「チェルノブイリ」タグアーカイブ

チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜後編〜

はろー、あゆみです!!
今朝、なんかめっちゃ寒気がして目が覚めたんで、iPhoneの天気でキエフの気温確認したら・・・
-5℃でしたw
あかん、もうそろそろ移動せな!!ヨーロッパにさむ〜い冬がやってくる・・・

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チェルノブイリ原発見学ツアーもいよいよ終盤です。
チェルノブイリの記事についてはこちらもご覧ください。この記事は、これの続きです。↓
チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜予習編〜
チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜前編〜

チェルノブイリ原発4号機の見学が終わり、次に向かったのは、プリピャチ村というところ。
ここは、原発から3kmしか離れていない村です。原発が稼働していた頃は、ここに原発関係の開発者、研究者、職員、そしてその家族が5万人近く住んでいました。

ここからプリピャチ村だということを表すモニュメント。
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原発の職員用の街だったので、1970年と比較的新しい街です。
1986年4月26日の事故以降強制退去させられた街なので、16年間ととても短い街だったんですねー。

メイン道路と言われる道を進んでいきますが、見ての通り、木が生い茂りアスファルトもガタガタ・・
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賑わっていた姿は見る影もありません。
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昔商店に使われていた建物。
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そして、ここが街の中心。文化センター。
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人が住まなくなるとここまでも衰退してしまうんだな・・・という感じです。
ここ文化センターの中に入って見学しました。
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なかは、窓ガラスが散乱し、壁も剥がれ落ち、THE廃墟って感じです。
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希望に満ち溢れてたんだろうなぁという壁画を見ると悲しい気持ちになります。
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映画館だったところもこの廃れっぷり。ちょっと残った座席がまた悲しい・・・
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ここは体育館。
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体育館からは観覧車が見えました。
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文化センターを抜けて、遊園地へと向かいました。
この遊園地は、原発事故の5日後、5月1日のメーデーに合わせて開業する予定だったところです。
が、結局開業することもなく、廃墟となってしまいました。
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ゴーカート。
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メリーゴーランド。
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そして、観覧車。
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すると・・・ここで急にガイガーカウンターがビービーいう音が聞こえてきました!!
この村に来てから、だいたい0.20μSvぐらいだったから完全に忘れてました。

アスファルトがめくれた土の部分。ここにガイガーカウンターを近づけたらみるみるうちに値が上がっていく!!
10μSv近くにまでなりました。
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29年経った今でも土壌汚染はなくならない・・・そう思った瞬間でした。

そして、またもやガイガーカウンターが鳴りました!!
しかも今回はアスファルトの上!!
値がどんどん上昇し、なんと15μSv越え!!!
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ガイドによると、ここの地下に核廃棄物のようなものが埋まっているのではないかということでした。

ほんと、ホットスポットって急に現れるから、怖いです。
そして、ガイガーカウンターを持っていなければ気づかないという恐怖。
何気なく立ち止まったところが実はホットスポットで、そこに1時間もいれば自分が浴びる放射線量がどうなるのか・・・考えただけでも恐ろしいです。それだけ放射能は目に見えなくて危険なんです。

そして、ここはメーデーに向けて作っていたと思われる政治の宣伝用看板。時代を感じますねー。
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そして、道端に落ちていたリンゴ。
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プリピャチの街は、晩秋になるとリンゴがたわわに実っていたみたいです、ってまさに今やん!!
でも、絶対手に取っちゃダメだし、食べちゃダメ!!

続いて向かったのは、プリピャチの競泳用のプールがある施設。
ここの時計は、事故があった1:23で止まっていました。
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中は当然ボロボロ。
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トイレもあったけど、廃墟感ハンパないです。
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そして、肝心のプールはというと・・・
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水が入ってない飛び込み用のプールってめちゃめちゃ怖いやん!!
上で立ってるつばさと比べても深さがハンパない!!!

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プールの見学も終わり、いよいよ最後のスポットです。
ガイドが・・・「今からビールが美味しくなることをするよ」と言ったので、もしや・・・と思いましたが・・・

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「今から320段昇るよ」

やっぱりー!!

普通の団地っぽくポストがありました。
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さぁ、頑張って昇るぞー!!
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途中、家具とかが散乱してて歩きずらかった・・・。ほんとここの人たちは、3日分の食料だけを持ってここをあとにしたんだなぁ・・・ていうのを実感。
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昇りに昇りまくり・・・ついに16階。
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そして、屋上に着いたー!!

なんというか、ある意味絶景でした!
森の中に埋もれる街、
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そしてその先に見えるチェルノブイリ原発。
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あんなに賑わっていた街も、人が住まなくなるとこうやって自然に負けてしまうんだね・・・

ちなみに屋上は0.24μSvでした。
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空気中の放射線的には、プリピャチの村は本当はもう住めるんだと思います。
でも、汚染された土壌がある限り、ここに住むのはちょっと危険かもしれないです。

これは、福島でも言えることで、福島の原発近くの村も、空気的にはもう放射線は大丈夫な値なんだけど、汚染された土壌をどうにかしない限り、住むのは難しいんだと思います。

降りるとき、住宅の中をちょっと見学。
だいたい2LDKや3LDKの部屋が多かったです。ほんと子供を産み、育てていくところとしてはいいところだったんだろうな・・・。
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最後に、チェルノブイリ村に戻って、ランチタイム。1人6$の追加オプションです。
なんかめっちゃちゃんとしたコース料理みたいなん出てきましたw
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ここの食材は、キエフでちゃんと放射線測定してるから安全なんだって!!
ちなみにこの席で一緒になったロシア人のツアー参加者の彼は、なんと原発でできた村出身なんだって!!
オブニンスクっていうモスクワからちょっと離れたところにある村なんだけど、自分の村とプリピャチ村の置かれている環境が似てるから見学に来たらしい。でも、原発事故があったら第二のプリピャチになるかもしれないって思うとどんな気分なんだろう・・・。

そして、ご飯も食べお腹いっぱいになったらまた来た道を車で2時間半かけて戻り、ツアーは終了。
19時過ぎに終わりました。

ガイドのおっちゃん(名前忘れた)、ありがとう!!大充実した1日となりました。
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今日浴びた放射線量の合計は、つばさ・・・2mSv、あゆみ・・・3mSvとなぜか私の方が多いですが、これは飛行機に1時間半乗ったのと同じぐらいなので、問題はなさそうです。

こんな感じでだいぶ勉強になり、重かったツアー。最後に、一言感想です。

あゆみ
実際29年前に起きた原発事故現場を目の当たりにして、私は福島がすごく不安になりました。
多分、原発付近に住んでいた人たちはもうそこに住むことはできないんだろうと思います。そして、奇形生物の増加と生まれてくる子供の染色体異常、そして甲状腺癌の増加。これは昔のチェルノブイリでも起こってたことで、今まさに福島でも起こっています。放射能は目に見えないからこそとても怖い。それを身をもって体感しました。
事故があった時にこんなリスクが伴う原子力発電をなぜまだ行っているのか、意味がわかりません。放射性廃棄物の捨てる先もなかなか見つかってないというし・・・。今回のツアーで、原子力発電について深く学べて、私は絶対反対派だな、と思いました。

つばさ
まず初めに、今回見学したチェルノブイリ原発事故現場とその近くの街プリピチャに行ってみて、これは日本の福島が将来辿る道だと感じました。
福島原発事故現場付近の立ち入り禁止地域は、おそらくこれからずっと人が住めず、ゴーストタウンと化すだろうし、自然がどんどん成長し、このツアーで最後に見たような景色になるだろうし。
そして、30年経ったとしても汚染された土壌や汚染水によって人が住むことができない状態が続く。
それに、ずっと止めることができない原子力発電所から出てくる汚染物に悩まされ、廃棄する場所を探すも見つからず、何の保証もないけど海の中に放出している状態で、なおかつ日本では福島の事故は完全に過去のものとなり忘れられている状態。
これは本当にまずいと思います。
実際に行ってみてガイガーカウンターが鳴ることでしか、わからない放射線がとても怖かったです。
ツアー中、もしガイガーカウンターを持ってなかったら、知らず知らずのうちに放射線濃度の高い場所に行ってることもあるだろうし。
もし福島原発事故後、汚染されているけど立ち入り禁止地域に設定されていない場所で、子供が泥遊びをしたり転けて怪我してしまった場所の土がホットスポットだったら・・・どうなるかは容易に想像つきます。
福島原発事故は原子力発電についてしっかりと考える機会を提供しているのに、うまく活かせていない感じがするし、チェルノブイリという先例があるからその事例を基に、もっと起きた事故に対する取り組み方についても検討されるべきだと思いました。
芸能人の結婚とか浮気より絶対重要な問題だと思う。。。

本日もご愛読ありがとうございました。
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チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜前編〜

ハロー!つばさです。
前回の予習編に続き、今日はチェルノブイリ原発事故現場にツアーで行った時の記事を書きます。
ちょっと写真の枚数が凄いことになったので、前編・後編に分けて書くことにしました。

予習編の記事はこちら↓
チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜予習編〜

ツアーは英語ガイドだったんですが、博物館で予習してたおかげで、前情報が入っていてなんとか理解することができました!!
博物館様様です。笑

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チェルノブイリツアー当日。
朝の6時30に起きて、集合場所に出発しました。

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地図上で確認した集合場所に行っても誰もおらず、あたふたしてるとツアースタッフさんが来てくれて、なんとか車の場所まで行くことができました。

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チェルノブイリのマークがついた車が今回のツアーで使われる車
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集合場所で、放射線汚染度を測定するガイガーカウンターをもらいました。
キエフ市内は0.13μSv(マイクロシーベルト)でした。

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ちなみに放射線量を表す単位には、Sv(シーベルト)とGy(グレイ)があります。(興味のない人は読み飛ばしてください)
調べたところ、シーベルトは人体に影響を及ぼす総量を表し、グレイは物質がどれだけ放射線を吸収したかを表す量です。
シーベルトの代わりにレムという単位が使われることもあり、1シーベルトは100レムで表されます。(m(メートル)とcm(センチメートル)の関係のよう)
前回の博物館の情報では、700レムの放射線を浴びると致死量に相当すると言われていたので、レムをシーベルトに変換すると、7シーベルトの放射線を浴びると致死量に至るということです。
今回使ったガイガーカウンターでは、単位としてマイクロシーベルトが使われています。
これは、シーベルトの100万分の1を表す単位ですので、700万マイクロシーベルトの放射線を受けると致死量に至るということです。
一応単位についてまとめてみました。

参照ページ
放射能と放射線の単位
放射線の人体影響を説明する時に用いる線量単位

移動中の車の中では、チェルノブイリに関する動画が流れていました。
博物館で見た内容が流れていたので、英語が流暢な方はこれを見れば博物館は必要ないかも。

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動画を見ながら走っていると、チェルノブイリ原発事故現場の入り口に到着しました。

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入り口にはこんな看板が
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ここでの放射線量は0.13マイクロシーベルトでした。
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入り口の警備や施設に関してはテロ対策のため写真撮影は不可でした。
入場してからはまず、チェルノブイリ原発事故現場の地図を見ながら、今日のツアーの概要の説明を受けました。

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その時に受けた説明をまとめるとこんな感じです。
チェルノブイリ原発事故現場には大きく分けて2つのエリアがあります。
事故発生現場の4号機から10km圏内のエリアと30km圏内のエリアです。
入り口には警備がいて、そのエリアごとに検査があります。
今いるところが30km圏内の入り口で、これからこの2つのエリアの中の施設を周ります。
10km圏内に入ると、外で水を飲んだり持ってきたご飯を食べるのはやめてください。車の中からださないように。あと、むやみにそこにあるものを触らないように。お土産に何かを持って帰るなんて絶対してはダメ。汚染されるよ!とのことでした。
最後の説明はちょっとビビっちゃいます。。

説明中近づいてきた野良犬
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入り口で参加者全員で撮った写真
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30km圏内のエリアに入ってすぐのところにチェルノブイリ村がありました。
今日一緒に車に乗ってきたスタッフの1人はここで仕事をするために付いてきていたようで、彼女はチェルノブイリ村の職場に向かいました。
ここで働く職員は、放射線の影響を考慮して15日ごとに交代するようです。

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チェルノブイリ村にはアミューズメント施設や職員の宿泊施設やホテルもあるようで、自然体験活動や宿泊できるように作り直したようですが・・・はたしてこの場所に自然活動をしにやってくる人はいるのか?疑問が残ります。

職員宿泊施設
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チェルノブイリ村に付いてすぐの広場でまず最初の説明を聞きました。

チェルノブイリ村に入ってすぐのとこにあった像
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汚染された地域の形をした場所
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この場所の近くにチェルノブイリ原発事故で犠牲になった村の名前が書かれた立て札がありました。

表面は白色の背景に黒文字で書いていましたが、
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背面は黒色の背景に白文字で書かれ、赤い線で斜線が引かれていました。
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ちなみにこの場所での放射線量は0.17マイクロシーベルトでした。
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この場所での説明が終わり、次に向かった場所はチェルノブイリ村から少し事故現場に近づいたとこにある銅像の場所でした。
ここには、事故当日にチェルノブイリ原発の火災を止めた地元の消防士を称えた銅像が飾れれていました。
ガイドさんが、『彼たちがこの村を救った本当のヒーローだ』と言っていたことがとても印象的でした。

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その後、事故発生後に現場で活躍したロボットが置かれている場所に行きました。
ロボット技術が発展することで、このような人体に影響が出る場所での仕事の中で、より繊細な仕事をロボットを使って行えるようになり、また現地の若者や知識労働者の被害を少なくすることに繋がるので、とても重要なことだと感じました。

当時使われていたロボット
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ロボットの施設を見た後、旧ソ連時代にチェルノブイリ原発で作られていた電気が使われていた旧ソ連のレーダーがある場所に向かいました。

道中見た今は使われていないバス停
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事故現場に近づいたことで、車内の放射線量に変化が。(0.22マイクロシーベルト)
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旧ソ連のレーダーのある施設に到着。
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この場所にも警備員さんがいて、確認し中に入りました。
レーダーのある場所に向かう道中には、多くの物が当時使わていた状態で置かれていました。

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壁に描かれた落書き
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こうして、レーダーのある場所に到着しました。

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このレーダーは冷戦時アメリカのミサイルや人工衛星の場所を特定するために作れれたものです。
かなり大きい施設で驚きました。

ちなみに、この場所でガイガーカウンターは0.41マイクロシーベルトになりました。
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旧ソ連のレーダーを見た後は、この施設の近くにある幼稚園に向かいました。
この幼稚園は、原発事故後に廃校になったところです。
幼稚園のあった場所に着いた時にガイガーカウンターは0.75マイクロシーベルトを計測しました。

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幼稚園の入り口には銅像が立っていました。
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幼稚園への入り口近くで、急にガイドさんがここはホットスポット(放射線量が多い場所)だからと指差してくれました。
その場所はなんの変哲もない場所なのに、ガイガーカウンターを向けると急にビービーと警報音が鳴り始めました。
ガイガーカウンターの警報音がなる数値の設定は3.3マイクロシーベルトにしていたのですが、この場所に向けると10.5位の数値に急に上がりました。
目に見えないし、体で変化を感じることもないのに急に数値が上がったことに驚き、それと同時に、放射線汚染被害の恐ろしさを思い知らされました。
気づけないことがとても怖かったです。。。

ガイガーカウンターが急に鳴りだした時の動画はこちら↓
ホットスポットで急に鳴り出すガイガーカウンター

ホットスポットの横を通り、幼稚園の方へ向かう途中の道も放射線放出量は高いままでした。(2,42マイクロシーベルト)

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以前使われていた遊具が壊れていた
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幼稚園の建物の中に入ってからは、カウンターの数値が0.20マイクロシーベルトと低くなっていました。
が、中の様子も悲惨で、昔使われていたであろうおもちゃが置かれたままになっていました。

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幼稚園の中の様子を動画に撮りました。その時の様子はこちら↓

チェルノブイリ原発事故の後廃校になった幼稚園の中の動画

原発事故により人間が住めなくなってしまったこの場所。
文明によって作られた建物が自然の力に負けている様子を今まで多くの場所で見てきましたが、ここはそのどことも違う生々しさがありました。

廃校した幼稚園を見た後はいよいよチェルノブイリ原発事故現場、4号機のある場所に向かいます。
途中窓から4号機が見えたなーと思っていると、またまたガイガーカウンターが鳴り出しました。
車の中で急に鳴りだしたので驚いて数値を見ると、5.60マイクロシーベルト。
カウンターが鳴り出さないと、気づかないという状況がまた恐怖心を駆り立てます。

窓から見えた4号機
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車の中で急に鳴りだしたカウンター
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こうして、チェルノブイリ原発4号機の前にやってきました。
この場所に到着してまず最初に思ったことは、『近い!!』ってことでした。
こんな近くまで来れている状況に驚きます。
そして、4号機の近くで多くの人が働いている状況にも驚きました。
クレーンを動かして仕事をしている人など土木工事をしている人がとても多かったです。
というのも、現在4号機を覆っているシェルターの耐用年数は30年。
1986年に作られたこのシェルターは2016年までしか保たないので、新しいシェルターを作っているのです。
だから、多くの人が仕事をしています。
不謹慎かもしれませんが、新しいシェルターが完成し、施行される前の状態が観れたのが良かったと思ってしましました。

4号機
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現在製作中のシェルター
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現地作業員の移動用バス
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4号機近くにある銅像
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事故現場と本当に近くにいるので、4号機のシェルターの細部が肉眼でも見えるし、カメラのズーム機能を使うとかなり詳細に見ることができます。
このシェルターを29年前の人たちはこの場所で命をかけて作ったのかと思うと胸が痛くなります。

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この場所では、ガイガーカウンターの数値は0.5~3.8マイクロシーベルでした。
ガイガーカウンターと4号機と一緒に撮影しました。

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その後、参加者全員で一緒に写真撮影。

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後編に続く
後編では、チェルノブイリ原発が動いていた時にここで働いていた職員が住んでいたプリピャチ村に訪問した時の内容です。

本日もご愛読ありがとうございました。
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チェルノブイリ原発事故現場に行ってきた〜予習編〜

はろー、あゆみです。
キエフの居心地が良すぎて、完全に沈没しているうちらですw
とりあえずご飯が安い、お酒が安い、宿泊費が安い!!の3Y(Y=安い)!!
こりゃたまらんなー!

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さてさて、うちらがキエフに来た最大の目的、それはチェルノブイリ原子力発電所の見学です。
チェルノブイリは、ここキエフから北へ130km(車で2時間強)行ったところにあります。

皆さんご存知だとは思いますが、1986年4月26日、チェルノブイリ原発4号機で爆発事故が起こり大量の放射線が放出されました。その後も3号機は使われていたのですが、2000年に完全に停止、今は使われていません。

そのチェルノブイリ周辺は今でも、30km圏内は、入ることが制限されています。が、政府に許可を取れば入ることができます。
その30km内に入って、原子力発電所とプリピャチ村(事故によってゴーストタウンとなった村)、チェルノブイリ村に見学に行くツアーに明日行けることになったので、今日は、キエフにあるチェルノブイリ博物館へ行って、予習をすることにしました!

宿から、チェルノブイリ博物館へは歩いて40分ぐらいだったので、観光も兼ねて歩くことに。

真っ赤すぎるキエフ大学。
赤門どころちゃいます。もう全部赤いもんw
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国立オペラ劇場。
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誰かわからん人。こんな銅像がいろんなところに立ち並んでます。銅像大好き、ウクライナw
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街の普通の建物でも、すごくきらびやかで大きい!!
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ほんで、でっかい広場に出た!!
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ここにある教会もこれまた立派。そして色が私好みw
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ウクライナ正教会は、全部たまねぎ頭で、ものすごくごっつい。
最初は「おぉー!!」って思ってたけど、見慣れてきてしまったー。

さらに歩くと、面白い時計や
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青空絵画市みたいなんやってておもろかった!!
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そして、またもや教会。たまねぎ。
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博物館の近くのスーパーに入ったら、中が開放的&オシャレでビックリしたー!!
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散策しながらようやく博物館に到着。
博物館の外観撮り忘れたっていう失態w

中に入ったら、いきなりこんなポスター。
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日本ってこんなに原発持ってるんだよ、そしてデモも起こってるんだよーって展示がエントランスでいきなりされてました。
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あと、福島の事故のこととか。
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日本のこと取り上げられてるけど、内容が内容なだけに全然嬉しくないです。なんか複雑な気分。

入場料は、一人10フリヴニャ。学生証持ってたので、5フリヴニャになりました。
だけど、カメラの撮影料が、30フリヴニャ。
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そして、日本語ガイドがありました!!日本人は悲しいがな、原爆や福島など核にゆかりがありすぎるから、結構見学くるんでしょうね。ガイドは50フリヴニャでした。
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ガイドを2つ借り、勉強モードです!!

最初、2階に上がるときに、チェルノブイリ原発事故で消えてしまった村の看板がありました。
こんなにあるんだ、そして、福島もきっとこんだけあるに違いない!って思いました。
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中に入ると、1:23で止まった時計がお出迎え。
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チェルノブイリ原発事故は、1986年4月26日の深夜1:23に起こりました。
4号機の負荷試験中に、突如暴走、制御がきかなくなり大爆発が起こったのだそうです。

その原発の事故を止めるために頑張った人たちのことをリクビダートと呼び、
リクビダートの人たちの45%は事故が原因で亡くなり、50%は重度の放射線障害で障害者となってしまったそうです。

そんなリクビダートの人たちの写真が壁にぎっしりと展示されていました。
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写真に貼ってある放射線マークのシールは、亡くなった人を表しているそうです。

チェルノブイリ原発4号機の見取り図。

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そして次は、その事故が起きた日に当直として働いていた作業員たちの身元証明書や写真の展示でした。
当初、この事故が起こった原因は作業員の怠慢にあったと言われていました。

でも実はそうではなくて、チェルノブイリ原発の構造の根本的欠陥があったのが原因でした。でもそのことがわかるまでの6年間、ひたすら犯人されてきたアレキサンドル・アキーモス(当時の4号機の当直責任者)。
遺書にも「私は悪くない」と書いていたそうです。
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アキーモスさんを含め、原発作業員はこのとき800レム(8000mSv)ほどの放射線を浴び(人間は700レム以上放射線を浴びると死ぬ)、多くの人が死ぬか、重度の放射線障害が残りました。

ホンマに可愛そうです・・。事故を食い止めるために頑張って、そのせいで放射線障害になり、さらに犯人扱いされたんだもん。ほんと、ひどい話です。

結局、旧ソ連が自分たちの責任回避のため原発作業員を悪者にしたわけですね。

次は爆発事故が起こってから、火災を食い止めるために頑張った地元の消防隊員の展示でした。
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4号機の火災が鎮火するよう、一生懸命活動しました。が、この時に大量の放射線を浴び、消防士の69人中54人が重度の放射線障害が残り、6人が亡くなったそうです。

消防士たちはみんな、22歳〜28歳という若者ばかり!てか、私より全員年下ー!!
将来もこれからだというのに、放射線による障害が残ったりするなんてホンマ可愛そうです。

そして次は、チェルノブイリ原発から3kmほどにある、プリピャチ村についてです。
ここは、原発作業員たちによる街で、平均年齢は26歳!子供も1年に1000人は生まれるという、若々しい活気のある村だったそうです。

が、この事故があった次の日、”絶対に戻ってこれる”と言われ、3日分の食料をもって、3時間で準備して、この村を強制退去させられました。

その時の映像が流されてました。白くモヤがかかっていたんですが、これは放射線によるモヤだそうです。
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この原発が起こった当初、この事故は旧ソ連政府によって隠されていました。
実際事故のニュースは新聞のこの赤色の部分、たったこれだけです。
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でも、放射線量の異常は、スウェーデンで確認され、事故があったのではないかというニュースになりました。
その記事がこちら。ニューヨークタイムズ紙です。
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ちなみに、この時キエフとその周りの街で毎日放射線の数値が計られていたんですが・・・
みてください!!
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29日以降軒並み異常値だったという!!

でもこれをひた隠しにされていたわけです。
なんだか、似てませんか!?日本の福島の原発事故に!!
そして、キエフと東京が原発からの距離的にも似ていることに!!

その後、原発の火災の沈下と、放射線の遮断のためにさまざまな作業が行われました。
ホウ素を混入させた砂をヘリコプターで投下させる作業。
これが作業図です。

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さまざまな作業が行われましたが、与えられた鉛のスーツが2/3しか放射線を遮断しないなど、放射線対策が不足していたため、160レム(1600mSv)の放射線を浴びたりしてしまいました。

学生によるボランティアもあったそうですが、それも放射線対策が不足していたため、一作業で14〜22レム(140mSv〜220mSv)の放射線を浴びてしまいました。
簡易な防御服とマスクとスコップで作業する学生達。
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ちなみにこれが、4号機付近の放射線マップです。
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★が付いているところが特に放射線量が高く、1000mSvにも達しました。

さらに炭鉱作業員によって、4号機までのトンネルを作り、作業をしやすくしました。
その作業も、放射線を防ぐのは配られた布マスクのみ。しかも作業は蒸したため、マスクも外す作業員が多かったそうです。
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これが使われたトロッコ。
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そのような作業の結果、チェルノブイリ4号機のシェルターが完成。

ちなみに、チェルノブイリ4号機のジオラマ映像が放映されてました。
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事故があった夜。
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事故直後。
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朝が来て鎮火。
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そして、出来たシェルター。
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このシェルターを作るために奮闘した人たちは、放射線の怖さについて何も知らされていない一般人。
こうやって、何の罪もないひとたちが、どんどん放射線に蝕まれていって、障害が残ったり、亡くなったりしていったのだと思うと、やりきれません。
国が情報を隠していたんだろうなぁ・・・ということがひしひしと伝わってきます。
これは・・・今の日本にも言えることなのかもしれません。

第2展示室では、逃げなければならなくなったプリピャチ村の人々の写真が飾られていました。
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そして、1986年の事故以降チェルノブイリで見つかった、放射線の影響と思われるものの展示もありました。
完全に形成異常の子豚。
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動物の変異は事故以降、8%ほどだろうと予想されていましたが、25%も増加したそうです。
つまり、生まれた動物の4匹に1匹は異常だったってことです!!

放射線を吸いすぎてオレンジ色になった松の木。
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当時使われていたガイガーカウンター。
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放射線測定器。
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ちなみにこの頃、国からは、子供や妊婦は年間10レム(100mSv)、一般人は50レム(500mSv)なら浴びても健康に被害はないと言われていたそうですが、実際は、10レム(100mSv)以上浴びると、なんらかの健康被害が出るそうです。
国の言うことは信じちゃダメですね。

第2展示室の最後には、他の国々からの応援メッセージなどが展示されていました。
まぁ・・・やっぱり、日本からが多いですね。
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ヒロシマの原爆のことも展示されていました。
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そして、原爆の映像も。
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場所は変わり第3展示室へ。
第2展示室と第3展示室の間には、プリピャチ村の昔と今、の写真が展示されていました。
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そして、第3展示室ではいきなり防護服の展示が!!
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ここでの展示でとても印象的だったのは、世界の原子力発電所の事故について。
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・・・
日本なんかめっちゃ光ってる・・・。
拡大すると・・・
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ちなみにこのマークの凡例はこれです。
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・・・。
日本、事故多すぎじゃね!?
小さいのも含めると、6回も事故起こってるみたいです。

核廃棄物が鳥取県沖と太平洋で2つあるということ、
そして、一番の驚きは、核のテストが鹿児島沖と奄美大島沿いで2回行われてるってこと!!

日本って、もう十分、核保有国ですやん!!

あと、もひとつ、日本の食料の放射線数値の基準についても驚きました。
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ウクライナやロシア、ベラルーシがそれぞれの食品に対して適切な数値を示してる中、日本、テキトーじゃね!?
ほぼ100やん。

日本は全く安全じゃなさそうです。ほんま気をつけましょう。

そして、最後に・・・・。
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この写真は、プリピャチ村から避難せざるを得なくなった子供たちの写真です。
プリピャチに住んでた人の事故後に生まれた子供は、通常より7倍の染色体異常がみられたそうです。

これに関しては、ホンマに、今度の日本でも起こってくるのではないでしょうか。

チェルノブイリ博物館、明日の予習のために来たんですけど、最終的には今後の日本の予習や、日本に対して危機感を持つような結果になってしまいました。
原発ってホンマ怖い!そして、その原発をたくさん保有している日本は本当に怖い国なんだと実感させられました。

さて、いよいよ明日は実際に生でチェルノブイリ原発を見に行ってきます。
とても怖いです。が、知っておかなければいけないことだと思います。

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