってしまう・・・なので、なんとか費用対効果を上げて、4週間の留学→TESOLの43万円コースで留学を終わらせます!(勉強頑張って18万円浮かしたい!!)

ブログの最後に僕なりのフィリピンの語学学校選びのコツ書きます。

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CELLAは、フィリピンの英会話学校の中ではセミスパルタって言う部類の学校です。

CELLA外観
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平日(翌日授業がある日)の門限は22時で、その時間を超えると警告が出ます。(ちなみに警告4回で強制退学)
金・土は外泊可能ですが、外泊届を出す必要がありますが、外泊届は簡単に出せるので、ルームメート達は毎週週末にセブ付近の島にアイランドホッピングに行ったり、ダイビングのライセンス取得したりしてました。

学校の概要はこのサイトを→CELLAについて

が、僕にはとにかくTESOL受けれるラインに到達する!という目的があるので、ルームメートの誘いをひたすら断り続け、勉強漬けの毎日を過ごしてました。

学校でのスケジュールはこんな感でした。

7:00-8:00 朝食

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だいたいこんな感じのメニュー
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8:00-12:30 授業(50分授業→5分休憩の繰り返しを5回)

12:30-13:30 昼食

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韓国で鶏肉の日ってのがあってその関係で鳥が出た
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13:30-16:10(50分授業→5分休憩の繰り返しを3回)

16:15-17:05 自習時間
普通に授業受けて、自習するだけで、7時間30分の勉強時間になります。

17:05以降はフリータイムで、18:00-19:00が晩御飯でした。

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僕はかなり切羽詰ってたので、だいたい授業後はずっと自習室に籠ってました。
授業終わって自習室行って、晩御飯食べて自習室に戻って、23-24時くらいまでずっと自習室で勉強をするという生活。
学校のみんなには『いつも自習室にいる奴』と言うレッテルを貼られました。笑

CELLAの自習室は綺麗なので、結構良かった。
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自習室では、その日の宿題やったり、日記書いたり、単語覚えたりとりあえずやることが多すぎていつも頭がパンパンになってました。

こんな勉強したの、大学受験以来かもしれない。。。
大学時代の受験に関して書いた記事はこちら→人生の転機〜将来の目的が見つかった高校時代〜

環境に身を投じてしまえば、あとは勉強することを自分のルーティンにして、勉強が嫌な時はうまく休憩入れて勉強することを嫌いにならないようにして、いつも自分の勉強方法は効率的なのか?他に良い方法はないか?考えたり、いろんな人に方法聞いたり調べたりして進めてくだけなので、自己管理をしっかりしながら勉強を進めました。

最終の目標はTESOLコースに入ることなので、日本人マネージャーの方に協力してもらいつつ、TESOLコースの先生とインタビューするタイミング作ってもらって、現在の自分に足らないスキルは何か聞いて、そこを徹底的にやってみたり。

結果的にめっちゃキツかったけど、なんとか9/11からTESOLコースに参加できるようになりました。
日本出国前に受けたTOEICも目標の600点をなんとか超えて615点!

3週間目の金曜日にあった学校の生徒全員ので受けるテストでは、なんとか学校の中でTOP10に入れました!
今まで英語のテスト結果で称えられることがなかったので、めっちゃ嬉しかった!

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最終日には先生と一緒に写真を撮りました!

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留学中に聞いたいろんな話は別の記事でまた書きます!
最後に英語留学の学校選びの3つのコツについて書きます。

1,学校に入学するタイミングについて

2,学校の人種比率について

3,留学前の準備について

まず学校に入るタイミングについて
だいたいの学校は1ヶ月に1回くらい実力テストを行うように日程を組んでます。
また、入学時に英語力を計るテストがあります。(最初の月曜日はだいたいこれで潰れる。)

なので、4週間以上の留学の際は留学期間(1ヶ月目)の最後の方に実力テストがくるような日程にし、1~2週間の超短期留学の場合は実力テストがないタイミングで入るのがベストです。

1番悲しいのは、最初のテストとオリエンテーション→金曜日実力テスト(金曜日も潰れる)この場合だと1週間のうちの2日間がテストで潰れてしまうので、留学費がめっちゃもったいないです。
1~2週間の滞在期間の方からしたらかなりの損失になります。

あと、フィリピンの祝日がいつかも調べておくべきです。
フィリピンの祝日は学校が休みになるので、その期間も無駄になるので。(ちなみに僕の留学期間は祝日なしです。)

次に学校の人種比率について

これは僕の個人的な意見ですが、やっぱり日本人比率が少ない学校がオススメです。
どうしても日本人がいると日本語を使ってしまうし、日本人同士群れてしまう可能性があります。
これって、せっかくお金かけて留学してるのにもったいないと思います。

せっかくなので、日本人以外の人種が多いとこに行って、英語でコミュニケーション取ってみるのがいいと思います。
そうするといろんな交流ができるとし、英語力のアップに近づくと思います。
実際僕はルームメートが全員韓国人だったので、韓国や日本のことについてたくさん英語で話せたし、韓国の兵役についても知ることができました。

ただ日本人も結構必要で、その学校のいい先生を教えてもらったりとかなりいろんな情報教えてもらえてめっちゃ助かりました。

最後に留学前の準備について

海外留学すれば英語力が上がるというのは幻想だと思います。とくに1~4週間の留学に関して。
でも、海外留学をすると圧倒的に英語と触れ合う時間が長くなるので、勉強した知識を体になじませることに関してはかなり効果があると思います。

なので、これから留学する人は絶対に留学前に簡単な文法の知識や語彙力を増やす努力をしてから行くべきだと思います。

海外でわからない英文法を英語で説明されても、それを理解することはかなり難しいと思いますし、自分で、日本でできることをわざわざ大金払っていく留学中に教わるのも費用対効果が悪すぎます。

今回の留学で最も重要だと思ったのは、留学前の準備です。
ここに力を入れるのは絶対に重要だと思いました。

以上学校選びのコツでした!

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ご無沙汰してます。近況報告と・・・あ、本を出版しました(笑)

はろー!ご無沙汰してます。あゆみです!
もうついに8月ですね!!はやいっ!!あと5日で誕生日だっ。あぁおそろしい・・・笑
ちなみにいまは世界一周も終わり、いまはセブのCrossxroadという語学学校でインターンをしてます!
そしてつばさはCellaという学校に通ってます。
じつは私の方が2ヶ月前にフィリピンに来てて、5月6月は、遠距離夫婦生活だったっていう・・・w

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3ヶ月のインターン生活もあっという間で、あと残すところ1週間。
クロスロードはスタッフもほかのインターン生もすごく良くて、さらに来る生徒さんも面白い人ばかりで、めちゃくちゃたのしー!!

ご飯もとてもおいしいし、
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毎週火曜と木曜はDrinking Party!!(でも結局毎日飲んでるけどw)
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フィリピン人に書道教えたり路上書道なんかしたり
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セブ、阪神会に参加して
そのノリで阪神vsヤクルト戦会なんかしたり。
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先生のおうちに行って、ブディーファイティングもしたよー。
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ほんで一瞬だけカジノで爆勝ちした(笑)
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ただ、英語の方はというと・・・最初の1ヶ月半は必死に頑張ってましたが、1ヶ月半経ったところで「なんで頑張ってるんだろう?」とか思い出して、
さらに、持ち前の英語嫌いが再発して、スランプに陥ってました・・・w
今はというと、そこまで頑張りもせず毎日4時間先生とレッスンしながら、嫌いにならない程度に英語と向き合っています。

私のインターンの業務のwebライティングについては、書き方をいろいろ教えてもらって身に着いてきたかなーという感じです。
ただ、1日4時間の英語と、5時間のライティングは割と疲れる・・・w
というわけで、8/6からシンガポールとフィリピンのエルニドに行ってゆっくり休みまーす!楽しみ!!

そして、私の趣味が功を奏し(笑)
じつは・・・

本を3冊出版いたしましたー!!!(パチパチ)

全部・・・kindleのセルフ出版だけどね(笑)

内容は、南米の旅行について・・・。
このブログにも書いてるけど、南米マジでいろいろあったよなー。
強盗に盗難にスキミングにバス立ち往生に・・・

やっぱ思いを巡らせてみると悪い思い出の方がネタになるよねw

でもそんなこんな色々あってもやっぱり南米が一番好きっ

ということで、南米愛をまとめあげた本です。1冊1ドル(110円ぐらい)なので、ぜひ買ってみてください!!
↓画像かリンクをクリックしたらkindleに飛んで買えまーす!!

1
なんてったって南米。第一章スペイン語留学とペルー編

2
なんてったって南米。第二章ボリビア編

3
なんてったって南米。第三章パラグアイ編

さらに、3冊では飽き足らず・・・まだまだブラジル編、アルゼンチン編も執筆予定ですw

次の記事は、つばさがフィリピン留学について、総集編かいてくれるんじゃないかな?笑
それじゃ!!

P.S.焼酎ロスになると思ってたけど、町家マートに焼酎いっぱい売ってたからどうにかなりそうです(笑)
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