「アジア」タグアーカイブ

カンボジアの学校で日本語カリキュラム作成!!〜活動の輪が広がった話〜

ハロー!つばさです。
現在フィリピンのセブで2回目の留学が始まるまで待機中です。
最近は、英語音声・英語字幕で映画やTVシリーズを見るのが日課で、NETFLIXの無料期間を存分に使ってFull Houseをずっと見てます。
英語音声・字幕で映画見るのを学校の先生に勧められたので、やってみてるんですが、これ効果ありますね。
リスニング能力が確実に上がってます。
あと、語彙もめっちゃ増えたように感じます。

現状の話はここまでで・・・
今回は、僕らがボランティア受け入れの窓口をしている、カンボジアの学校について書きたいと思います。

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僕たちは2014年に、カンボジアのシェムリアップにある、アンコールツリースクールでボランティアをしました。
アンコールツリースクールの子どもの可愛さ、学校を運営するソクホンの『子どもに教育を受けさせて、家族を守れるようになってほしい』という志に感銘を受け、何か継続的な支援ができないか?と考え、ソクホンに聞いてみると、

『学校で日本語を教えてるけど、つばさ達が来るまで2年くらい日本人が来てくれてなかった。だからもっと日本人が日本語を教えに来てくれるようにしたい。』

と言ったので、僕たちはアンコールツリースクールのボランティア受け入れのページを日本語で作りました。
その記事がこれ↓
カンボジアのシェムリアップにあるアンコールツリースクールで日本語を教えるボランティア大募集!!

学校を運営してるソクホン
シェムリアップの学校でボランティア

幸いなことにGoogleやYahooで『シェムリアップ ボランティア』と検索するとTopページに出るようになり、実際にこの3年ほどで150人くらいの日本人がボランティアに行ってくれました。

また、実際に現地でボランティアを行う中で、いろんな支援を学校にしてくれる人が増えて、

・服とか勉強物資を送ってくれたり、ボランティアに行くときに持って行ってくれたり
・子どもの学習のために長期間滞在してくれる人がでてきたり
・公式HPを作ってくれる人が現れたり

と活動の輪が少しずつ広がりました。

その後、学校に通う子どもの数が増えたことに伴い、学校を移転。
教室の数も増えました。

僕らが行った時に学校前で撮った写真
シェムリアップの学校でボランティア

現在の学校前で撮った集合写真
カンボジアの学校でカリキュラム作成

ただ、金銭面のトラブルからアンコールツリースクールをアンコールイングリッシュスクールに改称し、現在もソクホンは学校の運営を変わらぬ志のもと行っています。

そして、今回また新たに活動の輪が広がり、アンコールイングリッシュスクールのために動いてくれる人がいるので紹介したいと思います。

彼女は今年の2月に学校を訪れ、ボランティアを行ってくれて、帰国後も『ソクホンの学校になんとか支援を行い続けたい!』と言う気持ちから、学校に長期滞在し、日本語を学習するカリキュラムの作成をすることを決意しました。

そして、カリキュラム作成の際に必要な教材購入費のために、クラウドファンディングサービスの『Ready for』を利用してます。
彼女の意見はReady forのページを見るのが一番ですが、ちょっと抜粋して紹介します。(貧困を抜け出すために。カンボジアの子供たちに日本語授業を!

真ん中の女性が今回の企画を考えた鈴木由香里さん
学校を応援するプロジェクトの立ち上げ
以下引用文(→以降僕の感想)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私がボランティアをさせて頂いた学校は、村の子供たちが無料で通える学校で、各教室に先生が一人いて、教科書は一人一冊、宿題のプリント用紙があるといった日本では当たり前の事がカンボジアでは当たり前ではありませんでした。
→現在の学校を見てないのでわかりませんが、そもそも鉛筆削りが足りてなくて鉛筆削り待ちで授業が止まることもありました。

日本語講師もいない、テキストもない。日本で教育を受けてきた私にできることは、授業自体の流れを教材と共に作るお手伝いをすることではないかと思いました。
子供たちは遊ぶ時間もお手伝いの時間も削って学校に来ています。その時間と努力を無駄にしないために、実りのあるレッスンを提供したい!と強く感じました。
→日本語を教える先生が常駐していないこと、教えたことの進捗管理を行っていないことは当時も大きな問題でした。

授業の質を上げるためにも授業で使う教材、そして勉強する流れをしっかり定着させる必要があります。まずは必要な教科書、そしてフラッシュカードやひらがな練習帳などの教材を揃え、レベル別にしたクラスに合わせてそれぞれ教材を使い分けます。
また、テストや発表などのイベントを授業に取り入れることにより生徒のモチベーション維持に繋がればと思っています。
→勉強法が確立されることは、子どもの学習時間や効率を考えると、学校の大きな資産になると思います。

カンボジアでは、日本語がわかると現地の観光ツアーの案内など高収入の働き口が増えることから、『この子供たちが将来日本語を使って仕事ができるくらいにしたい!』と思うようになりました。
→まさにその通りで、日本語が話せるだけで収入が大きく変わります。下手するとカンボジア人の平均月収を5日で稼げるくらいです。

そして、その目標に少しでも近づくため、10月、再度カンボジアへ渡ることを決めました。

渡航の目的は大きく分けて以下の二つです。
・日本語授業のカリキュラムを作り、レベルの向上に繋げる。
・日本語ボランティアスタッフ募集活動とその受け入れ体制の確立。

将来「日本語を勉強してよかった」と思ってくれる生徒が少しでもいれば、それだけで今回のプロジェクトの意味があると考えています。
今回、皆様の支援で教材を揃えることができれば、子供たちが日本語を勉強する時間がより意味あるものになります。
学校で何年も日本語を勉強しているけどレベルが上がらない、話すまでに至らない子供たちがほとんどです。
教材、カリキュラムを整えて子供たちのモチベーションに繋げることが今回のプロジェクトの目標です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一番手軽に支援できる3000円のやつを100人が支援すれば達成できるので、どうか協力お願いします!

カンボジアの学校でカリキュラム作成

プロジェクトの画面はページはこちら↓
貧困を抜け出すために。カンボジアの子供たちに日本語授業を!

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日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

ハロー!つばさです。
先日書いた留学中に韓国人の友達と話したことで、調べてみたいと思った日本と韓国の間の歴史のことを調べたので、そのことを書こうと思います。

前回の記事はこちら↓
フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

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今回調べたのは、日本と朝鮮半島の関係についてと、その際のできごとについてまとめました。
基本データはWiki参考なので、説得力に欠ける部分があると感じるとも思いますが、韓国人と話している時に『あれ?これどうなってたんだっけ?』って僕がなった内容を調べてまとめました。

日本と朝鮮半島の関係が大きく動いたのは、日清戦争後からなのですが、その後三国干渉などがあって保護国から離れていたりしたので、実質的な変化の起点となった日露戦争から紹介していきます。

1904年から始まり、1905年に終了した日露戦争で朝鮮半島は陸軍の主な戦場となった。
ちなみにこの際、大韓帝国と言う名前の国だった。

Coree

日露戦争が終わった後、朝鮮半島内での日本の影響が絶大となり、日本の保護国となる。
その後1910年に日韓併合条約により、大韓帝国は日本に併合され、滅亡する。

1910年から1945年の第二次世界大戦で日本が敗戦するまでの35年間が、日本が朝鮮半島を支配していた期間になる。

【統治している間の変化(朝鮮半島の変化と日本が行った支援)】

・土地の権利確定、水防工事や水利工事、金融組合、水利組合を作りお金を低利で借りれるようにする→安心して農業ができるようになり、また生産性が高まったので農作物を日本に輸出し多額の利益を得ていた。(代表者はサムスングループの代表者この際に得た利益でサムスングループの前身を作った)

・小学校を作成。統治前は100校→1943年には4271校。ハングルを必修科目とするが、教授言語は日本語。ハングルの識字率ハングル6%→22%に上がった
科目は日本語、朝鮮語、算数、日本史、朝鮮史、修身など。
普通学校の就学率は1910年で1%→1923年に11.2%→1943年には49%になった。

・1933年に民主的選挙の導入。8割以上の議員が朝鮮人となる。

・朝鮮が日本にとって日本本土を守る重要な要であり、日本の中で最も遅れている地域の1つと捉えられたので、富国強兵政策に従い、国家予算を朝鮮半島に使い、鉄道、道路、上下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など最新鋭のインフラの整備を行なった。(主な労働力は朝鮮人が行い、無償労働による工事も行われていた)

・衛生面や生活面の向上からコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病による乳児死亡率が減少したので、平均寿命は1910年24歳→1942年45歳となった。

・人口推移は1910年1313万人→1942年には2553万人

1944年9月から1945年8月まで朝鮮半島でも国民徴用令をだす。それ以前は志願兵制を取ってて、1937-1943年で志願者総数は799,201人合格者は17,664人だった。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣が行われた。(1959年の外務省の調べによると徴用で日本に来て在留しているのは245人)
その他の渡航者は大半は職を求めての個別渡航で日本にやってきてて、工鉱業や土木業の募集に応じて来た者だった。

【慰安婦に関しては】

・慰安婦制度を確立したのはフランス。(1802年)目的は性病対策と軍事慰安だった。
・1910年に婦人売買禁止に関する国際条約が国際連盟で取り決められた。
→慰安制度があったことが国際的に認められていた。

・朝鮮において、少女を誘拐したり妻だと偽って人身売買を行うケースが増えていた。
女性の値段は500-1200円。
・朝鮮総督府警察はこの誘拐業者を取り締まり、そのデータによると略取・誘拐の検挙数は1935年朝鮮人2,482人・日本人24人、1938年朝鮮人1,699人・日本人10人、1940年朝鮮人1,464人・日本人16人。
→人身売買を行っていた人の中に日本人が入ってるのが残念だが、それ以上に朝鮮人の量に驚く。

・日本では慰安施設の設置が強姦や輪姦の抑止になると考えられていて、設置前には強姦が多発していた。ただ、設置後も強姦は絶えなかった。

・1938年に慰安婦の募集が行われた。
3000人の募集で、契約は2年前借金は500-1,000円まで、16-30歳まで。
また、「慰安婦に就職しないか?」と勧誘していた不審な男が逮捕されたりもしてた。

COMFORTAdd-2

慰安婦への給料は不払いが起きないように管理されてて、半額を預金通帳へ、半額を軍票で渡していた。
故郷に1000円で家を建て、5000円は兄に送るなどのケースもあった。
日本軍を相手とした場合、半分以上は女性の手取りとなり、残りは業者のものになった。
日本の内地より朝鮮半島の慰安所の給料が良かったので、吉原から朝鮮半島へ移動した人もいた。
→朝鮮半島の慰安施設の厚遇が見られる。

・ビルマにあったマンダレー慰安所においては、使用者の守るべきルールとして、「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員に暴力を行わないこと」「サックを使用し性病予防を行うこと」「違反者は慰安所の利用停止ならびに会報に載せ、その部隊の使用停止につながる」とされていた。

日本政府から「慰安婦を誘拐まがいの方法で募集を行う業者がいるから注意せよ」という通達が出されていたが、その業者への軍の関与と解釈するか、対策と解釈するかで意味あいが変わっている。
→解釈の違いで大きな論争になっているポイント。

第二次世界大戦において戦地での性政策は自由恋愛型(私娼中心。イギリスの・アメリカ)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連、朝鮮)の3タイプ。
日本における慰安婦の制度・運用・実態に関しては、客観的に叙述が難しい。
ちなみに第二次世界大戦の際に国家管理型で慰安婦制度を採っていたのは日本とドイツ。

【挺身隊と慰安婦の混同】→どうやらこの件に関する混同が現在の論争を呼んでいるようだ。
挺身隊→主に工場などの勤労労働に従事する女性
慰安婦→戦地や占領地、内外地での公娼。

・日本での政策
1944年8月、日本内地においても日本人女性を工場に強制動員する女子挺身勤労令が出された。(12-40歳までの未婚女子)また、学徒動員もあった。

・韓国での政策
朝鮮では、1944年9月から徴用令を出した。朝鮮半島の女性に関しては、日本内地における徴用令も女性への女子挺身勤労令も発令されなかった。
が、学校の先生の斡旋によって、女子挺身隊が日本内地へ向かった事例(総数は1万人)もあったため、挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員されると慰安婦にされる」というデマが流布した。
この事は朝鮮総督府も認識してて、挺身隊→慰安婦というデマのせいで、労働力の確保がこれから難しくなるという予想している。
→韓国の当時の総督府はデマだと明言している。

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【敗戦後の日本の在留民への扱い】

ソ連軍では慰安所は設置されてなかったが、レイプが黙認されていて、満州や朝鮮半島では日本人女性の強制強姦が各地で繰り返されていた。
また、朝鮮人もソ連軍兵と共に非戦闘員の女性に対して集団強姦を行い、強姦後に虐殺するケースもあった。
強姦により妊娠したり、精神的な病を患った女性の治療をした二日市保養所では4500件の中絶手術が行われた。
→なぜこの点が問題意識を持たれないのか?と思う。

【戦後】

1945年に日本が敗戦し、朝鮮半島はアメリカとソ連の統治下に入り、38度線で区切られ、南部を韓国、北部を北朝鮮とした。

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統治後日本においては占領軍による一般女性のレイプ事件が予測された為、連合軍向けの慰安施設を設立した。
慰安所を作ったが、進駐軍が民家に入り女性を強姦する事件は多発した。この事件は連合軍元帥のダグラス・マッカーサーももちろん認知してて、アメリカ軍から女性を守ろうと作られた自警団はアメリカ軍の戦闘車両により鎮圧され、刑務所に監禁された。

韓国は自国が第二次世界大戦の戦勝国だと主張するも、統治下だったので認められず、独自に日本と交渉を始める。

交渉中に1950年から朝鮮戦争が勃発。
朝鮮戦争中、日本人の慰安婦も在日米軍基地や朝鮮半島に連れて行かれた。

1965年に日韓基本条約を締結。
この際に1910年以降に交わされた全ての条約や協定は全て無効であることが確認される。
また、日本は韓国に対して巨額の資金協力を行なった。無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル。
また統治時に日本政府が作った施設などは無情件で韓国政府のものになった。

この条約により取り決められたことは、

・個別請求権の問題解決
・相手国に対する個別請求権の破棄

3億ドルを年2500万ドルの支払いを12年間払うことが決められた。

日本はフィリピン・インドネシア・ベトナム・タイ・ビルマ・台湾に7600万ドルを毎年支払っていた。
この中でフィリピンが最多の額が2500万ドルで、フィリピンに支払っている金額と同様の額を韓国に払うが、フィリピンに対しては12年と長期ではなかった。

韓国政府に支払ったお金は朝鮮半島に払ったものなので、被害者に向けたものや北朝鮮に対する賠償金でもあったが、政府はもらったお金のほとんもを韓国政府のためにのみに使った。

韓国政府が第二次世界大戦時の軍人・軍属・労務者として招集された人の遺族に払ったお金は30万ウォン(当時約2.24万円)。総額91億8000万ウォン(当時約58億円)。無償3億ドル(当時約1080億円)の5.4%のみだった。

日韓基本条約によって、個別・集団請求権の破棄・解決がらなされ、その際に取り決められた約束を日本は支払いという形で行なったが、2015年の締結に至るまで、韓国政府は日本へ請求してきて(日韓基本条約には慰安婦が入ってなかったとかイチャモンつけて)、2015年の締結時にはまた改めて10億円もの大金を支払った。

ちなみにドイツが行ったユダヤ人に対する政策は、1人につき6000マルクを支払うというものだったようです。

調べてみて。

慰安所を管理しているのが日本軍。
条件に関しては日本政府が決めるが、慰安所に慰安婦を連れてくるのは業者。
業者の中には強引に連れてくるものもいた。業者はもちろん日本人だけでなく、中国人や朝鮮人も業者として働いていた。
慰安所を運営している業者にはもちろんメリットがあった。
→これが強制的に連れてこられた慰安婦の実態なのかな。と思う。

敗戦後、移住していた日本人も大きな被害を被った。
→なぜこの問題に問題意識を持たないのか?中絶件数を考えると、大問題だと思うが。
逆に朝鮮の慰安婦の中絶手術の件数を知りたいと思う。

日韓基本条約とはなんだったのか?と思う後の対応に関しても留意したいと思った。

調べることで知れる知識があるのは嬉しいと思った。
ただ、上記のものも歴史の一方的な解釈に過ぎないので、意見としてもつがこだわりは持たず、柔軟な姿勢でいることが重要だと思う。
歴史認識に関して、意見がないのが一番ダメなことだと思うので。。。

参照
日本の慰安婦
日韓併合条約
日本統治時代の朝鮮

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フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

ハロー!つばさです。
今回は留学中に韓国人の友達と話した事を書きます。
僕の学校は韓国資本だったので、韓国人がたくさん学校にいて、ルームメイトも韓国人でした。

みんなめっちゃいい奴で、一緒に生活してて楽しかった。

せっかく仲良くなったからと言う事で、韓国と北朝鮮の国境に行った時に興味を持った兵役について、僕が韓国人の友達に聞いた話と、友達から慰安婦問題についてどう思う?って聞かれた時の話をしようと思います。

韓国と北朝鮮の国境に行った時の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

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まずは、韓国の兵役について。

תרגיל גדודי קרקל

韓国人の男性には2年間の兵役に従事する義務があります。
この兵役を乗り越えないと一人前と認められず、正社員として仕事に就くこともできません。
多くの人は、高校卒業後か大学在学中に休学して兵役に就くようです。

兵役の話は3人の友達から聞いて、概要・環境面に関して・兵役のメリットの順番で書こうと思います。

まずは、概要から。

兵役中は4つのパート(1パート6ヶ月間)があるようで、入隊後最初の6ヶ月間は猛烈に厳しい部隊に参加し、全くプライベートなしの生活を送るようです。

殴る蹴るとかも普通で、先輩には逆らえない状態らしいです。
その後少しずつゆるい部隊に移動して、最後の6ヶ月間は少しは自由がある身分になれるようです。
兵役中の兵隊がもらう給料は月額8000円くらい。

学校のグループレッスンの中で、『もし自分の人生で過去に戻ってやり直しができるならいつがいい?』って質問で、ある友達が『military serves(兵役) の後がいい。もう一度兵役に就くのは嫌だ!』って言ってたのが印象的でした。

環境面に関して。

どこの部隊に所属するかが重要で、ある部隊では訓練中に目が見えなくなったり、負傷したりするようです。
ただ、軍に従事している医療機関があまり良くないらしく、多くの兵は休みを取って、自分が普段から通っている医者に行くようです。
その友達は、何よりも変えて欲しいのは医療機関の質だと言ってました。

あと、『兵役中は北からの脅威についてどのように考えてたのか?』と聞くと彼は、『北朝鮮が攻めてくる可能性は低く、今北がやってる事はほとんどがパフォーマンスだ。』と言ってました。

なので、そこまで危機感とかがある感じではなく、兵役に就く必要があるからその期間だけ就くという、一種の通過儀礼のような位置づけのように感じてたようです。

最後に兵役のメリットについて。

多くの韓国の友達は『兵役はもうやりたくない』と言うんですが、それと同時に『兵役をやって良かった』と言っています。

と言うのも、兵役中の礼儀や作法の教育がしっかりしているので、知識量が増え、立ち振る舞い方を知ることができ、圧倒的に体力や忍耐力がついたと。
その結果、『韓国では男と女の間で知識格差があるんだ。』って言ってました。

あと、これは実際に聞いた事ではなく、僕の実感ですが、部隊や時期は違えど同じ兵役をこなしたことによって、ある種の一体感や仲間意識が韓国人の間で生まれてるなと思いました。
そのメンバーが将来企業を担う役割になった時に、強いチームワークを生み出すことで韓国の企業は伸びたのかなーと。

『戦争が起こらない』と言う大前提の元で考えると、兵役のような時期がある事は大きなメリットを生むのかなーと思いました。
まぁ現実問題、今の日本でやるのは難しいし、無理だとは思いますが。

次に慰安婦問題について。

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慰安婦問題については、ある日の昼食に食堂でご飯を食べながら今まで行ったことのある国について話をしている時にある友達が、『comfort women』の事は知ってる?って聞いてきたことから始まりました。

最初『comfort women』の意味がわからなくて、何の話をしてるんだろうと思ってたんですが、google翻訳で調べると、それが慰安婦だと言うことがわかりました。

彼は『慰安婦問題について日本人がどう考えているか?知りたいと思っているけど、どの日本人に聞いても良く分からないって言われて話が終わっちゃうんだ』と言ってて、これは日本人として大問題だ!と言うことで時間を作って話すことにしました。

話したときの会話の流れをそのまま書いたので、読みにくかったらすみません。

まず最初に慰安婦がいたかどうかについて話しました。

僕は『今の風俗嬢のような、お金を貰ってそういうことをする人がいたが、それらは全て募集して集めたもので、強制ではない』という主張をしました。

彼は『韓国人は仕事があるからと集められ、そこに行くと実はその仕事が慰安婦だった。だから強制だったし、中には惨殺される人もいて、その証拠写真がこれだ!』と当時の募集票の写真や韓国語と日本語翻訳がされているサイトのページを見せてきました。

35年間の支配や滞在していた部隊の多さから100パーセント強制的な行為や殺害事件がなかったとは言えないので、一旦慰安婦がいたとして話を進めました。

その後、仮に強制的な慰安婦がいたとして、その人たちが被害について日本の安倍首相に認めて欲しいという主張をしたが、安倍首相がそれを認めなかったことについてどう思うか?という話になりました。

僕は『それを認めさせるのは難しい。と言うのも2015年に日本と韓国の国家間で慰安婦事件に関して話を終わらせましょう!って言う締結(日韓合意)をして、その際に日本は韓国に対して支援金を送っている。もちろん、第二次世界大戦で負けたから、その前からずっと賠償金を払っているし。
国家間で決まったことを、個人→国で主張して認めさせるのは無理だ。もし、この件に関して問題提起するならまず韓国の政府に言うべきだし、もし、今回の締結を破棄するならその際に払った支援金は返却すべきだと思う。』と言う主張をしました。

これに対して、彼は『でも、強制的な慰安婦がいたのは事実だからそこに対して認めないのはおかしい。ドイツは現在もユダヤ人に対して支援金を行なっていることを知ってるか?ドイツは第二次世界大戦で犯した罪に対する支援をずっとしてるのに、日本が辞めるのはおかしい。日本は韓国に対してひどいことを行なったのだから。』と言ってきました。

この意見に対して、僕は『ではなぜ日本とドイツが支援をせざるを得ない状態になったか知ってるか?それは戦争に負けたからだ。もし、本当に仮の話だが日本やドイツ・イタリア軍が第二次世界大戦の時に勝っていたら、韓国に賠償金を払うとか、行なった行為に関して支援を行うとかそう言う事態は起きてなかっただろう。そう言うお金は全て負けた国が払うものだからだ。
それに、1900年前後の植民地支配の中で確実に植民地支配後に多くの征服された国で強制的な慰安婦はたくさんいたし、殺害もあった。だから今の多くのアジアの国でいろんな肌の色の子どもがいるし、実際にフィリピンでも混血児が多くいる。日露戦争の時にソ連軍のバルチック艦隊が泊まった寄港地では、どこも慰安婦だらけだったと言う資料も残っている。
では、なぜこれらの国が処罰されないのか?それは戦勝国だからだ!勝った国が全て自分達の都合のいいように解釈して作るから負けた国の問題になって、賠償金支払いの義務が生まれる。日本は第二次世界大戦で負けたから韓国やその他の多くの国に賠償金を支払った。』と主張しました。

この話をすると、彼は一瞬止まってそれは本当のことか?と言う反応をしたあと、考え直して『それでも日本が行なった行為は悪いことだそこの認識はあってるか?』と聞いてきた。

あまりにも日本が行なった行為を悪く言われるので、ベトナム戦争時の韓国兵の話をした。

ベトナム戦争時に傭兵として戦争に参加した韓国人は、ベトナム人の村を見つけると、村の人を全て殺して、女性にはレイプ→殺害。全ての金品を略奪していたと言う事実をベトナムを旅していた時に、多くの博物館で資料として確認して知ってたので、韓国人が行なった行為についてはどう思っているのか?と確認してみた。

また、日本は韓国に対してその罪を償う為に賠償金を払ったが、韓国はベトナムに関して何もしてない。仮に虐殺・レイプを日本が行なっていたとして、日本は罪を認めて賠償金を支払っているが、韓国は何も行っていない。日本の方がまだ誠実だと思うが?と言う風に聞いてみた。

すると、彼は『もちろんベトナム戦争時に虐殺、強奪、レイプをしていたのは知っているが、そこに政府は関与していなかった。だから国が責任を取る必要はないし、国の問題ではない。それに対して、日本は政府が慰安婦を作る事を許容して、慰安婦を管理する施設も作っていた。国がこのことに関与して動いていたという事実が一番の問題であり、国が関与していたから国が責任を取るべきだ』と言ってきた。

彼からすると、行為に対して国が関与したか?していなかったか?が一番の問題らしい。

僕は『当時を振り返ると、日本が慰安婦を管理することは当然の事だと思う。と言うのも満州事変が1931年からずっと続いていて、ずっと戦時中だ。満州国への兵の供給ラインである朝鮮にいる兵が変な事をして、戦えない状態になったり体調不良になると大問題だから、性的な感染経路になる可能性がある慰安婦が病気にかかってないか確認したり、生活を管理したりするのは当然だし、軍の規律を守る為に政府がそれに関与することは当然だと思う。だって、そこが戦争の戦場となり、ずっと戦争が行われていたのだから。
韓国は南北戦争の後、国の体制がしっかりしてない状態でベトナム戦争が始まり、傭兵として出て行った兵士を政府が管理できていなかったのは、政府の力がそこまで及ばなかったからだ。
行なった行為・行動は同じだからそこに差はない。』と主張しました。

それでも行なった行為に関して政府が関わったか関わってないかが一番の問題だとずっと言ってくるので、結局今日の話をしてどうしたかったのか?と聞いてみると、彼は『日本が韓国に行なったことが悪であると言う自分の意見を僕に主張し説得し認めさせたい』と言ってきた。

それは無理だ。と伝えた。
なぜなら僕は歴史感に関して自分で勉強して、自分なりの解釈や理解があるから、彼の意見を一つの側面として捉える可能性はあっても、彼の意見に傾倒されることも、彼の話の根拠が正しいとも思えないからだ。

結局国が関わったことが、問題になるか?ならないか?という話をいろんなたとえ話を交えながら続けていると就寝時刻の12時になり警備のおじさんにもう部屋に帰れ!と言われ、それで一旦話は終了した。
気づけば2時間ほど話をしていたようだ。

結局それ以降話す機会がなかったので、この状態で話は終了。
話の後も彼とは同じグループクラスを取ってるので、普通に挨拶し、普通の会話をして普通に過ごしてました。

今回の話で、新しい歴史に関する考え方や捉え方を知れたし、自分の知識が足りてない部分もわかったので、また調べてみようと思う。
それにしても、Google翻訳を使いながらでも、英語でこれだけのことが話せるようになったのは嬉しかった。

その後調べた内容はこちら↓
日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

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エルニドでダイビングしたら最高の景色が目の前に広がってた〜死ぬまでに1度は潜りたい場所〜

ハロー!つばさです!!
フィリピンのセブ英語留学を一旦終え、現在フィリピン最後の秘境と呼ばれているエルニドにきています!
エルニドに行くきっかけは、エジプトのダハブでダイビングライセンスを取得した際にお世話になった、インストラクターのたけしさんやすみよさんが現在エルニドで働いてて、『会おう!飲もう!一緒に潜ろう!』ってなったから。
この軽いノリで会いに行っちゃうのが旅人スタイル。笑

ダハブの時の記事はこちら↓
ダハブでダイビングライセンス取得!〜楽しい仲間と充実の日々〜

エルニドの凄さをダハブで聞いてた時は、何割増しの話なんだろうか?とか思ってたけど、実際行ってみると想像以上で大満足の結果に!
凄すぎて、1日だけの予定のダイビングを2日に変更しました。笑

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僕らが今回エルニドでお世話になったのは『Submariner Diving Center』。
たけしさんとすみよさんが所属してるダイビングセンターは真ん中の白い建物です。

僕らがエルニドでダイビングをお願いしたサブマリーナダイビングセンター

ダイビングセンターのHPのURL→こちら

半年ぶりのダイビングなので、知識もちょっとあやふやでちょっとした不安はありましたが、エルニドの海はどんな景色を見せてくれるんだ?と、ウキウキ・ワクワク・ドキドキで船に乗ってダイビングのポイントに向かいました。

移動中に、一緒に船に乗っている人の自己紹介や、担当のダイビングマスターとミーティングをするとダイビングポイントに到着。

ダイビング前の自己紹介
ダイビング前のミーティング

ダイブマスターのウィンデルと共に
インストラクターのウィンデルと一緒に

ダイビング前のミーティング

いよいよダイビング開始です!
エルニドすげーってなった瞬間です。

あゆみは基本海が怖いので、最初はめっちゃ緊張してましたが、いざ海に入るとエルニドの綺麗な景色に目を奪われ、余裕で泳いでました。
海の中では、本当に綺麗な景色が広がってました。

1本目のダイブでは幸運にもウミガメを発見!
まわりに多くのダイバーが来てちょっと戸惑ってましたが、こんなに近くでウミガメ見れるとか最高です。

なんと!?ダイビング中にウミガメ発見

それに魚群!海の中でこんなに多くの魚群を見たことがなくて、テンションがめっちゃ上がって、僕のエアタンクの空気はめっちゃなくなってしまいました。130→80になってたのを見た時はめっちゃ焦ったなー。笑

エル二ドでのダイビング中に見た魚群

エルニドで魚群発見

エルニドで魚群と一緒に泳ぎました

水族館のようにいろんな色の魚がいて、そこで見た魚群もめっちゃ良かった!

エルニドの海は素晴らしい

ダイビング中に見たこの景色は忘れられない

ダイビング中の写真を撮るあゆみ

なんと水恐怖症のあゆみが水中でレギュレーターを外して笑顔を作りました!そんな中僕の顔ときたら・・・笑
エルニドの海は最高なのに・・・

でも最後にはこんな感じで笑顔で写真撮れるようになりました。
ダイビング中も笑顔だよ!

2日目最後のダイビングでは洞窟に突入しました。
洞窟の中では幻想的な風景が広がってて、めっちゃ感動しました。

洞窟の入り口
いざ!エルニドの洞窟へ

幻想的なダイビング。私アドバンスとって良かった1

幻想的なダイビング。私アドバンスとって良かった2

洞窟ダイブを終えた後にあゆみが『私アドバンスのライセンス取って良かった!』って言ってたのがめっちゃ印象的で、それくらい最高の景色でした。

この洞窟の中でウィンデルがフィンを外して歩いたり、ジャンプして魚を捕まえようとしたり、洞窟の天井に立ったりしてる姿はまるで宇宙空間にいるかのような錯覚を覚えました。
魚を掴もうとジャンプしてるのを見てめっちゃ笑って、ここでもエアの消費が半端なかったな。笑

エルニドに現れたアストロボーイ

毎度おなじみのニモ!最近英語学習の為にニモの映画を見てるので、なんかめっちゃ親近感が湧きました。

ダイビング中にニモ発見

めっちゃ変な形の魚。最初岩かと思ってたらよく見たら魚だった。

ダイビング中に変な魚発見

巨大バラクーダの集団
ダイビング中に 見つけたバラクーダ

海から見る太陽もめっちゃ綺麗!なんだかんだでこの景色が一番好きかもしれない。

ダイビング中に空を見上げるとこの景色がめっちゃ綺麗

ダイビング一緒にしたメンバーの集合写真!!

エルニドで一緒にダイビングしたメンバー

カメラマンのすみよさんと自撮り撮影

ダイビング中に自撮り

すみよさんは基本的に撮影側やから一緒に撮ってる写真が少ないのが少し残念。

今回一緒に潜ったのは、このメンバー!

エルニドで一緒に潜ったメンバー

インストラクターのたけしさん
水中カメラマンのすみよさん
ダイブマスターのウィンデル
ダハブで一緒にライセンス取ったみずきちゃん
みずきちゃんの友達のあやかちゃん
に僕ら。

ダハブで一緒に潜ったり、生活してたメンバーが半年後にフィリピンのエルニドでまた再会して、一緒にダイビングができるって凄いことやなーと思いました。
しかも、僕らは日本では1回も会ったことないからそれもなんか変な感じやけど、これが旅人スタイルということで。笑

あと、ダイブマスターとして付いてきてくれたウィンデルはめっちゃ目が良くて、僕らのエアタンクに残量を目で見て確認してたって最後に聞いた時はめっちゃ驚きました。
ウィンデルもめっちゃおもろくてノリが良くていい奴やった。

いやーエルニドほんまに最高でした。
僕らにエルニドを紹介してくれた、たけしさんにはほんま感謝です。
どのダイビングスポットがいいかわからないので、毎回お任せで行ってましたが、どのダイブサイトもめっちゃ良かったです!
これからエルニドでのダイビングを検討してる人にほ是非行ってもらいたいなーと思うし、その時はたけしさんに連絡して見てください!
きっと要望に合わせたダイビングスポットを紹介してくれると思います!
大満足のダイビングができること間違い無し!!

たけしさんの名刺

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ここに連絡したらいいみたいでーす!
info.u3.labo@gmail.com

ちなみにダイビングの日のスケジュールはこんな感じでした。

7:45 ダイブセンター集合

午前中に2本ダイビング(休憩時間は海に飛び込んだりして遊んでました)

たけしさん大ジャンプ

俺も飛びました

昼食

お昼ご飯もめっちゃうまい1

サブマリーナダイビングセンターの上のレストランのシェフが作ってくれるので、めっちゃ美味しかった!
お昼ご飯もめっちゃうまい

昼食後に最後のダイビングをして、15:00くらいに到着。
18:00~20:00ですみよさんが撮ってくれた写真をダイビングセンターの上のレストランでお酒飲みながら見たりかったり、その後一緒にご飯食べたり飲んだり!

レストランでみんなで写真撮影
最後に参加者全員で撮影

いやーめっちゃ充実した日々でした!
エルニド最高!!

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あまり知られていないプエルトプリンセサと日本の悲しい歴史

はろー、あゆみです!!
ようやく重い腰を動かしてプエルトプリンセサから移動か!?という感じでーす。次はマニラに行く予定!!

実はプエルトプリンセサに来て初めて知った日本の歴史があります。そのことについて今回は紹介したいと思います。

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キレーな教会があるらしいから行ってみよーぜ!!ってノリで訪れた教会「イマキュレートコンセプション大聖堂」
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この横にひっそりとあったこの場所。
実はここに悲しい歴史が隠されていたのです。
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ここは、「Plaza Cuartel」
この門の横にはこんなことが書かれていました。

1944年12月14日に、150人ほどのアメリカ人の捕虜が日本兵によって焼き殺された

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え!!?と思ってさっそく中へ。
中は公園のようになっていて、第二次世界大戦時のパラワンについて書いてありました。
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ビサヤの戦いというのがあったほど激しい戦場と化したフィリピン。
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よく考えたらフィリピンって、第二次世界大戦で日本軍と連合国軍の戦場になってしまった場所なんですよね。

で、ことが起こったのは、1944年12月。
なんと日本軍はアメリカ人捕虜に、「空襲が来たから防空壕に入れ」と指示を出し
アメリカ人が入った防空壕にガソリンを付けて火を放ったそう。
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なんてこと!!

1944年12月というと、戦争も末期に近づき日本軍も疲弊してきたころで、しかも連合国軍がフィリピンに上陸したという誤報もあいまってこんなことをしたそうだ・・・。

この公園には、そのアメリカ人捕虜たちの殺された場所に記念碑が立っていました。
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旅行していると、日本人って割といろんなところで良いことをしてきてて受け入れてもらえるから、日本人であることを誇りに思うんだけど
ここにいるとき、日本人であることが居たたまれなくなりました

で、もっと知りたいって思って次の日行ったのは「World War II Memorial Museum」
1人50ペソで入れます。
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入り口にあったこれ・・・
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実はアメリカ軍が日本軍からフィリピンを勝ち取った時の様子っていうw左手に持ってるの大日本帝国の国旗だからね。
中に入ると、USアーミーの服着てジープ乗って写真撮らせてくれるってので撮りました。
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なんか日本人なのに皮肉な・・・・。

最初にパラワンで起こった虐殺の様子について写真付きで説明がありました。
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アメリカ人の捕虜ってこんなにもやせていたんだ・・・って可哀そうになります。十分にご飯食べさせてもらえなかったんだろうな・・・。
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日本人の大将や少尉たちが”犯罪者”として貼られていました。
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で、ここが実際にアメリカ人捕虜が焼き殺された防空壕。
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そして生き残った人たち。
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焼き殺した日本人はそのあと捕虜となり、東京で裁判を受けることになります。
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なんかこの表情を見てると、ただの普通の工場のおっちゃん・・・みたいな感じがして・・・。本当はこんな事したくなかったんだろうな、とか、
日本軍の上の命令に逆らえなかったんだろうな・・・とか、思っちゃいます。

奥の部屋に行くと、パラワンの軍のコーナーと
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日本軍のコーナーと
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アメリカ軍コーナーと

なぜかいろんな国の戦争グッズを集めたコーナーがありました。
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パラワンで見る日本軍のモノ・・・。フィリピンって戦場だったんだなって思わされます。
戦場に出ていく子の寄せ書きがありました。
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そこには、ひっそりと英訳が・・・。
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ちなみに日本の兵器が並べられてるコーナー
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長さ足りてないから!!笑 
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ちゃんと図ってからつくろーね!さすがフィリピン(笑)

ふつーに置いてある爆弾。
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そしてこういう風に飾られると違和感を感じるのは、自分が漢字が読める日本人だからか・・・?
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アメリカのコーナーに置かれているグッズはどれも大きかったです。
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これは日本勝たれへんやろって直感で感じました。

ちなみに・・・フィリピンの展示は・・・

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なんかテイストちがくね・・・?

このほかにも、フィリピンで当時使われてた大日本帝国が発券したペソ札とか
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記念切手
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さらには捕虜の人が書いた手紙(日本軍の検閲印あり)
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なんかもあって、なかなかすごい博物館でした。

ここ、プエルトプリンセサにくるまでは全然知らなかった悲しい歴史。
こうやって実際に行ってみることで初めて知って、興味を持つ機会が与えられるんだな、と思いました。

「Plaza Cuartel」の場所

「World War II Memorial Museum」の場所

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英語留学してきました!〜フィリピンのセブにあるCELLAで4週間の修行〜

ハロー!つばさです。
今回の記事はフィリピン英語留学をしてきたので、そのことについて書きます。

僕が行った学校はCELLAという韓国人経営の英会話学校。

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この学校に通うことに決めたのは、僕が取りたいと思ってたTESOL(英語を使って英語を教える資格)って資格がフィリピンで唯一取れる学校だったからです。

留学の目的はTESOL取得の英語力に到達すること!CELLAの規定ではTOEIC700点以上+電話面談での英語力なので、かなり高い壁やけど頑張ります!(ちなみに世界一周前に受けたTOEICの成績は275点とかだった。。。)

留学エージェントの人や学校と話をして、まず4週間留学して僕の英語力を確認しつつTESOLコースに入れるかを確認。
で、もう一度4週間留学してTESOLコースを受けるか、そのまま直接TESOLコースを受けるかを相談して決める予定なんですが、僕としてはどうしても後者のパターンで進めたいんです!!

というのも、4週間の留学にかかる費用は18万円くらい、TESOLコースの金額は25万円くらい。
もし留学8週間にTESOLだと、3ヶ月で61万円も掛かってしまう・・・なので、なんとか費用対効果を上げて、4週間の留学→TESOLの43万円コースで留学を終わらせます!(勉強頑張って18万円浮かしたい!!)

ブログの最後に僕なりのフィリピンの語学学校選びのコツ書きます。

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CELLAは、フィリピンの英会話学校の中ではセミスパルタって言う部類の学校です。

CELLA外観
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平日(翌日授業がある日)の門限は22時で、その時間を超えると警告が出ます。(ちなみに警告4回で強制退学)
金・土は外泊可能ですが、外泊届を出す必要がありますが、外泊届は簡単に出せるので、ルームメート達は毎週週末にセブ付近の島にアイランドホッピングに行ったり、ダイビングのライセンス取得したりしてました。

学校の概要はこのサイトを→CELLAについて

が、僕にはとにかくTESOL受けれるラインに到達する!という目的があるので、ルームメートの誘いをひたすら断り続け、勉強漬けの毎日を過ごしてました。

学校でのスケジュールはこんな感でした。

7:00-8:00 朝食

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だいたいこんな感じのメニュー
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8:00-12:30 授業(50分授業→5分休憩の繰り返しを5回)

12:30-13:30 昼食

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韓国で鶏肉の日ってのがあってその関係で鳥が出た
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13:30-16:10(50分授業→5分休憩の繰り返しを3回)

16:15-17:05 自習時間
普通に授業受けて、自習するだけで、7時間30分の勉強時間になります。

17:05以降はフリータイムで、18:00-19:00が晩御飯でした。

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僕はかなり切羽詰ってたので、だいたい授業後はずっと自習室に籠ってました。
授業終わって自習室行って、晩御飯食べて自習室に戻って、23-24時くらいまでずっと自習室で勉強をするという生活。
学校のみんなには『いつも自習室にいる奴』と言うレッテルを貼られました。笑

CELLAの自習室は綺麗なので、結構良かった。
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自習室では、その日の宿題やったり、日記書いたり、単語覚えたりとりあえずやることが多すぎていつも頭がパンパンになってました。

こんな勉強したの、大学受験以来かもしれない。。。
大学時代の受験に関して書いた記事はこちら→人生の転機〜将来の目的が見つかった高校時代〜

環境に身を投じてしまえば、あとは勉強することを自分のルーティンにして、勉強が嫌な時はうまく休憩入れて勉強することを嫌いにならないようにして、いつも自分の勉強方法は効率的なのか?他に良い方法はないか?考えたり、いろんな人に方法聞いたり調べたりして進めてくだけなので、自己管理をしっかりしながら勉強を進めました。

最終の目標はTESOLコースに入ることなので、日本人マネージャーの方に協力してもらいつつ、TESOLコースの先生とインタビューするタイミング作ってもらって、現在の自分に足らないスキルは何か聞いて、そこを徹底的にやってみたり。

結果的にめっちゃキツかったけど、なんとか9/11からTESOLコースに参加できるようになりました。
日本出国前に受けたTOEICも目標の600点をなんとか超えて615点!

3週間目の金曜日にあった学校の生徒全員ので受けるテストでは、なんとか学校の中でTOP10に入れました!
今まで英語のテスト結果で称えられることがなかったので、めっちゃ嬉しかった!

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最終日には先生と一緒に写真を撮りました!

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留学中に聞いたいろんな話は別の記事でまた書きます!
最後に英語留学の学校選びの3つのコツについて書きます。

1,学校に入学するタイミングについて

2,学校の人種比率について

3,留学前の準備について

まず学校に入るタイミングについて
だいたいの学校は1ヶ月に1回くらい実力テストを行うように日程を組んでます。
また、入学時に英語力を計るテストがあります。(最初の月曜日はだいたいこれで潰れる。)

なので、4週間以上の留学の際は留学期間(1ヶ月目)の最後の方に実力テストがくるような日程にし、1~2週間の超短期留学の場合は実力テストがないタイミングで入るのがベストです。

1番悲しいのは、最初のテストとオリエンテーション→金曜日実力テスト(金曜日も潰れる)この場合だと1週間のうちの2日間がテストで潰れてしまうので、留学費がめっちゃもったいないです。
1~2週間の滞在期間の方からしたらかなりの損失になります。

あと、フィリピンの祝日がいつかも調べておくべきです。
フィリピンの祝日は学校が休みになるので、その期間も無駄になるので。(ちなみに僕の留学期間は祝日なしです。)

次に学校の人種比率について

これは僕の個人的な意見ですが、やっぱり日本人比率が少ない学校がオススメです。
どうしても日本人がいると日本語を使ってしまうし、日本人同士群れてしまう可能性があります。
これって、せっかくお金かけて留学してるのにもったいないと思います。

せっかくなので、日本人以外の人種が多いとこに行って、英語でコミュニケーション取ってみるのがいいと思います。
そうするといろんな交流ができるとし、英語力のアップに近づくと思います。
実際僕はルームメートが全員韓国人だったので、韓国や日本のことについてたくさん英語で話せたし、韓国の兵役についても知ることができました。

ただ日本人も結構必要で、その学校のいい先生を教えてもらったりとかなりいろんな情報教えてもらえてめっちゃ助かりました。

最後に留学前の準備について

海外留学すれば英語力が上がるというのは幻想だと思います。とくに1~4週間の留学に関して。
でも、海外留学をすると圧倒的に英語と触れ合う時間が長くなるので、勉強した知識を体になじませることに関してはかなり効果があると思います。

なので、これから留学する人は絶対に留学前に簡単な文法の知識や語彙力を増やす努力をしてから行くべきだと思います。

海外でわからない英文法を英語で説明されても、それを理解することはかなり難しいと思いますし、自分で、日本でできることをわざわざ大金払っていく留学中に教わるのも費用対効果が悪すぎます。

今回の留学で最も重要だと思ったのは、留学前の準備です。
ここに力を入れるのは絶対に重要だと思いました。

以上学校選びのコツでした!

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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

プエルトプリンセサには食べ飲み放題の日本食料理屋があった!!

はろー、あゆみです!!
いまフィリピンはプエルトプリンセサで沈没してまーす(笑)
(沈没とは、滞在費が安い場所に観光することもなく長期滞在することw)
実は昨日プエルトプリンセサで食べ飲み放題の日本食レストランを発見して、あまりにもカンドーしたので記事を書くことにしました(笑)
プエルトプリンセサに行く際はぜひお立ち寄りください。

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「日本食」という単語だけだったり「食べ放題」だけだと、そんなにビビッとこないんだけど、
飲み放題」という単語には敏感に反応する私w

最近ずっとシシグやらレチョンやらガーリックライス、フライドチキンばっかりだったので、日本食にちょっと飢えていました。
プエルトプリンセサって港町だから、いい感じに海鮮食いてー、そしてできれば日本食が食いてーと思って
宿でダラダラ、「プエルトプリンセサ 日本食」で調べていたら、めっちゃ素晴らしいレストランを発見!!

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食べ放題&ビール飲み放題で550ペソ(1200円)。
しかも、食べ放題の写真には、寿司やら刺身やら餃子があるではないか・・・!!

これは行かないと・・・!!!

しかも、宿から歩いて5分というこれまた好条件!!←

お店は17:30からなんだけど、食べ放題ということで、朝から何も口にせずに挑みます!
一応昼間に教会見たり、第二次世界大戦のモニュメントがある公園行ったり、ベイウォークとか歩いてみたけど・・・

口が日本食を欲しすぎてる・・・w

結局、17:30キッチリにレストランに到着。名前は「富士山」
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お店の外には、食べ放題以外のメニューも貼ってありました。
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が、断然うちらにはこっちがお得すぎる!!
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ちなみに、ランチは同じ内容で499ペソらしい。今度はランチの時間に行こうか・・・w
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お店の中には・・・
ふじさーーん!!
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癒される作りになってました。
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さっそく食べ飲み放題メニューが渡されました。
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ってか!!冷ややっこあるやん!!!
豆腐欠乏症になってた私はソッコー頼みましたよw

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ネギもあるー、しょうがもあるー!!
しょうゆはちゃんと日本のお醤油だし!!!

うれしすぎー!!
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今日は濃さより量を飲もうと決めていたので、サンミゲルライトで一気にかっこみます(笑)

つばさはトンカツ頼んでました。
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これもめっちゃおいしい・・・。
そっからは、刺身頼んだり焼肉頼んだりお寿司頼んだり・・・
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なんかさ、テーブルの上がフィリピンじゃないよね。完全に日本だわ
お寿司のシャリもめっちゃいい感じ。

そして、一番感動したのは・・・そば!!
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めんつゆもめちゃくちゃ美味しくて、ここはプエルトプリンセサじゃないだろ!!!

つばさは、おそばに感動したらしく・・・
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ざるそば1杯と、天ぷらそば2杯食ってました。
あと、お吸い物がおいしすぎて、たぶん5回ぐらい頼んだと思う。

その他、寿司のセットを4人前とか、刺身4人前とか、焼肉4人前、餃子2人前とかホンマにありえへん量を食べまくり、ひたすらビールを飲みまくったあげく・・・

「もう、サンミゲルライトないよ」
「え!!」

お店のサンミゲルライトを飲み干しました。

結局、4時間飲み食いしまくって、お店にお客がうちらしかいなくなった・・・!!笑
店員さんも、うちらの暴飲暴食っぷりに引いてた・・・笑

そして最後にビビンバでしめました。これも美味しかったー!!
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みよ、この満腹を・・・。
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絶対元は取った!!ってか、たぶんお店からしたら赤字だし、ブラックリストに乗ったかもしれんw
プエルトプリンセサにいる間にもう一度行きたいけど、入れてくれるかなぁ・・・笑

お店の場所情報です↓

オーナーさんが日本人みたいで、確実に日本の味です。店員さんもテキパキしてて良かったよ。
プエルトプリンセサに寄った際はぜひ!!

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ご無沙汰してます。近況報告と・・・あ、本を出版しました(笑)

はろー!ご無沙汰してます。あゆみです!
もうついに8月ですね!!はやいっ!!あと5日で誕生日だっ。あぁおそろしい・・・笑
ちなみにいまは世界一周も終わり、いまはセブのCrossxroadという語学学校でインターンをしてます!
そしてつばさはCellaという学校に通ってます。
じつは私の方が2ヶ月前にフィリピンに来てて、5月6月は、遠距離夫婦生活だったっていう・・・w

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3ヶ月のインターン生活もあっという間で、あと残すところ1週間。
クロスロードはスタッフもほかのインターン生もすごく良くて、さらに来る生徒さんも面白い人ばかりで、めちゃくちゃたのしー!!

ご飯もとてもおいしいし、
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毎週火曜と木曜はDrinking Party!!(でも結局毎日飲んでるけどw)
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フィリピン人に書道教えたり路上書道なんかしたり
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セブ、阪神会に参加して
そのノリで阪神vsヤクルト戦会なんかしたり。
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先生のおうちに行って、ブディーファイティングもしたよー。
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ほんで一瞬だけカジノで爆勝ちした(笑)
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ただ、英語の方はというと・・・最初の1ヶ月半は必死に頑張ってましたが、1ヶ月半経ったところで「なんで頑張ってるんだろう?」とか思い出して、
さらに、持ち前の英語嫌いが再発して、スランプに陥ってました・・・w
今はというと、そこまで頑張りもせず毎日4時間先生とレッスンしながら、嫌いにならない程度に英語と向き合っています。

私のインターンの業務のwebライティングについては、書き方をいろいろ教えてもらって身に着いてきたかなーという感じです。
ただ、1日4時間の英語と、5時間のライティングは割と疲れる・・・w
というわけで、8/6からシンガポールとフィリピンのエルニドに行ってゆっくり休みまーす!楽しみ!!

そして、私の趣味が功を奏し(笑)
じつは・・・

本を3冊出版いたしましたー!!!(パチパチ)

全部・・・kindleのセルフ出版だけどね(笑)

内容は、南米の旅行について・・・。
このブログにも書いてるけど、南米マジでいろいろあったよなー。
強盗に盗難にスキミングにバス立ち往生に・・・

やっぱ思いを巡らせてみると悪い思い出の方がネタになるよねw

でもそんなこんな色々あってもやっぱり南米が一番好きっ

ということで、南米愛をまとめあげた本です。1冊1ドル(110円ぐらい)なので、ぜひ買ってみてください!!
↓画像かリンクをクリックしたらkindleに飛んで買えまーす!!

1
なんてったって南米。第一章スペイン語留学とペルー編

2
なんてったって南米。第二章ボリビア編

3
なんてったって南米。第三章パラグアイ編

さらに、3冊では飽き足らず・・・まだまだブラジル編、アルゼンチン編も執筆予定ですw

次の記事は、つばさがフィリピン留学について、総集編かいてくれるんじゃないかな?笑
それじゃ!!

P.S.焼酎ロスになると思ってたけど、町家マートに焼酎いっぱい売ってたからどうにかなりそうです(笑)
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フィリピン留学の詳細が決まりました!〜アドバイス頂いた皆さん本当にありがとうございます〜

こんにちわ!つばさです!
いろんな方からの助言のおかげで、遂にフィリピン留学の詳細が決定しました。
もともと想定していたのと全然違う形にはなりましたが、僕ら2人にとって最良の選択になったのではないかと思っています。

僕のFacebookでの突然の投稿に対していろいろアドバイス頂いた皆さん!
本当にありがとうございました!感謝感謝感謝です!!!!!

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今回はフィリピン留学に関して、スケジュールや学校選択などに対して試行錯誤して決定した過程を書こうと思います。

今回のフィリピン英語留学の当初の目的はこんな感じでした。

僕:英語能力の向上、英語で授業を行えるようになる、TESOL(英語を使って第二言語として英語を学んでいる国の子どもに英語が教えれるようになった)と認定される資格の取得

あゆみ:英語を使った会話をスムーズに行える

この目標に対して、よくわからんがみんな行ってるしとりあえず4週間フィリピンに英語留学に行こう!って決めました。
その際の記事はこちら↓
世界一周辞めるわ!〜旅って感動しなくなったら終わりだよね!〜

で、今まで世界中で出会った知り合いの中にフィリピン留学に行ったことのある人や、これからフィリピンで宿の管理をする人が居たので、その方たちに直接メッセージしていろいろお聞きしつつ、僕が聞いてないだけで『実はフィリピン留学したよ!』って人からアドバイスもらうためにFacebookにこんな投稿をしました。

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僕の周りの人は本当にめっちゃ優しくて、連絡入れると直ぐに返信が返ってきていろんな体験した情報教えてくれたり、SkypeやLINE電話を使って実際の体験を直接会話して教えてくれたり、Facebookにコメントくれたり、直接メッセージをくれたり、留学エージェントの方を紹介してくれたり、と本当に本当にめちゃくちゃサポートしてもらえました。

世界一周中に出会った多くの友達だけでなく、大学生の時の友達からも連絡きたのもなんか嬉しかったなー!

あと、大学生の時の友達の一人から、セブで僕らが連絡取ってた『クロスロード』の管理人さんをしてるダイスケさんに会ったって報告きた時はちょっと驚き、世界の狭さを感じました。

いろんな方からのサポートを受け、あゆみと2人で、『オレ達ってほんまに人に恵まれてるな・・・』って本当に思いました。

アドバイスは簡潔にまとめるとこんな感じです。

・日本人経営のとこに行くと日本人が多いから微妙かもー
・田舎に行くと誘惑が少ないからいいよ
・国籍比率が多様な場所がいいんじゃない
・とにかく英語しか話せに環境にいけ!(学校内で母国語を使うことを禁止してる学校など)
・友達がフィリピン留学の斡旋の仕事してるから紹介しようか?
・マニラで留学して僕は恋しました!
・イロイロってとこが良いらしいよ!(私行ってて良かったよ!)
・スヌービックってとこに行って良かったよ!
・あります!二人にうってつけの語学学校!
・学校でのスケジュールはこんな感じだったよ!
・スパルタにこだわらず、復習時間が取れるとこがいいよ
・私たちが行った学校の人と仲良くなったんで、特権つけれます!
・この学校のご飯おいしかった
・僕その学校でインターンしてたんでちょっと詳しいです
・つばさ君って英語でやりとり全くできんわけじゃないし、ガンガン行くタイプやから、留学せずにworkawayとかWWOOF使って費用掛けずにそのまま英語圏で生活した方がいいんじゃない?

などなど。
いろいろ教えてもらったので、簡潔に書くことができませんでした。
いろんな話を聞けたことで、フィリピン留学に対してかなり鮮明なイメージが持てたのと、フィリピンで何を得ることを目的にするかが明確になりました!本当にありがとう!

行って良かった語学学校の名前もいろいろ教えてもらったので、調べました!

セブ
・pelis
CROSS×ROAD
CELLA

マニラ
English breakthrough

スヌービック
・EDT

バギオ
ストーリーシェア
・GETS

バコロド
・e-room

クラーク
CIP

イロイロ
・C&C

あと、僕は英語能力が向上した後に、海外のインターナショナルスクールで働きたいと思っていたので、アジアの就職に詳しいと言うCROSS×ROADのオーナーさんを、CROSS×ROADの管理をしているダイスケさんに紹介してもらって話すこともできました。
具体的なプランやTESOL取得に関して、また自分で英語を勉強する時のやり方も含めてめっちゃ勉強になりました。
ありがとうございます。

このように、いろんな方にアドバイスもらって、イメージしたり紹介してもらったエージェントの人と話をして僕らの留学計画は、もともと構想していたものとかなり違ったものになりました。

つばさの留学計画
4月〜7/9まで自己学習(勉強法はまた別の記事で書きます)
7/10からフィリピン留学:CELLAのSpeaking6を4週間

あゆみに留学計画
5月ゴールデン明けから、12週間CROSS×ROADでインターンシップ
(ブログ記事作成業務を行いつつ英語学習)

2人の留学が終わるのが8月頭。
フィリピンのセブに2人ともいるので合流して、workawayかWWOOFを使って英語圏の人のところに滞在しつつ、英語能力の向上を図る。

つばさの英語進捗次第だが、順調であれば9月or10月からTESOL取得コース(4週間)をCELLAで受講、もしくは、もう一度speaking6を4週間行った後、TESOLコースを受講。(学校のスタッフさんと要相談)
TESOL取得後は学校のプログラムの中でフィリピンの学校にインターンで2週間いけるので、それに申し込もうと思っています。

最初はとりあえず、フィリピン行こうって感じだったのですが、いろんな話を聞いたり、自分の考えを言ったり、自分の考えに対してアドバイスをもらったり、といろいろ進めてく中で、本来の僕の目的『英語で授業を行う(TESOL取得)』『インターナショナルスクールで働く』って言う2つにフォーカスした形の選択になりました。

あゆみは『僕が行くなら一緒に行こう』ってニュアンスだったんですが、僕がCROSS×ROADのオーナーさんと話している時にインターンの話が少し出て、その話を聞いて『英語がっつり学びにフィリピン行く』→『英語を学びつつ、仕事をして文章作成能力も磨く』に目的が変化し、その方がしっくりいくとのことなので、その選択肢にしました。

2人が別々の学校に行くと言う選択はもともと全く考えてなかったのですが、留学にかかる費用面や目的を考えた時に、この選択が1番合理的だったので、この選択をするに至りました。

最後に、僕がCELLAに行く事に決めたのには3つ理由です。

1,フィリピンでTESOL資格が取れる学校であると言うこと
2,在籍している先生の中にTESOL取得者が多いこと
3,マンツーマンレッスンんが多いこと

英語を使って英語を教えるTESOL資格の取得を考えているので、それが可能な学校にしました。
さぁこれで、道ができたので、あとは自分の頑張り次第!
これからは英語の勉強に集中していきます!!
アドバイスをくれたみなさん!本当にありがとう!!

本日もご愛読ありがとうございました。
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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

ハロー!つばさです。
韓国と朝鮮の軍事境界線(DMZ)ツアーのブログが長くなりすぎたので、前後半に分けることにしました。
まさかの前半は移動中バスの中での会話と、臨津閣(イムジンガク)公園を見ただけで終わってしまったんですが、いろんな貴重な話が聞けてめっちゃおもろかったです。

ちなみに前回の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編

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DMZツアーの為に、パスポートを見せて入ってからすぐに、ガイドさんはこんなことを言いました。

『ここから見えるあの道はソウルにつながる道なんだけど、あの上のコンクリートの部分の中にはダイナマイトがたくさん入ってて、攻め込まれた時に、進軍させない用にしている。』

『ここら辺は全地帯に地雷が埋められていて、道を少し逸れると、地雷地帯なので絶対入ってはいけない。7月とかは雨がめっちゃ降るから地雷が雨で流れてきて、たまに踏んで怪我する韓国人がいる』

道路沿いには地雷危険のマークが
P4089394

『この施設に地雷を発見する部隊の人がいて、600人ほどが所属している』

IMGP4145

『この施設の先がケソン工業団地になっていて、工業団地が使われていた時はここから韓国人は工業団地に行っていた。』

IMGP4142

進軍を防ぐ為のダイアマイトの壁や、地雷危険マークなど全く見たことはなかったので、かなり驚き、また停戦中ではなく休戦中なんだということを改めて実感しました。

そんな話を聞いていると、南侵第3トンネル&DMZ映像館に到着しました。

P4089400

係員に確認したところ、第3トンネルの前に先に映像と資料館に行くことになったので、そっちに向かいました。

P4089401

映像を見る時は、日本語が聞こえるヘッドフォンをつけることができたので、内容をしっかりと把握することができました。

P4089403

映像ではこんなことが話されていました。
韓国と北朝鮮の軍事境界線は、世界で唯一の休戦地であるが、停戦中も北朝鮮は韓国侵略の為のトンネルを作っていた。

1974年11月17日
第1トンネルを発見

1975年3月24日
第2トンネルを発見

1978年10月17日
第三トンネルを発見

第3トンネルは、1時間に3万人の兵力と武器を動かせる程の大きさで、北朝鮮の侵略意欲の本気度が明らかになった。

1990年3月3日
第四トンネル

北朝鮮はこのようにトンネルを使ってソウルを強襲しようとしていた。
北朝鮮は10のトンネルを作っていると言われていて、まだ4つしか見つけられていないことのに危機感を感じている。

休戦中にも関わらず、北朝鮮は下はトンネル、地上、海上でも絶えず韓国への挑発を行なってる。

ただ、DMZ地域は休戦後ずっと人が全く入ってこない地域になっていたので、多くの野生動植物が生きていて、多くの生物研究者が研究を行いたいと言っているようです。

映像の最後の『統一時代の象徴としてのDMZ、2度と民族の痛みを繰り返さない』という一言と共に、朝鮮半島(北朝鮮部分は赤色、韓国部分は青色で配色されている)を青色で全て覆う(韓国が全てを統一する)映像が流れていて、やはり侵略することを考えているという事がはっきりわかった。

映像を見た後は、横の資料館に向かいました。

P4089405

軍事境界線の模型を見て、今回回る場所やそれ以外の重要なポイントの説明を聞きました。
IMGP4157

その後、北朝鮮軍がトンネルを掘っている時の方法やなぜトンネルを発見できたのか?という話を聞きました。

トンネルを掘っている時の様子はこんな感じだったようです。

IMGP4158

北朝鮮が掘っているトンネルが見つかったのは、1972年キムブソンという北朝鮮軍の兵隊が韓国に亡命する為に移動してきました。
が、亡命中に国境にある地雷を踏んでしまい、韓国軍に保護されました。
この亡命した兵隊が実は北朝鮮が掘っているトンネルの測量を行っていて、測量した結果絶対に韓国に向けてトンネルを掘っているという事を伝えました。
朝鮮半島は、岩石半島なので、北朝鮮軍はスコップなどを使って穴を掘ることはできず、小さい穴を作りダイナマイトを入れ爆発させて穴を掘り進めていました。
なので、手のサイズ程の穴をたくさん堀り水を注ぎ込んで、その水が溜まらずに流れたり、爆発の勢いで吹き出したりするとその場所から地下にトンネルを掘り進めることで、北朝鮮が韓国侵略の為に掘ったトンネルを発見しました。
北朝鮮軍は韓国が穴を掘っている振動を察知し、韓国軍がトンネルを発見した時にはもういなかったようです。

20年程前に韓国と北朝鮮の国境調整されたので、現在の亡命者の大くは中国側の国境から行われているようです。

その後、韓国と北朝鮮軍が休戦協定を行った板門店(ハンモンテン)の模型を見て、その際にも貴重な話が紹介されました。

IMGP4160

現在板門店に駐在している軍人は黒いサングラスをしています。
それは、北朝鮮の軍人に見ている(睨んでる)と思われたくないからです。
というのも、板門店に駐在していたアメリカの軍人に以前ある事件が起きたことがこのきっかけになっています。
その事件とは、アメリカの軍人が韓国側の木の葉っぱを切っている時に起こりました。
アメリカの兵隊が葉っぱを切ったことで北朝鮮の兵士が見えやすくなり、監視しようとしていると思ったのかその行為に怒った北朝鮮の兵隊がアメリカの兵隊を斧で殺しました。
この事件以降、無駄な争いを起こさないように、サングラスをつけるようになったようです。

資料館を見た後は、第3トンネルの方に向かいました。

P4089438

第3トンネルは入り口部分は韓国軍がこのトンネルを発見した後、作ったもので奥に北朝鮮が掘ったトンネルがありました。
徒歩で行くパターンと、トロッコで行くパターンがあるんですが、僕らは歩いて向かいました。

徒歩の入り口はこんな感じ
P4089428

トロッコはこんな感じでした。

P4089459

トンネルの中はこんな感じです。
P4089423

中は撮影禁止だったので写真はないですが、まず、韓国が後日掘った方のトンネルを300mくらい降って北朝鮮が作ったトンネルに到着します。
朝鮮人が作った方のトンネルはかなり低くて、ずっと中腰でかなり歩く時はしんどかったです。
このサイズ感を考えると、朝鮮人の身長は結構低いのかな?とも思いました。
このトンネルの奥にある部屋の先は北朝鮮で、奥に入って捕まると帰ってこれなくなる可能性があるとガイドのリーさんが言っていたのがめっちゃ印象的でした。

一番奥まで行くと2つ部屋があって、監視カメラでしっかりと警備されていました。
一番手前の壁の前で止まって、小窓から奥の部屋を見たんですが、なんというかめちゃくちゃ不気味な空気感が漂っていました。
また、北朝鮮が最後に設置しようとしたダイナマイトを入れる穴や、韓国がこのトンネルを発見する為に掘った穴もあって、すごく異様な実際に見ないとわからない空気感が漂っていました。

トンネルを歩いあとは、周りの施設を見る時間があったので見て回りました。

トンネル施設の横にあったお土産屋にあったシャツ
P4089434

韓国の軍人さんの模型と一緒に写真を撮った
P4089432

分断されたこと・これからの統一を願っていることを表している?モニュメント
IMGP4176

DMZを表したモニュメントがあった場所
P4089449

P4089451

IMGP4171

ここの周りですが、よく見るとこんな表記がありました。

地雷危険マーク
IMGP4166

こんなに近くに地雷がある可能性があると言うのが、僕の中では非現実的な感じがありました。

第3トンネルのあとには、都羅(トラ)展望台に向かいました。
都羅(トラ)展望台からは、北朝鮮を遠目に見ることができて、天気がいい日には韓国と北朝鮮の旗や金日成の銅像、板門店、ケソン工業団地を見ることもできるようですが、僕らが行った時はあまり天気が悪かったので、景色はこんな感じでした。

IMGP4183

望遠鏡があって、望遠鏡を使えばうっすらと韓国の旗と板門店を見ることができました。

P4089473

トラサン展望台は30〜40年前は規制が厳しく、北朝鮮側の写真を撮ることはもちろん、見ることも禁止されていたんですが、現在はかなり緩和されていて、2年ほど前から写真に対してかなり緩くなったようです。

以前まで使われていた写真撮影する人用のラインも形骸化していた。
P4089466

ここでも、ガイドのリーさんはいろんな話をしてくれました。
DMZの中に、韓国の旗と朝鮮の旗があって当初はの高さを競っていたようです。
韓国が高くすると、北朝鮮が張り合う、北朝鮮が高くすると韓国も・・・という感じだったらしいですが、結局韓国側が折れて、現在90mくらい、北朝鮮の国旗は104~105mで世界一高い国旗になっているようです。

北朝鮮側の山々にはGPS機能を撹乱させたり、ネットを妨害する電波を発信していたり、ソウルに向けてミサイルを発射できるようになっているようです。
実際に妨害電波を発信している場所に来ることがあるなんて・・・と思いました。

また、ここからケソン工業団地を見ることができて、ケソン工業団地のことを少し詳しく知ることができました。
ケソン工業団地とは、南北共同・統一を目的として作られた施設で、韓国の中小企業100社程が鍋や靴、生活用品(韓国に出荷)を作る為の工場を運営していたようです。
金大中が大統領の時に行ったサンシャインポリシー(北朝鮮に優しくする政策)の一環で行われ、向上の機材などはすべて韓国が準備し、労働者として働いている北朝鮮の労力にも給与を払っていました。
北朝鮮はアメリカと問題を起こしているが、ケソン工業団地での給与は米$で欲しいと韓国に言っていたようです。
ちなみに、2016年2月に韓国から得た米$が、北朝鮮のミサイル開発・核開発の製作資金になっている可能性や、金大中・盧武鉉政権後、サンシャインポリシーは全く意味のないものだったと言った李明博政権になり、北朝鮮政権への当たりが厳しくなったこともあって(1ヶ月1人125$で雇っていたが、北朝鮮から150$に上げてくれと言ったが拒否したなど(今までの政権下では受け入れていた))、ケソン工業団地の運営が終わりました。

『韓国はこの工場を作る為に結構お金をかけたのに、もう1年も機材を動かしていないので、すべてがダメになりかなり損をした。』とリーさんが言っていました。

リーさんの力で、めっちゃ白人系の観光客がいる中、日本語の動画を見ることができました。ほんまめっちゃいいガイドさん。
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都羅(トラ)展望台の次は、このツアー最後の観光地、都羅(トラ)山駅に向かいました。

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都羅(トラ)山駅は韓国人の寄付によって2002年にできました。
できた時には当時のアメリカ・韓国の大統領がきてサインをして行ったようです。

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この都羅(トラ)山駅の2002年当初の構想はめちゃくちゃ面白かったです。
韓国・北朝鮮の関係がよければ2017年にはこの駅から北朝鮮のピョンヤンに行けるようにする予定だったようです。
そして、ピョンヤンから中国やロシア、ロシア(シベリア鉄道)を超えてヨーロッパまで行けるようにする構想でした。
日本から釜山に海底トンネルを通って行けるようになる予定なので、一度も空路を使うことなく日本からヨーロッパに向かうということも可能になる予定でしたが、関係悪化の為、現場実現は難しいです。

構想の路線
IMGP4198

国際線になる予定だったので、イミグレーションがあった。
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駅もめっちゃ綺麗で、使っていないのがもったいないくらいです。

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ホームを見るとピョンヤンと書かれた標識があった
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個人的にめっちゃおもしろいと思ったのは、この釜山からピョンヤンを超え、ロシアのシベリア鉄道につながる鉄道の基盤が日露戦争の時にロシアが資材の輸送で作り、戦後日本が経営権を得た満州鉄道がベースになっていたことです。
ずっともしかしたらそうかな?と思っていたことをリーさんに聞いたら、僕の認識が合っているということを知れてなんか嬉しかったです。

こんな感じで、日本語で書かれたパンフレットや日本語のヘッドホンをつけて受けるツアーとは違い、質問すれば答えが返ってくる、日本語でのツアーに参加したことで、本当に多くのことを知れたのは本当に貴重だなーと思いました。

これで、今の日本語のレベルに英語レベルも上げれれば、どれほど世界観が広がるのだろうか?と考えると、これからのフィリピン留学を含めた英語学習がより一層楽しみになります。

本当に貴重な体験をさせてもらったツアーでした。
これで2人で9000円くらいだったので本当に安い!と思いました。

本日もご愛読ありがとうございました。
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