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街ブラで日本を感じまくる、穏やかでアーティスティックな台中

ニーハオ!あゆみです。台湾から無事帰ってきましたが、コロナウィルス、だいぶヤバいことになってますね。
いろんな国で、日本人の入国拒否ありうるかもしれない・・・。

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十分のランタンフェスティバルも、台中のランタンフェスティバルも大満喫しました。
もう今日は帰国です。早い。。
台湾で年に一度の一斉ランタン飛ばし(平渓天燈祭)に参加した!
台湾でランタンフェスティバルに参加してきました!!~メインもサブも行きました~

朝起きて、帰りの桃園空港行のバスのチケットを買いに行きます。

ホンマ、CHANCE HOTELに泊まっててよかった~。駅も近いしバス停も近いし、市バス乗り場は目の前にあるし。
公共交通機関が便利なところにホテル取るべきって、世界一周で学んだな。旅慣れてきた。(いまさらw)

U-Busで行けます。

バスは一人300元(1000円ちょっと)。夜の22:40発だけど余裕をもって、17時発にって言ったら、出発時刻17:01のチケット貰った。1分単位w

そのあとは、台中駅近くのカルフールにお土産を買いに行ったんだけど、もうね、店のラインナップが日本だよね。

お菓子も日本の売ってるし。

これなんかもう日本のフードコートと変わらんやんw

ちなみにカルフール内にこんな感じで公衆電話みたいにカラオケボックスあったw

ローカルフード美味しいし、ちょっとカルフール行きゃ、日本の食べ物食べれるし、日本よりビール安いし。
台湾住めちゃうよね、ほんとに。

おみやげ買った後は、バスに乗って向かったのは国立台湾美術館。入場料無料だと聞いてw

中は写真禁止だったんで撮れなかったけどこの博物館の歴史と、台湾の現代美術の展示がメインでした。カフェや図書館もあってめっちゃ大きかった。

この美術館内に、春水堂っていうタピオカミルクティー屋さんがあるので、タピることにしました。
台湾で初タピ。日本でもタピったことないのにw

春水堂 タピオカミルクティー

Mサイズの普通のタピオカミルクティーを頼みました。なんと80元(280円)。ビール2缶飲めるやん
味は甘さ控えめ、氷少な目で。

春水堂 タピオカミルクティー

美味しいけど・・・タピオカいらなくね?wミルクティー美味しいから、タピオカが邪魔してる感が否めなかった。まぁいい経験でした。

お腹がすいてきたので、最後の地元飯を求めて台中第二市場へ。
歩いてる最中に、なにやらアニメの壁画がたくさん・・・なんとここは台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

いきなりトトロのネコバスのバス停出てきて俄然テンション上がります!!

その先に広がるのは日本のアニメのカラフルな壁画!!
誰が描いたんだろう・・・、上手すぎる!!

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

ドラゴンボールと・・・

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

ワンピースには目がないつばさ。

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)
台中アニメストリート(動漫彩繪巷)
台中アニメストリート(動漫彩繪巷)
台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

マジで芸術だわ!すごいっ

ジャンプ以外にもちびまるこちゃんとかコナンとかもありました。

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

台中アニメストリート(動漫彩繪巷)

ホンマ、これ書いたの誰!?間違いなくここに住んでる人なんだろうけど。漫画家なれるで!
いや~興奮しました・・・!

街ブラしてると、日本統治時代の中心地に訪れました。

日本統治時代の建物

台中市役所

日本統治時代の建物

台中州庁

日本統治時代の建物

からの・・・明光義塾w

日本感じるわ~。笑
ちなみに、台中の観光名所が擬人化されてました。面白い!

結構歩き疲れてきたところで・・・ありました!台中第二市場!!

台中第二市場

この建物も結構年季が入ってるなぁ。
中に入るとこれまた東南アジア感満載!わくわくします。

台中第二市場

このね、店番しながら寝てる感じ、たまらんよねw

台中第二市場

ずーっと進んでいくとルーローファンとかが食べれるお店がずらりと並んでいました。
もうすでに15時前だったのでだいぶ空いていました。店主と目が合ったこのお店に決定。

台中 魯肉飯

メニューはこんな感じ。

台中 魯肉飯 爌肉飯

爌肉飯ってのがあったので、これと魯肉飯と小鉢2品頼みました。おすすめされたのでお豆腐と、あとおいしそうな白菜のおかず。
どーん!

爌肉飯

爌肉飯って豚の角煮丼のことだったのね!ここのお店はどんぶりにザーサイが乗ってました。
コンビニで買ったビールとともにいただきます。こっちって、飲み物持ち込み可だからめっちゃ良い!
さらに、店主からもらったこの辛いソース、めちゃくちゃ私好みでした!ラー油みたく脂っこくなく、たくわんが細かく入っていて食感の良いアクセントになっていました。そしていい感じに辛いっ!今回の旅の薬味の中で一番好きかもしれない。

そのまま歩いてホテルに帰ってきたけど、出発までちょっと時間があったので、Stock20っていう台中駅の裏にある場所に行ってみました。
が、めっちゃ廃れてた・・・w

けど、そこから旧台中駅舎を見ることができました。

旧台中駅

旧台中駅

もうバスの時間が迫ってきたので台中バスターミナルへ行きます。
ここもいろんな方角行きのバスが出ていて、案内も中国語だったので係員に確認しに行ったら、桃園空港行のバスが来た時にうちらに向かって合図してくれました。なんて優しいんだ。台湾の人たちはみんな優しい。

バスは3列シートで広くて快適でした。

2時間ほどで桃園空港に到着。
出国ロビーでゲートの確認をしようと、フライトスケジュールを見たら・・・

桃園空港コロナウィルスの影響

なんかめっちゃキャンセル多くない!?

桃園空港コロナウィルスの影響

このとき、コロナウィルスの影響で、フィリピンは台湾から入国できないように制限をかけてたんです。なんでフィリピン行きの飛行機は全部キャンセルになってた。あと、香港とかマカオ行きも軒並みキャンセルでした。
この旅で初めてコロナの恐怖を感じた・・・!!

日本に帰れることを感謝しながら、最後のご飯。って割と台湾元が手元になくて、セブイレでご飯買いました。

で、ホンマに最後に74元余ったんだけど、奇跡的にこの2本で使い切りました。1元たりとも残ってません。笑

これで、ベネズエラみたいに出国税がかかるとか言われたら嫌やなwと思いながら、前の旅を懐かしく感じたのでした・・・。

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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

映画KANOの舞台になった嘉義へ弾丸観光してきた!

ニーハオ、あゆみです。
皆さん映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」をご存じでしょうか?
2014年に配信された台湾映画です。
台湾の日本統治時代に、嘉義農林学校という、台湾人と現地人と日本人の混合弱小野球チームがあったのですが、名称:近藤監督にしごかれ、野球で台湾代表になって甲子園に出場するという映画で、ルーキーズにも似た雰囲気のあるめっちゃ青春な映画です。

詳しくはこちらを→KANO_1931海の向こうの甲子園

が、今と違うのが、甲子園に出場するチームは大連とか日本が統治していた都市も参加してたりとか、
甲子園に出場し、嘉儀農林に負けた北海道の投手が、戦争で台湾に出兵した際に嘉義の野球場に寄って思い出すとか
戦争色が強いところですね!
うちら好みですねっ。笑
そんなKANOの舞台になった嘉義に弾丸で観光してきました!

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嘉義観光の当日。夜は台中ランタンフェスティバルを見に行く予定なので、行きも帰りもちゃんと電車の時刻を調べていきました。
ランタンフェスティバルの記事はこちら→台湾でランタンフェスティバルに参加してきました!!~メインもサブも行きました~
行きは、自強号っていう快速電車で車内は指定席で席も広くて快適でした。ホンマ台湾の公共交通機関は広くて快適。

1時間ちょっとで嘉義駅に到着。

嘉義駅

目の前の道を噴水広場に向かって歩きます。
台湾大会に優勝して、選手たちが凱旋パレードしていた道です。が、噴水にたどり着く前に八田與一が指揮を取った、嘉南大圳の完成を知ったため、パレードを中断して用水路へ向かいました。
この八田さんも台湾のインフラの功績者で、今でも台湾の人に知られてるぐらい。でも、日本人はこういうの知らんよね。戦後アメリカによって戦前の業績が教育から消されたのが悲しい。。。

向かった噴水広場には、KANOのピッチャー呉明捷の銅像(金像?)が立っていました。

KANO 呉明捷

違う角度から・・・

KANO 呉明捷

街にはいたるところにランタンが飾ってあって、旧正月の雰囲気を楽しむことができます。

お腹がすいたので、鶏肉飯(ジーローファン)が食べられるお店に入りました。結構にぎわってます。

鶏肉飯

こういう店の良いところは紙に正の字を書いてオーダーできるので、中国語しゃべれなくても雰囲気でオーダーできるとこ。

ジーローファンは嘉義の有名なご飯で、ルーローファンみたいなやつの上に味付けされた鶏肉がかかってます。
今回は地元民に倣って小鉢を2つ頼んでみました、空心菜と白菜。空心菜はニンニクが効いてて美味しい!そして、白菜はほのかに海鮮の香りがして美味しい!これで130元(450円)だから安いよね~。

鶏肉飯

腹ごしらえもしたので、歩いて現在の嘉義市棒球場があるところまで歩いていきます。
途中やたら立派なお寺がありました。こっちのお寺はとてもきらびやか。

20分ほど歩くと、KANOの壁画が見えてきました!
おーKANOだーー!

KANO

その道を上がっていくと・・・
つばさはやたらこういうのと一緒に撮りたがる・・笑

棒球場が見えました!とても立派!!

近づいていくと・・なんと今日たまたま高校野球の練習試合みたいなのをやってて、中に入ることができました!!
中もとても立派!!

嘉義市棒球場

昔の嘉義農林の子たちが練習してた時とは全然違って立派です。

嘉義市棒球場

中の通路には、KANOのポスター貼ってました。市を上げてKANO押しやなw

そして、球場の正面にはKANOの立派なモニュメントが。

KANO

出場した選手たちの説明も書かれてました。

KANO

これを見てると、ホンマに日本人、台湾人、現地人の混成チームだったんだなってことが分かります。
それぞれの民族の良いとこ、日本人=守備、台湾人=攻撃力、現地人=足の速さを活かして甲子園出場して準優勝するなんてすばらしすぎる!
人種差別してる人よ、これを見習ってくれと言いたい!!←

地面にはKANOの歴史もつづられていました。
ちょうど今日試合してた高校球児たちとともに。

ちなみにこの公園には、昭和18という博物館と嘉義神社(どちらも日本人が立てたやつ)があるんですが
博物館は、月曜日なので休館!(マジでちゃんと調べればよかった・・・)

さらに、嘉義神社は取り壊されて改築工事が行われていました。悲しみ・・・
とりあえずお清めだけしといた。。。

公園の出口にもモニュメントがあったんだけど、グローブとかの像が飾ってあるところは工事してて入れなかった・・・。
悲しみ・・・そりゃ、もう6年前の映画だもんな。坂の上の雲の大連もそうだけど、流行りが去ってから行くうちらが悪いw
この写真も工事のおにいちゃんの手を止めて撮らせてもらったよ。台湾の人は優しいな!

KANO

この後は、KANOの近藤監督の家がある檜意森活村(ヒノキビレッジ)へと向かいます。

その途中になにやらこれまた立派なお寺がありました。
なんと7階建てです。

つばさはやたらこういうのと一緒に撮りたがる(2回目)・・笑

登ってみようってことで最初は階段で頑張ってましたが、

最終的にはエレベーターw

どの階にも仏像が華やかに座っていました。

そして歩くこと20分。檜意森活村(ヒノキビレッジ)へ到着。
ここは、日本の昔の家屋を再現してある公園で、いろんなお店がありました。着物のレンタルができるとことか、甘味屋さんとか、雑貨屋さんとか。

ヒノキビレッジ

ヒノキビレッジ KANO

つばさはやたらこういうのと一緒に撮りたがる(3回目)・・笑

ただ、帰りは15:56の自強号に乗って帰らないといけないので結構かつかつなので、急いでKANOの近藤監督のお家へ行きました。
中はKANOグッズ売り場とカフェになっていました。

KANOの映画で使われていたグッズがたくさん!

KANO

台湾でこんな日本の昔のものが見れると思いませんでした。台湾の親日ぶりがうかがえてとてもうれしいです。
もう時間が来たので、ここまでで嘉義観光は終わり。駅へと向かいます。
あまりにもいっぱい歩いて疲れたので、駅前のコンビニでビールでかんぱーい!

台湾ビールが甘すぎるので、最終的にTigerに落ち着きましたw

ちなみに、嘉義駅のコンコースにもKANOの壁画が。本当にKANOの街、嘉義でした!

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瑞芳から台中へ。台中でまったり~ポケモンGoのイベントやってた~

ニーハオ!あゆみです。
今回の台湾旅行は大忙し!3泊4日(前後2泊は機内泊)やし、全ての夜に予定が入っている・・・!
ということで、平渓天燈祭を楽しんだ次の日はすぐに台中へ移動です。

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朝起きて、瑞芳で気になっていた近所の食堂へ行ってみました。美食広場!!名前だけで美味そうw

中は色んなお店が集まるフードコード形式です。

にぎわっているこちらのお店で食べることに。

メニューに写真あるし、日本語あるしイメージしやすい!

イカのあんかけスープとお肉のあんかけスープとルーローファンを頼みました。
つばさがパクチー嫌いなのに、お肉の方頼むときにパクチー無しって言うの忘れたから、必然的につばさがイカの方になりましたw
ホンマ、スープには必ずパクチー入るから注意!

あんかけスープの味が優しくて美味しかった!

ご飯食べた後は、電車に乗って台北へ戻ります。

台北に着いたら、地下街を通って、バスターミナルへ。

バスターミナルにはいろんなバス会社のチケット売り場がありましたが、台中駅の前に行くバスはU-Busみたいです。

チケットを買って3階のバス乗り場へ。一人300元(1000円ちょっと)
11:30の便でしたが、それに乗るまでもいろんな場所行のバスがたくさん出ていました。

車内は3列シートでとても快適でした。

2時間ほどで台中に到着。
と、ここでポケGoを開くと・・・なんか見たことないポケモンおるー!!
なんと、台中のランタンフェスティバル開幕に合わせて、2/6~9限定でアメリカでしか取れないイルミーゼがGETできたのです!
台湾のSIM入れててよかった・・・!!

早速ホテルで荷物預かってもらって・・・

観光ポケモン狩りに出ますw
まず向かったのは宮原眼科。

宮原眼科

宮原眼科

ここは日本統治時代、眼科だった建物を改築して、カフェやお土産屋さんに改造したもの。
古い物を残しつつ新しい物を取り入れる、良いですね~

宮原眼科エントランス

中のインテリアはとっても可愛くて、まさにインスタ映え。

宮原眼科

宮原眼科
宮原眼科
宮原眼科
宮原眼科
宮原眼科

こんなにかわいく展示されてたらお土産買っちゃいます・・・って買わんけどw高いもん

この後は、台中公園へと向かいました。

台中公園

とっても穏やかで温かくていい天気だったので、近くのコンビニでビールを買ってまったりしました。

ボート漕いだり、コイに餌あげたり、皆思い思いに楽しんでました。

孔子廟に近づくと・・・何やらすげー人!!

近づいてみると・・・なんとみんなポケGoやってた
うちらもポケGo見たら、孔子廟でレイドバトルしてたww
すげー、台湾でも盛り上がってんなー!!うちらもちゃんとレイドバトル参加したよw

この後はいったんホテルに戻ってチェックイン。ちなみに、今回取ったホテルはCHANCE HOTEL。
直前にTrip.comで取ったらダブルで二人で2泊4000円ちょっとと激安だったけど、こじんまりした部屋だけどちゃんと冷蔵庫あるし、必要最低限のものがそろってたから、ぶっちゃけ1日目よりいいホテルです!
ちょっとのんびりしてから、ランタンフェスティバルサブ会場に行ったんだけど、その記事は次でまとめてあるのでそれを見てみてください!

サブ会場で楽しんだ後は、ホテル近くの火鍋屋さんに行きました。

台中の火鍋屋さん

店員さんがマジで中国語しかしゃべらんので、ポケトークを使ったら伝わりました!
いやー、この旅で初めてポケトークが役に立ったぜ。
メニューは正の字を書くパターンのやつ。ちゃんと日本語対応表も渡してくれたので、楽々。

とりま、セルフでビールを取ってきて、かんぱーい!!

体に染みわたります。

薬味コーナーがあってここで好きにたれを作れます。

あと、その横にはレタスやキャベツが置いてあって、これは取り放題!うれしい!!

なんとなくで、豚肉、ハマグリ、イカ、豆腐、水餃子、春雨を頼んでみたら、かなりガッツリな量来ました。

台中の火鍋

野菜はすでに少し入ってる状態で、ホンマすごい量。
お店の人にファイヤーしてもらって・・・

まさに火鍋!!

お腹パンパンで、最後春雨ちょっと残しちゃったけど、ビールも4本飲んで、二人で800元(2800円)。
やすーい!
大満足な台中一日目でした。

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中国4日目〜星海広場と大連博物館と大連の町中観光〜

ニイハオ!つばさです。
世界一周してた時には考えられないくらいのスピードで観光地を回ってます。

今までならこの倍くらいの日にちを使って回ってたな。。。。
とか思いつつ、期限の決まった旅に息苦しさを感じてます。笑

今までの中国の記事はこちら

1日目
ついに中国上陸!日露戦争の舞台を生で感じよう・・・!

2日目
日露戦争を巡る旅2日目〜塹壕と旅順の博物館へ〜

3日目
坂の上の雲の舞台、203高地でドラマを再現してみた!

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4日目は大連市内の観光でした。
朝から星海広場行って、星海広場の近くの大連博物館行って、中山広場の周りの満州時代の建物を見るってスケジュールでした。

まずは市バスで星海広場へ。

地図で見たら結構遠いのに1元で行けるのめっちゃいいです。
IMGP5412

バスには番号が入ってるので、間違えもないです。
IMGP5413

市バスに乗って30分くらいで星海広場に到着。
アジア1でかい公園のようです。

IMGP5421

高層ビルがめっちゃあります。
IMGP5423

公園の中を歩いていると、人だかりのできた場所があったので行ってみました。

するとアイスを売ってるロボがいました。
IMGP5427

たまたまアイスを買う家族がいたので、動画を撮りました。

なんかさすが中国!って感じのロボ化で、アイスをもらった後の子供の反応がめっちゃ可愛かったです。

アイスロボの後は公園の中心に進みます。
IMGP5431

いろんな銅像があったのでその写真を撮りました。

IMGP5436

IMGP5449

少し気になっていた遊園地の方へ。

IMGP5455

ディズニーのキャラがめっちゃいました。笑

IMGP5460

星海広場の中をビールを飲みながら回れるやつがあったので、乗りたいなと思いましたが
ビールとかアルコールは飲めないと言われたので、諦めました。

IMGP5463

星海広場も堪能したので、大連博物館へ行こうとしましたが途中でなにやら面白そうなことをしてたので、
そっちを先に見ることにしました。

IMGP5467

ちなみに星海広場ではいろんな人が凧を飛ばしてます。
その中で一際大きい凧を飛ばそうとしている人たちがいたのです。
1度ミスった後に、2回めの挑戦で・・・・

おーーーー!!!!!
IMGP5481

見てた人が全員歓声を上げました。
IMGP5485

このノリ好きです。

IMGP5497

凧を見た後に大連博物館へ。

IMGP5500

IMGP5501

さぁ今から中に入るぞ!と思ってましたが・・・

IMGP5502

えっ!?!?
まさかの今日から博物館内の改修工事・・・・

チーーーーーン
IMGP5503

とりあえず博物館の周りの模型を見ましたが、なんてタイミングだ!!って感じです。

IMGP5505

IMGP5506

こんな感じで星海広場を後にできるか!!と博物館に行く時に見た、ドイツビールが飲めるところへ向かいました。

その道中で不動産を販売している場所がありました。

こんな感じで不動産売ってるんだ・・・

IMGP5507

IMGP5508

不動産ゾーンを通り抜けると、見えてきました!ドイツビール館!!

IMGP5511

開始時間は17時からでした・・・・

なんて日だ!!

しょうがないので、星海広場から中山広場の方へ移動しました。
中山広場の周りには、満州時代の建物がたくさん並んでます。

IMGP5539

この時代の日本は西洋に追いつこうとしていたので、ヨーロッパで見たな!って思うような建物がたくさんありました.

IMGP5518

IMGP5524

IMGP5530

中山広場からホテルの方へ戻る道中でもいろんな建物がありました。

IMGP5542

IMGP5544

昨日も見た満鉄本社。
IMGP5547

IMGP5549

電話しないと中に入れないようなので、宿の受付の人に電話したもらって明日中に入ることにしました。
朝ごはんのあと何も食べてなかったので、李先生という店でご飯を食べました。

IMGP5551

IMGP5552

ビールが6元(90円くらい)で飲めるのが最高です!!
今日もいろいろ回ったので、夜は宿で飲んで過ごしました!

本日もご愛読ありがとうございました。
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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

坂の上の雲の舞台、203高地でドラマを再現してみた!

ニーハオ!あゆみです。
中国のセルフで具材をとって、調理してもらう形式のご飯屋さんがサイコーだー!
好きなものだけとれるし!!

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今回は中国旅行3日目の日記となります。1日目、2日目はこちらをご覧ください。
1日目
ついに中国上陸!日露戦争の舞台を生で感じよう・・・!
2日目
日露戦争を巡る旅2日目〜塹壕と旅順の博物館へ〜

3日目は朝起きたら気持ち良い晴れ!
それこそ昨日と違ってピクニック日和です。今日は念願の203高地に向かうぞー!!

タクシーを拾って向かいます。ホンマ、流しのタクシーでもめっちゃ安心感ある。
旅順タクシー

しかも今回乗ったタクシーの運ちゃんは、日露戦争の遺跡にちょっと詳しくて、途中の道でいろいろ説明してくれました、中国語で
なんとなくこんなこと言ってるんだろうなーって想像で聞いてましたw

旧市街のほうに行くとこういった瓦屋根の家が多いんですが、ほとんどが満州時代に日本人が住んでいたところらしいです。
満州時代の建物

10分ほど車を走らせると、203高地の看板が登場です。
IMGP5290

入り口の門がとても立派!!中国人でもピクニックがてら来るような公園みたいです。
ここでお金を払おうとしたら、駐車場代なのでいらないよ、みたいなことを言われました。
IMGP5292

さて、この上り坂を歩きます。日本兵も昔登っていたんだろうなーと気持ちが高ぶります!!(BGMは坂の上の雲のテーマソング)
IMGP5295

途中に、桜を模した、日中友好のモニュメントなんかもありました。
203高地:桜のモニュメント
注目すべきは、日中ではなく、中日友好と書いてあるところです。確かに日本でも日米とか日英とか、言い方は自国が先に来るもんな。ちなみに、中国人は日清戦争とか日中戦争とか言われるのも嫌いだとか。英語だとどうなんだろー。

この道はペインティングが施してあって面白かったです。ドラ●もんとかポ●モンとかのキャラ尽くしでしたがw
IMGP5362

この道を楽しんでいると、後ろから園内を走るバスがスーッと通過・・・
え!歩く以外にも方法があるの!?
どうやら、さっき入り口で言われたのは、駐車場代じゃなくて、このバスに乗るための料金!?
だったら払ったらよかったー。ってかやっぱ、中国語分かんねー!!

15分ほど歩くと、駐車場に到着。ってか、やっぱ園内のバス使えばここまで楽にこれたんじゃん!!
でも日本人として、203高地はふもとから登らないとね!!
IMGP5301

ここから頂上までまた歩きます。
ここを28サンチ砲とか背負って走って移動してた日本兵すごいわー。
IMGP5303

そしてついに、爾霊山のモニュメントに到着。
乃木希典が、203高地を文字って、爾霊山の漢詩を読んだのは有名です。
203高地

モニュメントの横には、日本兵に向けて発射されたロシア軍の大砲が置かれてありました。
IMGP5316

IMGP5317

そしてその先には壕が昔のまま残っていました。
IMGP5352

積み上げられた石にはたくさんの銃を撃つための穴がありました。ここから203高地に登ってくる日本兵を狙ったんだな・・・。
IMGP5349

ここでたくさんの人が死んだんだな・・・。
IMGP5355

山頂の方には、日本の28サンチ砲が置いてありました。
日本が203高地の頂上を占領してから、あのずっと先の旅順港のロシア艦隊を狙いうちしていました。
IMGP5333

旅順:28サンチ砲

28サンチ砲マジで大きい!!
IMGP5345

そして、ここからは本当に・・・「旅順港が丸見えであります!!」

203高地山頂から見た旅順港

私たちの今回の旅の目的は、ここ、203高地山頂で、坂の上の雲のシーンを再現すること!!
本当はドラマと同期させた映像を乗せたかったんですが、youtubeでブロックかけられてしまいまして・・・。
203高地で、あの有名なシーンを再現しました↓

実はこれtake4ぐらいw 坂の上の雲ブームが去ってからここに来たので日本人がほとんどいなかったので撮影しやすかったけど、
うちらが滞在している間も、4組ぐらい日本人が来ていたので、いまだに有名な場所なんだなーと実感しました。

十分堪能した後、来た道を戻ります。下りだから楽だ!
もう山頂があんなに小さく見える・・・。
IMGP5358

帰りはタクシーがなかなか捕まらずに途方に暮れていたら、中国人が車越しに話しかけてきて、何言ってるんかさっぱり分からんかったけど、
30元で市内まで送ってくれるみたいだったので、送ってもらうことにしました。
言葉がさっぱり分からんし、中国人は中国語以外絶対しゃべらんのやけど、こっちが理解するまで粘り強く助けてくれるのがめっちゃ優しいなーって思う。
中国にきて3日目だけど、まだ不親切な人とか嫌な人とか出会わんもん!!

市内に着いたら、とりあえずおひるごはん!!
テキトーに入った定食屋さんは、3品好きな惣菜を選んでごはんとスープが付くスタイルだったんだけど、これまたボリュームたっぷりですごかった。
こっち来て毎回マジで満腹になるわ・・・。
ローカル中華

ローカル中華

ホテルで荷物受け取って、今日はその足で大連へと向かいます。
大連へはバスターミナルからバスで。2002番のバスでした。
旅順バスターミナル

チケットのおばちゃんの速さがすごかった。
こっちの人はなんでもかんでもやることが速い!やっぱそうでもしないと10億人の人民をさばけないから?笑
IMGP5373

バスは1時間半ほどで大連に到着しました。
大連駅。どうやら、上野駅を模して造られたのだとか。
IMGP5377

大連のホテルはシンウェンユエンホテル。なんと4つ星で、冷蔵庫付き。ビールいっぱい冷やせるー!笑
中はバックパッカー時代では泊まれないほどきれいで豪華でした!
シンウェンユエンホテル

しかも、1階にはローソンが入ってて、500mlのチンタオビールが2本目半額とかいう神のようなキャンペーンをやっていたので、
ローソンでビールを偶数本買う→部屋の冷蔵庫で冷やす というルーティンができたのでしたw
IMGP5378

ホテルでちょっと休んだ後は、晩御飯がてら外に出てちょっと散策。
満州時代の建物が普通に使われているのです。これは旧満鉄本社。
旧満鉄本社

晩御飯は近くの火鍋屋さんで。
何かいてるのか、どう頼めばいいのか分からなかったけど、店員の子が巧みに翻訳アプリを使って訳してくれたおかげで無事頼むことができました。
IMGP5403

辛くない汁と辛い汁の半々なんだけど、辛さを一番辛いのにしたら、辛いってより脂っこいって感じでちょっとしんどかった。辛くするってラー油を入れまくるってことなのかなー。ちょっとショック・・・
大根を鍋に入れるって日本ではあまりしないけど、結構おいしくっておすすめです!

そしてなぜか店内に仮装した人が来て、ショーが始まりましたw

火鍋の後はホテルに戻って、ローソンで仕入れたビールを飲んで宴会です。冷蔵庫あるって最高★笑
青島ビール

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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

日露戦争を巡る旅2日目〜塹壕と旅順の博物館へ〜

ニイハオ!つばさです。
2019年9月に行ってきました、中国の大連・旅順旅行の2日目について書きます。

初日の日本→大連→旅順への移動と観光についてはあゆみがかきましたので、
そちらを御覧ください!!
水師営や白玉山からの旅順港の景色はなかなか感慨深いものがありました。

ついに中国上陸!日露戦争の舞台を生で感じよう・・・!

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中国2日目。
この日は本当は203高地に登って、旅順港を見るスケジュールでしたが、
天気が悪るくなる予報でしたので塹壕と博物館や各名所周りに切り替えました。

まずは塹壕へ。
ホテルの前にいるタクシーに声かけて60元(900円くらい)で往復してもらうことで交渉しました。

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移動中にドライバーが中国語でいろいろ話しかけてきて、たぶん現地では30分時間をあげるから
30分経ったらタクシーに戻って来てね!って言ってるんだろーなと思っていたら、急に電話かけだして
私に電話を渡してきました。

英語での会話だろうと思い、「Hello!」と言うと「こんにちわ!私日本語話せます!」と返答がありました。
日本語で、現地に到着した後の流れを確認して、電話をドライバーに返しました。

日本語話せる人にわざわざ繋いで確認する感じがすげーなと思いました。

電話で話したりしていると、塹壕に到着しました。

IMGP5065

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ここは、「坂の上の雲」とかで日本人が大量に死んだとされている場所です。
日本陸軍が奉天など内陸に攻めようとしていたところ、日本海軍が旅順港から出てこないロシア艦隊を
大西洋側のバルチック艦隊が到着するまでに殲滅する為、旅順を大陸側から攻めるよう陸軍に依頼し
陸軍が大量に特攻のような攻撃を掛け、機関銃で無残に散っていった場所です。

今から私達が見に行くのは、ロシア側の陣内です。
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各場所に下の写真のようなどんな場所か?を示す表札があるので比較的理解しやすかったです。
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中国語は漢字なので、なおわかりやすいです。

ここから堡塁の写真を数点紹介します。

司令室として使われていた場所
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ロシア兵の宿所として使われた場所
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このようなトンネルもありました。
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堡塁を見ていると、以前ベトナムで訪問したクチトンネルを思い出しました。
いろんあ記憶が蘇るなーと思いました。

興味がある方クチトンネルの記事もどうぞ!
クチトンネルは総合エンターテイメント施設だった(笑)

私の記憶では、この堡塁を突破する作戦を中断し203高地へ攻撃目標を変更して奪取。
その後、203高地の上に砲台を建設し一斉放火。
海軍・陸軍ともに殲滅したあとこの堡塁も制圧したように記憶しております。

制圧後に日本人が作った塔もあったので、写真を取りました。

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日露戦争になんとか勝利し、一番ノリに乗ってた時代です。
このモニュメントの横には大砲や機関銃の模型が置かれてました。

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日本人を大量に殺した砲台一緒に写真を撮り

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若干不謹慎ですが、発泡している感じで写真を撮りました。

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その後、恐らく銃撃戦があったのであろう塹壕内部の壁を見ました。
弾痕がかなり生々しかったです。

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私達はボスニアでも弾痕を見たのですが、その時の感じをここでも思い出しました。

その当時の記事はこちら↓
内戦の痕跡が残るサラエボにやってきた!

以前はこの部分の堡塁の中にも入れたようですが、NHKで坂の上の雲をやってた時のブームが終わった後は
もう入れないのか、入り口が完全に閉まってました。

最後にこの堡塁の全体図を載せておきます。

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この後ホテルに戻る予定でしたが、たまたま次に行こうとしてた博物館の近くを通ったので、
横で降ろしてもらいました。

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この博物館は満州国時代の刑務所を博物館にした場所で、当時の収監施設や日清・日露以降の資料が残ってました。

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余談ですが、この博物館や2日目に回った博物館を通して中国すげーな!と思ったことがありまして、
それは博物館が全て無料だったことです。
この点は日本も見習うのもありだなーと思いました。

博物館見学に戻します。
博物館の中はこんな感じでした。

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収監施設はこのような感じ。

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アメリカのアルカトラズ島のような感じでした。

アルカトラズ島の記事はこちら↓
アメリカ横断キャンピングカーの旅・5日目〜サンフランシスコでアルカトラズ島観光〜

この刑務所には満州に対して反抗している人が収監されており、対象は中国人・朝鮮人はもちろんですが、
日本人も対象だったようで、3つの言語に対応した規則が記されてました。

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収監されている罪人を率いてクーデターを計画していた人を拷問する機材がおいてある部屋もありました。

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クーデターを行おうとした人のようです。
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その他、罪人を監視する台や

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増築した収監施設

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ここには上に監視窓があり、恐らく銃を持って監視してたんだろーなと感じました。

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収監されていた方たちの労働施設もありました。

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手袋などを作っていたようです。
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賃金体系を書いた表がありました。
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他にもいろんな施設があり、以前の写真を展示したとこもありました。

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次に行った場所では日清戦争後くらいからの年表が飾られてました。

3国干渉
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当時の国力を模した風刺画
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日露戦争の旅順閉塞作戦で亡くなった広瀬の写真
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旅順閉塞作戦の写真
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広瀬は軍神と書かれてて、本当にすごい人だったんだなと感じさせられました。

旅順を攻めている際に亡くなった乃木将軍の息子に関する資料
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日露の海軍トップ
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昔使われた機雷
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203高地から旅順港を覗いている姿
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旅順港が見えるか?を児玉が確認した際に児玉がいた高崎山
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203高地から見た旅順港の様子を記した地図
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児玉と乃木の写真
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日露戦争後の両国の対談
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満州国を設立した際の記念碑
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なかなか濃厚な施設でした。
いろいろ資料見れて嬉しかったです。

他にもいろいろ施設があって、中国の革命家がたくさん飾られた棟もありました。

安重根
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そこには日本と中国の事件が記された年表もありました。

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下記の点が勉強になりました。

伊藤博文を殺害→安重根の犯行
関東大震災の時に祟り的な理由で満州で中国人・韓国人を生贄にしていた。

学校ではあまり真面目に勉強してなかったので、いろいろ参考になりました。

雨も降ってきたし、かなり頭がお腹いっぱいになったのでタクシーで宿方向へ帰り
昼ごはんを食べました。

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こんな感じのごはん屋さん。
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中華マジで美味いです。
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中休みした後は、旅順博物館や旧日本人街へ。
1人1元(15円くらい)で乗れる市バスで移動します。

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途中に酒とめっちゃ書いたとこがあったので、あゆみがもれなく写真を撮ります。

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ちょいちょいある可愛い置物の写真を撮りつつ、旅順博物館に到着。

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旅順博物館
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旅順博物館も無料では入れました。
中はこんな感じです。

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宝塚的な感じがしました。
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ここで旅順のどんな資料が見れるのか?と思っていましたが・・・
普通に文化的な資料館って感じでした。
歴史が見たかったのに・・・・

ちょっとだけ写真撮ったのでどうぞ

始皇帝と書いている注釈に惹かれて撮った写真
(おーキングダムだ!!って感じでした。)
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中国感ある皿
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この部屋の先に中国人のミイラがありました。
これはかなり感動しました。
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その他、宗教的な置物が。
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こんな銅像あるんだ!!って驚きが隠せなかったやつ。

表面
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裏面
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思わず両面から写真撮ってしましました。

最後の銅像がある意味一番驚愕でしたね。笑

旅順博物館の前にはこのような塔がありました。
これは中国とロシアが仲良かった時に作られた塔らしいです。

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旅順博物館の後は、近くにあった砲台を見たり

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旧日本軍の本部を見たり

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大和ホテルを見に行ったりしました。

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今日はかなり勉強になった1日でした。
夜の締めくくりは餃子!デフォルトが20個らしくめっちゃ皮が厚くて美味しかったです。

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なんとかスマホの翻訳とボディーランゲージでビールをゲット!!

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夜には僕らの部屋でまえてぃーと一緒に飲みました。

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明日はついに203高地に登ります!
めっちゃ楽しみだー!!

本日もご愛読ありがとうございました。
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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

ハロー!つばさです。
先日書いた留学中に韓国人の友達と話したことで、調べてみたいと思った日本と韓国の間の歴史のことを調べたので、そのことを書こうと思います。

前回の記事はこちら↓
フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

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今回調べたのは、日本と朝鮮半島の関係についてと、その際のできごとについてまとめました。
基本データはWiki参考なので、説得力に欠ける部分があると感じるとも思いますが、韓国人と話している時に『あれ?これどうなってたんだっけ?』って僕がなった内容を調べてまとめました。

日本と朝鮮半島の関係が大きく動いたのは、日清戦争後からなのですが、その後三国干渉などがあって保護国から離れていたりしたので、実質的な変化の起点となった日露戦争から紹介していきます。

1904年から始まり、1905年に終了した日露戦争で朝鮮半島は陸軍の主な戦場となった。
ちなみにこの際、大韓帝国と言う名前の国だった。

Coree

日露戦争が終わった後、朝鮮半島内での日本の影響が絶大となり、日本の保護国となる。
その後1910年に日韓併合条約により、大韓帝国は日本に併合され、滅亡する。

1910年から1945年の第二次世界大戦で日本が敗戦するまでの35年間が、日本が朝鮮半島を支配していた期間になる。

【統治している間の変化(朝鮮半島の変化と日本が行った支援)】

・土地の権利確定、水防工事や水利工事、金融組合、水利組合を作りお金を低利で借りれるようにする→安心して農業ができるようになり、また生産性が高まったので農作物を日本に輸出し多額の利益を得ていた。(代表者はサムスングループの代表者この際に得た利益でサムスングループの前身を作った)

・小学校を作成。統治前は100校→1943年には4271校。ハングルを必修科目とするが、教授言語は日本語。ハングルの識字率ハングル6%→22%に上がった
科目は日本語、朝鮮語、算数、日本史、朝鮮史、修身など。
普通学校の就学率は1910年で1%→1923年に11.2%→1943年には49%になった。

・1933年に民主的選挙の導入。8割以上の議員が朝鮮人となる。

・朝鮮が日本にとって日本本土を守る重要な要であり、日本の中で最も遅れている地域の1つと捉えられたので、富国強兵政策に従い、国家予算を朝鮮半島に使い、鉄道、道路、上下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など最新鋭のインフラの整備を行なった。(主な労働力は朝鮮人が行い、無償労働による工事も行われていた)

・衛生面や生活面の向上からコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病による乳児死亡率が減少したので、平均寿命は1910年24歳→1942年45歳となった。

・人口推移は1910年1313万人→1942年には2553万人

1944年9月から1945年8月まで朝鮮半島でも国民徴用令をだす。それ以前は志願兵制を取ってて、1937-1943年で志願者総数は799,201人合格者は17,664人だった。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣が行われた。(1959年の外務省の調べによると徴用で日本に来て在留しているのは245人)
その他の渡航者は大半は職を求めての個別渡航で日本にやってきてて、工鉱業や土木業の募集に応じて来た者だった。

【慰安婦に関しては】

・慰安婦制度を確立したのはフランス。(1802年)目的は性病対策と軍事慰安だった。
・1910年に婦人売買禁止に関する国際条約が国際連盟で取り決められた。
→慰安制度があったことが国際的に認められていた。

・朝鮮において、少女を誘拐したり妻だと偽って人身売買を行うケースが増えていた。
女性の値段は500-1200円。
・朝鮮総督府警察はこの誘拐業者を取り締まり、そのデータによると略取・誘拐の検挙数は1935年朝鮮人2,482人・日本人24人、1938年朝鮮人1,699人・日本人10人、1940年朝鮮人1,464人・日本人16人。
→人身売買を行っていた人の中に日本人が入ってるのが残念だが、それ以上に朝鮮人の量に驚く。

・日本では慰安施設の設置が強姦や輪姦の抑止になると考えられていて、設置前には強姦が多発していた。ただ、設置後も強姦は絶えなかった。

・1938年に慰安婦の募集が行われた。
3000人の募集で、契約は2年前借金は500-1,000円まで、16-30歳まで。
また、「慰安婦に就職しないか?」と勧誘していた不審な男が逮捕されたりもしてた。

COMFORTAdd-2

慰安婦への給料は不払いが起きないように管理されてて、半額を預金通帳へ、半額を軍票で渡していた。
故郷に1000円で家を建て、5000円は兄に送るなどのケースもあった。
日本軍を相手とした場合、半分以上は女性の手取りとなり、残りは業者のものになった。
日本の内地より朝鮮半島の慰安所の給料が良かったので、吉原から朝鮮半島へ移動した人もいた。
→朝鮮半島の慰安施設の厚遇が見られる。

・ビルマにあったマンダレー慰安所においては、使用者の守るべきルールとして、「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員に暴力を行わないこと」「サックを使用し性病予防を行うこと」「違反者は慰安所の利用停止ならびに会報に載せ、その部隊の使用停止につながる」とされていた。

日本政府から「慰安婦を誘拐まがいの方法で募集を行う業者がいるから注意せよ」という通達が出されていたが、その業者への軍の関与と解釈するか、対策と解釈するかで意味あいが変わっている。
→解釈の違いで大きな論争になっているポイント。

第二次世界大戦において戦地での性政策は自由恋愛型(私娼中心。イギリスの・アメリカ)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連、朝鮮)の3タイプ。
日本における慰安婦の制度・運用・実態に関しては、客観的に叙述が難しい。
ちなみに第二次世界大戦の際に国家管理型で慰安婦制度を採っていたのは日本とドイツ。

【挺身隊と慰安婦の混同】→どうやらこの件に関する混同が現在の論争を呼んでいるようだ。
挺身隊→主に工場などの勤労労働に従事する女性
慰安婦→戦地や占領地、内外地での公娼。

・日本での政策
1944年8月、日本内地においても日本人女性を工場に強制動員する女子挺身勤労令が出された。(12-40歳までの未婚女子)また、学徒動員もあった。

・韓国での政策
朝鮮では、1944年9月から徴用令を出した。朝鮮半島の女性に関しては、日本内地における徴用令も女性への女子挺身勤労令も発令されなかった。
が、学校の先生の斡旋によって、女子挺身隊が日本内地へ向かった事例(総数は1万人)もあったため、挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員されると慰安婦にされる」というデマが流布した。
この事は朝鮮総督府も認識してて、挺身隊→慰安婦というデマのせいで、労働力の確保がこれから難しくなるという予想している。
→韓国の当時の総督府はデマだと明言している。

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【敗戦後の日本の在留民への扱い】

ソ連軍では慰安所は設置されてなかったが、レイプが黙認されていて、満州や朝鮮半島では日本人女性の強制強姦が各地で繰り返されていた。
また、朝鮮人もソ連軍兵と共に非戦闘員の女性に対して集団強姦を行い、強姦後に虐殺するケースもあった。
強姦により妊娠したり、精神的な病を患った女性の治療をした二日市保養所では4500件の中絶手術が行われた。
→なぜこの点が問題意識を持たれないのか?と思う。

【戦後】

1945年に日本が敗戦し、朝鮮半島はアメリカとソ連の統治下に入り、38度線で区切られ、南部を韓国、北部を北朝鮮とした。

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統治後日本においては占領軍による一般女性のレイプ事件が予測された為、連合軍向けの慰安施設を設立した。
慰安所を作ったが、進駐軍が民家に入り女性を強姦する事件は多発した。この事件は連合軍元帥のダグラス・マッカーサーももちろん認知してて、アメリカ軍から女性を守ろうと作られた自警団はアメリカ軍の戦闘車両により鎮圧され、刑務所に監禁された。

韓国は自国が第二次世界大戦の戦勝国だと主張するも、統治下だったので認められず、独自に日本と交渉を始める。

交渉中に1950年から朝鮮戦争が勃発。
朝鮮戦争中、日本人の慰安婦も在日米軍基地や朝鮮半島に連れて行かれた。

1965年に日韓基本条約を締結。
この際に1910年以降に交わされた全ての条約や協定は全て無効であることが確認される。
また、日本は韓国に対して巨額の資金協力を行なった。無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル。
また統治時に日本政府が作った施設などは無情件で韓国政府のものになった。

この条約により取り決められたことは、

・個別請求権の問題解決
・相手国に対する個別請求権の破棄

3億ドルを年2500万ドルの支払いを12年間払うことが決められた。

日本はフィリピン・インドネシア・ベトナム・タイ・ビルマ・台湾に7600万ドルを毎年支払っていた。
この中でフィリピンが最多の額が2500万ドルで、フィリピンに支払っている金額と同様の額を韓国に払うが、フィリピンに対しては12年と長期ではなかった。

韓国政府に支払ったお金は朝鮮半島に払ったものなので、被害者に向けたものや北朝鮮に対する賠償金でもあったが、政府はもらったお金のほとんもを韓国政府のためにのみに使った。

韓国政府が第二次世界大戦時の軍人・軍属・労務者として招集された人の遺族に払ったお金は30万ウォン(当時約2.24万円)。総額91億8000万ウォン(当時約58億円)。無償3億ドル(当時約1080億円)の5.4%のみだった。

日韓基本条約によって、個別・集団請求権の破棄・解決がらなされ、その際に取り決められた約束を日本は支払いという形で行なったが、2015年の締結に至るまで、韓国政府は日本へ請求してきて(日韓基本条約には慰安婦が入ってなかったとかイチャモンつけて)、2015年の締結時にはまた改めて10億円もの大金を支払った。

ちなみにドイツが行ったユダヤ人に対する政策は、1人につき6000マルクを支払うというものだったようです。

調べてみて。

慰安所を管理しているのが日本軍。
条件に関しては日本政府が決めるが、慰安所に慰安婦を連れてくるのは業者。
業者の中には強引に連れてくるものもいた。業者はもちろん日本人だけでなく、中国人や朝鮮人も業者として働いていた。
慰安所を運営している業者にはもちろんメリットがあった。
→これが強制的に連れてこられた慰安婦の実態なのかな。と思う。

敗戦後、移住していた日本人も大きな被害を被った。
→なぜこの問題に問題意識を持たないのか?中絶件数を考えると、大問題だと思うが。
逆に朝鮮の慰安婦の中絶手術の件数を知りたいと思う。

日韓基本条約とはなんだったのか?と思う後の対応に関しても留意したいと思った。

調べることで知れる知識があるのは嬉しいと思った。
ただ、上記のものも歴史の一方的な解釈に過ぎないので、意見としてもつがこだわりは持たず、柔軟な姿勢でいることが重要だと思う。
歴史認識に関して、意見がないのが一番ダメなことだと思うので。。。

参照
日本の慰安婦
日韓併合条約
日本統治時代の朝鮮

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フィリピン留学中に韓国人の友達と話したこと〜兵役と慰安婦問題について〜

ハロー!つばさです。
今回は留学中に韓国人の友達と話した事を書きます。
僕の学校は韓国資本だったので、韓国人がたくさん学校にいて、ルームメイトも韓国人でした。

みんなめっちゃいい奴で、一緒に生活してて楽しかった。

せっかく仲良くなったからと言う事で、韓国と北朝鮮の国境に行った時に興味を持った兵役について、僕が韓国人の友達に聞いた話と、友達から慰安婦問題についてどう思う?って聞かれた時の話をしようと思います。

韓国と北朝鮮の国境に行った時の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

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まずは、韓国の兵役について。

תרגיל גדודי קרקל

韓国人の男性には2年間の兵役に従事する義務があります。
この兵役を乗り越えないと一人前と認められず、正社員として仕事に就くこともできません。
多くの人は、高校卒業後か大学在学中に休学して兵役に就くようです。

兵役の話は3人の友達から聞いて、概要・環境面に関して・兵役のメリットの順番で書こうと思います。

まずは、概要から。

兵役中は4つのパート(1パート6ヶ月間)があるようで、入隊後最初の6ヶ月間は猛烈に厳しい部隊に参加し、全くプライベートなしの生活を送るようです。

殴る蹴るとかも普通で、先輩には逆らえない状態らしいです。
その後少しずつゆるい部隊に移動して、最後の6ヶ月間は少しは自由がある身分になれるようです。
兵役中の兵隊がもらう給料は月額8000円くらい。

学校のグループレッスンの中で、『もし自分の人生で過去に戻ってやり直しができるならいつがいい?』って質問で、ある友達が『military serves(兵役) の後がいい。もう一度兵役に就くのは嫌だ!』って言ってたのが印象的でした。

環境面に関して。

どこの部隊に所属するかが重要で、ある部隊では訓練中に目が見えなくなったり、負傷したりするようです。
ただ、軍に従事している医療機関があまり良くないらしく、多くの兵は休みを取って、自分が普段から通っている医者に行くようです。
その友達は、何よりも変えて欲しいのは医療機関の質だと言ってました。

あと、『兵役中は北からの脅威についてどのように考えてたのか?』と聞くと彼は、『北朝鮮が攻めてくる可能性は低く、今北がやってる事はほとんどがパフォーマンスだ。』と言ってました。

なので、そこまで危機感とかがある感じではなく、兵役に就く必要があるからその期間だけ就くという、一種の通過儀礼のような位置づけのように感じてたようです。

最後に兵役のメリットについて。

多くの韓国の友達は『兵役はもうやりたくない』と言うんですが、それと同時に『兵役をやって良かった』と言っています。

と言うのも、兵役中の礼儀や作法の教育がしっかりしているので、知識量が増え、立ち振る舞い方を知ることができ、圧倒的に体力や忍耐力がついたと。
その結果、『韓国では男と女の間で知識格差があるんだ。』って言ってました。

あと、これは実際に聞いた事ではなく、僕の実感ですが、部隊や時期は違えど同じ兵役をこなしたことによって、ある種の一体感や仲間意識が韓国人の間で生まれてるなと思いました。
そのメンバーが将来企業を担う役割になった時に、強いチームワークを生み出すことで韓国の企業は伸びたのかなーと。

『戦争が起こらない』と言う大前提の元で考えると、兵役のような時期がある事は大きなメリットを生むのかなーと思いました。
まぁ現実問題、今の日本でやるのは難しいし、無理だとは思いますが。

次に慰安婦問題について。

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慰安婦問題については、ある日の昼食に食堂でご飯を食べながら今まで行ったことのある国について話をしている時にある友達が、『comfort women』の事は知ってる?って聞いてきたことから始まりました。

最初『comfort women』の意味がわからなくて、何の話をしてるんだろうと思ってたんですが、google翻訳で調べると、それが慰安婦だと言うことがわかりました。

彼は『慰安婦問題について日本人がどう考えているか?知りたいと思っているけど、どの日本人に聞いても良く分からないって言われて話が終わっちゃうんだ』と言ってて、これは日本人として大問題だ!と言うことで時間を作って話すことにしました。

話したときの会話の流れをそのまま書いたので、読みにくかったらすみません。

まず最初に慰安婦がいたかどうかについて話しました。

僕は『今の風俗嬢のような、お金を貰ってそういうことをする人がいたが、それらは全て募集して集めたもので、強制ではない』という主張をしました。

彼は『韓国人は仕事があるからと集められ、そこに行くと実はその仕事が慰安婦だった。だから強制だったし、中には惨殺される人もいて、その証拠写真がこれだ!』と当時の募集票の写真や韓国語と日本語翻訳がされているサイトのページを見せてきました。

35年間の支配や滞在していた部隊の多さから100パーセント強制的な行為や殺害事件がなかったとは言えないので、一旦慰安婦がいたとして話を進めました。

その後、仮に強制的な慰安婦がいたとして、その人たちが被害について日本の安倍首相に認めて欲しいという主張をしたが、安倍首相がそれを認めなかったことについてどう思うか?という話になりました。

僕は『それを認めさせるのは難しい。と言うのも2015年に日本と韓国の国家間で慰安婦事件に関して話を終わらせましょう!って言う締結(日韓合意)をして、その際に日本は韓国に対して支援金を送っている。もちろん、第二次世界大戦で負けたから、その前からずっと賠償金を払っているし。
国家間で決まったことを、個人→国で主張して認めさせるのは無理だ。もし、この件に関して問題提起するならまず韓国の政府に言うべきだし、もし、今回の締結を破棄するならその際に払った支援金は返却すべきだと思う。』と言う主張をしました。

これに対して、彼は『でも、強制的な慰安婦がいたのは事実だからそこに対して認めないのはおかしい。ドイツは現在もユダヤ人に対して支援金を行なっていることを知ってるか?ドイツは第二次世界大戦で犯した罪に対する支援をずっとしてるのに、日本が辞めるのはおかしい。日本は韓国に対してひどいことを行なったのだから。』と言ってきました。

この意見に対して、僕は『ではなぜ日本とドイツが支援をせざるを得ない状態になったか知ってるか?それは戦争に負けたからだ。もし、本当に仮の話だが日本やドイツ・イタリア軍が第二次世界大戦の時に勝っていたら、韓国に賠償金を払うとか、行なった行為に関して支援を行うとかそう言う事態は起きてなかっただろう。そう言うお金は全て負けた国が払うものだからだ。
それに、1900年前後の植民地支配の中で確実に植民地支配後に多くの征服された国で強制的な慰安婦はたくさんいたし、殺害もあった。だから今の多くのアジアの国でいろんな肌の色の子どもがいるし、実際にフィリピンでも混血児が多くいる。日露戦争の時にソ連軍のバルチック艦隊が泊まった寄港地では、どこも慰安婦だらけだったと言う資料も残っている。
では、なぜこれらの国が処罰されないのか?それは戦勝国だからだ!勝った国が全て自分達の都合のいいように解釈して作るから負けた国の問題になって、賠償金支払いの義務が生まれる。日本は第二次世界大戦で負けたから韓国やその他の多くの国に賠償金を支払った。』と主張しました。

この話をすると、彼は一瞬止まってそれは本当のことか?と言う反応をしたあと、考え直して『それでも日本が行なった行為は悪いことだそこの認識はあってるか?』と聞いてきた。

あまりにも日本が行なった行為を悪く言われるので、ベトナム戦争時の韓国兵の話をした。

ベトナム戦争時に傭兵として戦争に参加した韓国人は、ベトナム人の村を見つけると、村の人を全て殺して、女性にはレイプ→殺害。全ての金品を略奪していたと言う事実をベトナムを旅していた時に、多くの博物館で資料として確認して知ってたので、韓国人が行なった行為についてはどう思っているのか?と確認してみた。

また、日本は韓国に対してその罪を償う為に賠償金を払ったが、韓国はベトナムに関して何もしてない。仮に虐殺・レイプを日本が行なっていたとして、日本は罪を認めて賠償金を支払っているが、韓国は何も行っていない。日本の方がまだ誠実だと思うが?と言う風に聞いてみた。

すると、彼は『もちろんベトナム戦争時に虐殺、強奪、レイプをしていたのは知っているが、そこに政府は関与していなかった。だから国が責任を取る必要はないし、国の問題ではない。それに対して、日本は政府が慰安婦を作る事を許容して、慰安婦を管理する施設も作っていた。国がこのことに関与して動いていたという事実が一番の問題であり、国が関与していたから国が責任を取るべきだ』と言ってきた。

彼からすると、行為に対して国が関与したか?していなかったか?が一番の問題らしい。

僕は『当時を振り返ると、日本が慰安婦を管理することは当然の事だと思う。と言うのも満州事変が1931年からずっと続いていて、ずっと戦時中だ。満州国への兵の供給ラインである朝鮮にいる兵が変な事をして、戦えない状態になったり体調不良になると大問題だから、性的な感染経路になる可能性がある慰安婦が病気にかかってないか確認したり、生活を管理したりするのは当然だし、軍の規律を守る為に政府がそれに関与することは当然だと思う。だって、そこが戦争の戦場となり、ずっと戦争が行われていたのだから。
韓国は南北戦争の後、国の体制がしっかりしてない状態でベトナム戦争が始まり、傭兵として出て行った兵士を政府が管理できていなかったのは、政府の力がそこまで及ばなかったからだ。
行なった行為・行動は同じだからそこに差はない。』と主張しました。

それでも行なった行為に関して政府が関わったか関わってないかが一番の問題だとずっと言ってくるので、結局今日の話をしてどうしたかったのか?と聞いてみると、彼は『日本が韓国に行なったことが悪であると言う自分の意見を僕に主張し説得し認めさせたい』と言ってきた。

それは無理だ。と伝えた。
なぜなら僕は歴史感に関して自分で勉強して、自分なりの解釈や理解があるから、彼の意見を一つの側面として捉える可能性はあっても、彼の意見に傾倒されることも、彼の話の根拠が正しいとも思えないからだ。

結局国が関わったことが、問題になるか?ならないか?という話をいろんなたとえ話を交えながら続けていると就寝時刻の12時になり警備のおじさんにもう部屋に帰れ!と言われ、それで一旦話は終了した。
気づけば2時間ほど話をしていたようだ。

結局それ以降話す機会がなかったので、この状態で話は終了。
話の後も彼とは同じグループクラスを取ってるので、普通に挨拶し、普通の会話をして普通に過ごしてました。

今回の話で、新しい歴史に関する考え方や捉え方を知れたし、自分の知識が足りてない部分もわかったので、また調べてみようと思う。
それにしても、Google翻訳を使いながらでも、英語でこれだけのことが話せるようになったのは嬉しかった。

その後調べた内容はこちら↓
日本と韓国の歴史について調べてみた〜旅に出る前に必要な歴史の知識〜

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あまり知られていないプエルトプリンセサと日本の悲しい歴史

はろー、あゆみです!!
ようやく重い腰を動かしてプエルトプリンセサから移動か!?という感じでーす。次はマニラに行く予定!!

実はプエルトプリンセサに来て初めて知った日本の歴史があります。そのことについて今回は紹介したいと思います。

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キレーな教会があるらしいから行ってみよーぜ!!ってノリで訪れた教会「イマキュレートコンセプション大聖堂」
IMGP4337

この横にひっそりとあったこの場所。
実はここに悲しい歴史が隠されていたのです。
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ここは、「Plaza Cuartel」
この門の横にはこんなことが書かれていました。

1944年12月14日に、150人ほどのアメリカ人の捕虜が日本兵によって焼き殺された

P8201243

え!!?と思ってさっそく中へ。
中は公園のようになっていて、第二次世界大戦時のパラワンについて書いてありました。
P8201244

ビサヤの戦いというのがあったほど激しい戦場と化したフィリピン。
P8201248

よく考えたらフィリピンって、第二次世界大戦で日本軍と連合国軍の戦場になってしまった場所なんですよね。

で、ことが起こったのは、1944年12月。
なんと日本軍はアメリカ人捕虜に、「空襲が来たから防空壕に入れ」と指示を出し
アメリカ人が入った防空壕にガソリンを付けて火を放ったそう。
P8201251

なんてこと!!

1944年12月というと、戦争も末期に近づき日本軍も疲弊してきたころで、しかも連合国軍がフィリピンに上陸したという誤報もあいまってこんなことをしたそうだ・・・。

この公園には、そのアメリカ人捕虜たちの殺された場所に記念碑が立っていました。
IMGP4343

IMGP4344

旅行していると、日本人って割といろんなところで良いことをしてきてて受け入れてもらえるから、日本人であることを誇りに思うんだけど
ここにいるとき、日本人であることが居たたまれなくなりました

で、もっと知りたいって思って次の日行ったのは「World War II Memorial Museum」
1人50ペソで入れます。
IMGP4391

入り口にあったこれ・・・
IMGP4393

実はアメリカ軍が日本軍からフィリピンを勝ち取った時の様子っていうw左手に持ってるの大日本帝国の国旗だからね。
中に入ると、USアーミーの服着てジープ乗って写真撮らせてくれるってので撮りました。
IMGP4400

なんか日本人なのに皮肉な・・・・。

最初にパラワンで起こった虐殺の様子について写真付きで説明がありました。
IMGP4409

アメリカ人の捕虜ってこんなにもやせていたんだ・・・って可哀そうになります。十分にご飯食べさせてもらえなかったんだろうな・・・。
IMGP4410

日本人の大将や少尉たちが”犯罪者”として貼られていました。
IMGP4411

で、ここが実際にアメリカ人捕虜が焼き殺された防空壕。
P8221359

そして生き残った人たち。
P8221360

焼き殺した日本人はそのあと捕虜となり、東京で裁判を受けることになります。
P8221369

なんかこの表情を見てると、ただの普通の工場のおっちゃん・・・みたいな感じがして・・・。本当はこんな事したくなかったんだろうな、とか、
日本軍の上の命令に逆らえなかったんだろうな・・・とか、思っちゃいます。

奥の部屋に行くと、パラワンの軍のコーナーと
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日本軍のコーナーと
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アメリカ軍コーナーと

なぜかいろんな国の戦争グッズを集めたコーナーがありました。
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パラワンで見る日本軍のモノ・・・。フィリピンって戦場だったんだなって思わされます。
戦場に出ていく子の寄せ書きがありました。
IMGP4422

そこには、ひっそりと英訳が・・・。
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ちなみに日本の兵器が並べられてるコーナー
IMGP4417

長さ足りてないから!!笑 
P8221408

ちゃんと図ってからつくろーね!さすがフィリピン(笑)

ふつーに置いてある爆弾。
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そしてこういう風に飾られると違和感を感じるのは、自分が漢字が読める日本人だからか・・・?
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アメリカのコーナーに置かれているグッズはどれも大きかったです。
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これは日本勝たれへんやろって直感で感じました。

ちなみに・・・フィリピンの展示は・・・

P8221457

なんかテイストちがくね・・・?

このほかにも、フィリピンで当時使われてた大日本帝国が発券したペソ札とか
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記念切手
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さらには捕虜の人が書いた手紙(日本軍の検閲印あり)
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なんかもあって、なかなかすごい博物館でした。

ここ、プエルトプリンセサにくるまでは全然知らなかった悲しい歴史。
こうやって実際に行ってみることで初めて知って、興味を持つ機会が与えられるんだな、と思いました。

「Plaza Cuartel」の場所

「World War II Memorial Museum」の場所

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つばさ&あゆみの新婚旅行日記

韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

ハロー!つばさです。
韓国と朝鮮の軍事境界線(DMZ)ツアーのブログが長くなりすぎたので、前後半に分けることにしました。
まさかの前半は移動中バスの中での会話と、臨津閣(イムジンガク)公園を見ただけで終わってしまったんですが、いろんな貴重な話が聞けてめっちゃおもろかったです。

ちなみに前回の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編

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DMZツアーの為に、パスポートを見せて入ってからすぐに、ガイドさんはこんなことを言いました。

『ここから見えるあの道はソウルにつながる道なんだけど、あの上のコンクリートの部分の中にはダイナマイトがたくさん入ってて、攻め込まれた時に、進軍させない用にしている。』

『ここら辺は全地帯に地雷が埋められていて、道を少し逸れると、地雷地帯なので絶対入ってはいけない。7月とかは雨がめっちゃ降るから地雷が雨で流れてきて、たまに踏んで怪我する韓国人がいる』

道路沿いには地雷危険のマークが
P4089394

『この施設に地雷を発見する部隊の人がいて、600人ほどが所属している』

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『この施設の先がケソン工業団地になっていて、工業団地が使われていた時はここから韓国人は工業団地に行っていた。』

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進軍を防ぐ為のダイアマイトの壁や、地雷危険マークなど全く見たことはなかったので、かなり驚き、また停戦中ではなく休戦中なんだということを改めて実感しました。

そんな話を聞いていると、南侵第3トンネル&DMZ映像館に到着しました。

P4089400

係員に確認したところ、第3トンネルの前に先に映像と資料館に行くことになったので、そっちに向かいました。

P4089401

映像を見る時は、日本語が聞こえるヘッドフォンをつけることができたので、内容をしっかりと把握することができました。

P4089403

映像ではこんなことが話されていました。
韓国と北朝鮮の軍事境界線は、世界で唯一の休戦地であるが、停戦中も北朝鮮は韓国侵略の為のトンネルを作っていた。

1974年11月17日
第1トンネルを発見

1975年3月24日
第2トンネルを発見

1978年10月17日
第三トンネルを発見

第3トンネルは、1時間に3万人の兵力と武器を動かせる程の大きさで、北朝鮮の侵略意欲の本気度が明らかになった。

1990年3月3日
第四トンネル

北朝鮮はこのようにトンネルを使ってソウルを強襲しようとしていた。
北朝鮮は10のトンネルを作っていると言われていて、まだ4つしか見つけられていないことのに危機感を感じている。

休戦中にも関わらず、北朝鮮は下はトンネル、地上、海上でも絶えず韓国への挑発を行なってる。

ただ、DMZ地域は休戦後ずっと人が全く入ってこない地域になっていたので、多くの野生動植物が生きていて、多くの生物研究者が研究を行いたいと言っているようです。

映像の最後の『統一時代の象徴としてのDMZ、2度と民族の痛みを繰り返さない』という一言と共に、朝鮮半島(北朝鮮部分は赤色、韓国部分は青色で配色されている)を青色で全て覆う(韓国が全てを統一する)映像が流れていて、やはり侵略することを考えているという事がはっきりわかった。

映像を見た後は、横の資料館に向かいました。

P4089405

軍事境界線の模型を見て、今回回る場所やそれ以外の重要なポイントの説明を聞きました。
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その後、北朝鮮軍がトンネルを掘っている時の方法やなぜトンネルを発見できたのか?という話を聞きました。

トンネルを掘っている時の様子はこんな感じだったようです。

IMGP4158

北朝鮮が掘っているトンネルが見つかったのは、1972年キムブソンという北朝鮮軍の兵隊が韓国に亡命する為に移動してきました。
が、亡命中に国境にある地雷を踏んでしまい、韓国軍に保護されました。
この亡命した兵隊が実は北朝鮮が掘っているトンネルの測量を行っていて、測量した結果絶対に韓国に向けてトンネルを掘っているという事を伝えました。
朝鮮半島は、岩石半島なので、北朝鮮軍はスコップなどを使って穴を掘ることはできず、小さい穴を作りダイナマイトを入れ爆発させて穴を掘り進めていました。
なので、手のサイズ程の穴をたくさん堀り水を注ぎ込んで、その水が溜まらずに流れたり、爆発の勢いで吹き出したりするとその場所から地下にトンネルを掘り進めることで、北朝鮮が韓国侵略の為に掘ったトンネルを発見しました。
北朝鮮軍は韓国が穴を掘っている振動を察知し、韓国軍がトンネルを発見した時にはもういなかったようです。

20年程前に韓国と北朝鮮の国境調整されたので、現在の亡命者の大くは中国側の国境から行われているようです。

その後、韓国と北朝鮮軍が休戦協定を行った板門店(ハンモンテン)の模型を見て、その際にも貴重な話が紹介されました。

IMGP4160

現在板門店に駐在している軍人は黒いサングラスをしています。
それは、北朝鮮の軍人に見ている(睨んでる)と思われたくないからです。
というのも、板門店に駐在していたアメリカの軍人に以前ある事件が起きたことがこのきっかけになっています。
その事件とは、アメリカの軍人が韓国側の木の葉っぱを切っている時に起こりました。
アメリカの兵隊が葉っぱを切ったことで北朝鮮の兵士が見えやすくなり、監視しようとしていると思ったのかその行為に怒った北朝鮮の兵隊がアメリカの兵隊を斧で殺しました。
この事件以降、無駄な争いを起こさないように、サングラスをつけるようになったようです。

資料館を見た後は、第3トンネルの方に向かいました。

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第3トンネルは入り口部分は韓国軍がこのトンネルを発見した後、作ったもので奥に北朝鮮が掘ったトンネルがありました。
徒歩で行くパターンと、トロッコで行くパターンがあるんですが、僕らは歩いて向かいました。

徒歩の入り口はこんな感じ
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トロッコはこんな感じでした。

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トンネルの中はこんな感じです。
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中は撮影禁止だったので写真はないですが、まず、韓国が後日掘った方のトンネルを300mくらい降って北朝鮮が作ったトンネルに到着します。
朝鮮人が作った方のトンネルはかなり低くて、ずっと中腰でかなり歩く時はしんどかったです。
このサイズ感を考えると、朝鮮人の身長は結構低いのかな?とも思いました。
このトンネルの奥にある部屋の先は北朝鮮で、奥に入って捕まると帰ってこれなくなる可能性があるとガイドのリーさんが言っていたのがめっちゃ印象的でした。

一番奥まで行くと2つ部屋があって、監視カメラでしっかりと警備されていました。
一番手前の壁の前で止まって、小窓から奥の部屋を見たんですが、なんというかめちゃくちゃ不気味な空気感が漂っていました。
また、北朝鮮が最後に設置しようとしたダイナマイトを入れる穴や、韓国がこのトンネルを発見する為に掘った穴もあって、すごく異様な実際に見ないとわからない空気感が漂っていました。

トンネルを歩いあとは、周りの施設を見る時間があったので見て回りました。

トンネル施設の横にあったお土産屋にあったシャツ
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韓国の軍人さんの模型と一緒に写真を撮った
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分断されたこと・これからの統一を願っていることを表している?モニュメント
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DMZを表したモニュメントがあった場所
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ここの周りですが、よく見るとこんな表記がありました。

地雷危険マーク
IMGP4166

こんなに近くに地雷がある可能性があると言うのが、僕の中では非現実的な感じがありました。

第3トンネルのあとには、都羅(トラ)展望台に向かいました。
都羅(トラ)展望台からは、北朝鮮を遠目に見ることができて、天気がいい日には韓国と北朝鮮の旗や金日成の銅像、板門店、ケソン工業団地を見ることもできるようですが、僕らが行った時はあまり天気が悪かったので、景色はこんな感じでした。

IMGP4183

望遠鏡があって、望遠鏡を使えばうっすらと韓国の旗と板門店を見ることができました。

P4089473

トラサン展望台は30〜40年前は規制が厳しく、北朝鮮側の写真を撮ることはもちろん、見ることも禁止されていたんですが、現在はかなり緩和されていて、2年ほど前から写真に対してかなり緩くなったようです。

以前まで使われていた写真撮影する人用のラインも形骸化していた。
P4089466

ここでも、ガイドのリーさんはいろんな話をしてくれました。
DMZの中に、韓国の旗と朝鮮の旗があって当初はの高さを競っていたようです。
韓国が高くすると、北朝鮮が張り合う、北朝鮮が高くすると韓国も・・・という感じだったらしいですが、結局韓国側が折れて、現在90mくらい、北朝鮮の国旗は104~105mで世界一高い国旗になっているようです。

北朝鮮側の山々にはGPS機能を撹乱させたり、ネットを妨害する電波を発信していたり、ソウルに向けてミサイルを発射できるようになっているようです。
実際に妨害電波を発信している場所に来ることがあるなんて・・・と思いました。

また、ここからケソン工業団地を見ることができて、ケソン工業団地のことを少し詳しく知ることができました。
ケソン工業団地とは、南北共同・統一を目的として作られた施設で、韓国の中小企業100社程が鍋や靴、生活用品(韓国に出荷)を作る為の工場を運営していたようです。
金大中が大統領の時に行ったサンシャインポリシー(北朝鮮に優しくする政策)の一環で行われ、向上の機材などはすべて韓国が準備し、労働者として働いている北朝鮮の労力にも給与を払っていました。
北朝鮮はアメリカと問題を起こしているが、ケソン工業団地での給与は米$で欲しいと韓国に言っていたようです。
ちなみに、2016年2月に韓国から得た米$が、北朝鮮のミサイル開発・核開発の製作資金になっている可能性や、金大中・盧武鉉政権後、サンシャインポリシーは全く意味のないものだったと言った李明博政権になり、北朝鮮政権への当たりが厳しくなったこともあって(1ヶ月1人125$で雇っていたが、北朝鮮から150$に上げてくれと言ったが拒否したなど(今までの政権下では受け入れていた))、ケソン工業団地の運営が終わりました。

『韓国はこの工場を作る為に結構お金をかけたのに、もう1年も機材を動かしていないので、すべてがダメになりかなり損をした。』とリーさんが言っていました。

リーさんの力で、めっちゃ白人系の観光客がいる中、日本語の動画を見ることができました。ほんまめっちゃいいガイドさん。
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都羅(トラ)展望台の次は、このツアー最後の観光地、都羅(トラ)山駅に向かいました。

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都羅(トラ)山駅は韓国人の寄付によって2002年にできました。
できた時には当時のアメリカ・韓国の大統領がきてサインをして行ったようです。

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この都羅(トラ)山駅の2002年当初の構想はめちゃくちゃ面白かったです。
韓国・北朝鮮の関係がよければ2017年にはこの駅から北朝鮮のピョンヤンに行けるようにする予定だったようです。
そして、ピョンヤンから中国やロシア、ロシア(シベリア鉄道)を超えてヨーロッパまで行けるようにする構想でした。
日本から釜山に海底トンネルを通って行けるようになる予定なので、一度も空路を使うことなく日本からヨーロッパに向かうということも可能になる予定でしたが、関係悪化の為、現場実現は難しいです。

構想の路線
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国際線になる予定だったので、イミグレーションがあった。
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駅もめっちゃ綺麗で、使っていないのがもったいないくらいです。

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ホームを見るとピョンヤンと書かれた標識があった
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個人的にめっちゃおもしろいと思ったのは、この釜山からピョンヤンを超え、ロシアのシベリア鉄道につながる鉄道の基盤が日露戦争の時にロシアが資材の輸送で作り、戦後日本が経営権を得た満州鉄道がベースになっていたことです。
ずっともしかしたらそうかな?と思っていたことをリーさんに聞いたら、僕の認識が合っているということを知れてなんか嬉しかったです。

こんな感じで、日本語で書かれたパンフレットや日本語のヘッドホンをつけて受けるツアーとは違い、質問すれば答えが返ってくる、日本語でのツアーに参加したことで、本当に多くのことを知れたのは本当に貴重だなーと思いました。

これで、今の日本語のレベルに英語レベルも上げれれば、どれほど世界観が広がるのだろうか?と考えると、これからのフィリピン留学を含めた英語学習がより一層楽しみになります。

本当に貴重な体験をさせてもらったツアーでした。
これで2人で9000円くらいだったので本当に安い!と思いました。

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