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プノンペン大学で『夢』インタビュー

スオスダイ!つばさです。
今日は先日『トゥルースレン博物館』に行った時に出逢った大学生が通うプノンペン大学に見学に行かせてもらいました♪

トゥルースレン博物館での記事はコチラ↓
トゥルースレン博物館で『スオスダイ』から始まった奇跡

この出逢いがトゥルースレン博物館で感じた暗い気持ちを、明るい気持ちに変えてくれました♪

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朝11時にプノンペン大学での授業が終わるので、11時にプノンペン大学に集合でした。
だから、トゥクトゥクで大学へ移動。
最初4$と言われてたとこを交渉して2$にしてもらいました♪

ついでにこの時プノンペンからシェムリアップへ行くバスチケットも購入♪
1人6.25$でした。

トゥクトゥクの運ちゃんと一緒に撮影
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プノンペン大学への道のりの途中、11月の4〜6に行われる水祭りに出場する船を見かけました。

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ラトキヨが『水祭りはいろんな国からたくさんの人がやってきて、とっても楽しい祭りだよ』と言ってました。
水祭りの時に私たちはシェムリアップにいるので、シェムリアップでも見れたら良いな♪と思うばかりです。

水祭りの影響で激混みの道
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集合時間の11:00を少し過ぎてプノンペン大学に到着♪
みんなと合流しました♪

ケンケン、メイちゃん、りゅうちゃんは売店に行ったので、ラトキヨに学校の紹介をしてもらってました。

日本と合流で行ったフェスティバルの紹介をしてくれるラトキヨ
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ラトキヨが紹介してくれているところに、バイト情報が書いてある掲示板がありました。
大学生はここで仕事を探すようです。

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その中にすべての文章が日本語で書かれた広告が。

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この広告を見て驚いたのは、クメール語しか話せない子は100$〜英語・日本語が話せる子は300$〜500$と月給に大きな開きがあったこと。
話せる言語によってこんなに給料に差が出ることに驚きました。

それからみんなと合流して、りゅうちゃんが今日の便でマレーシアに帰るとのことだったから、お見送り&最後の写真撮影♪

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最高の仲間達と出会えました♪

みんなに別れを告げてから、ラトキヨと一緒にプノンペン大学の食堂へ

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ラトキヨオススメの料理を頼んでもらいました♪

ご飯を注文しているラトキヨ
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ラトキヨが選んでくれたご飯はめっちゃ美味しかった♪

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ご飯を食べているとラトキヨの同級生が♪一緒にご飯を食べました♪

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それから、プノンペン大学の図書館へ!
日本の教科書やジャンプが置かれていて驚いた!!その他いろんな小説や一眼レフの使い方の本まで様々な日本語で書かれた本を目にした。

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プノンペン大学は国立でも公立でも私立でもなく、王立大学のようで、ポルポト政権発足前からあったようです。
現在は2万人の学生が大学に通っているようです。
が、カンボジアで大学に行く子は5%しかいないので。いろんな地域の秀才達が集まり勉強する場のようです。
ここで生まれた友情が今後のカンボジアを作っていくのかな?と思いました。

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今回私は、プノンペン大学に行くならプノンペン大学に通う大学生が、どんな夢を持っているのかを聞こうと思っていました。
そして、日本から準備して来たホワートボードを使って、プノンペン大学の日本語学科に通う生徒に夢インタビューしてきました♪

こんな感じで書いてもらった♪
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まず1人目はラトキヨ

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ラトキヨは大学で日本語教師をしたいと言ってました。
ラトキヨは高校3年生の時に、プノンペン大学の学生が行った日本の文化を体験するイベントに参加して日本の文化に興味を持ち、プノンペン大学の日本語学科に進学。
一生懸命勉強して、日本の大学への交換留学に行ったり、訪問したりしました。
将来は日本の企業で働くことも考えていたが、日本の文化をもっとカンボジア人に知って欲しくて、その架け橋になる為に『日本語教師』になると夢を描いていました。

2・3人目はラトキヨの友達の女の子2人

日本語教師になることを夢見ている子
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日本語を使った保育士になることを夢見ている子
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4人目はメイちゃん

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メイちゃんともトゥールスレン博物館で出会って。それから仲良くなりました。
ポルポト政権下から知識を教えられる人が少なくなってしまい、先生になるという目標大使になるという夢を語ってくれました♪

5人目はカンボジアで出会った日本人りゅうちゃん

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りゅうちゃんは東京の大学に所属してるんだけど、マレーシアの大学に交換留学で1年間滞在した後、現在は1年間休学してる。
東京の大学に所属してた時に、沖縄民謡のサークルでケンケンと出会ったことがきっかけでカンボジアに来たようです。
りゅうちゃんは、沖縄民謡にサークルで出会ってからその魅力に魅せられて、世界にエイサー広げることが自分の夢だと語ってくれました♪

6人目はケンケン

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ケンケンは小学生の時に4年生から6年生に飛び級するくらいの秀才で、大学生を卒業したら、まずは『日本の企業に就職したい』と言ってました。
その時にケンケンが言った言葉で凄く印象的だったのは『自分を必要としてくれる場所は絶対にある』『求められたらどんな仕事でもやる』の2つ。
そのケンケンがいろいろ考えながら出した夢は『ノーベル平和賞を勝ち取る』ことが夢だと語ってくれました♪

7人目もラトキヨの友達

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彼女は夢を書いてというと、『たくさんある』といっていろいろ書いてくれました。
自分の将来の仕事について、周りの人から見た自分について、自分がどうあるかについて。
3つの側面から夢を話す子に初めて出会ったので驚きました。

番外編(私たち)

ラトキヨ達に『つばさ達の夢は何なの?』と聞かれて書きました。

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私の夢は『子ども達の可能性を拡げる』こと!!
子どもが持つ夢は見た・聞いた・体験した経験から生まれると思っているから、いろんな経験やいろんな出逢い、いろんな話を通して、将来自分が選ぶ夢の選択肢を増やすことが僕の夢です!!

そして、あゆみの夢は

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『自給自足』

ラトキヨ達が『めっちゃシンプルだね』って言ってたw

私たち自身が食べるもの、使うエネルギーを自分たちで100%でなくても自分自身で作り出せる力を持つことは私もとても重要だと思っているので、僕もこの夢に大賛成!!
お金を稼いで消費するだけではなく、自ら食べるもの・使うエネルギーを作り出しながら少し稼いで。
そして、子どもの可能性を広げられるような人間になれたらそれで十分かも♪

こうして、プノンペン大学の日本語学科に通っている6人の生徒と日本の大学生1人にインタビューができました♪
まず、1番驚いたのは日本語学科の子達がみんな流暢に日本語を書いていること!!
漢字も交えてしっかりと書いている姿に驚きました!!確実に私より字が綺麗だと言う・・・・
そして、1人1人に『あなたの夢は何?』と聞くとすぐに答えが返ってくることにも驚きました。
中には、『私の国の歴史がこうだから。私はこうしたい。』と自国の歴史的事実に基づいた夢の設計を行っている子が居ることに驚いた。
日本で自分の夢を即答できる人はいても、歴史をベースにして夢を語れる人はそんなにいないと思うから。

国の発展を考えた上での自分の『夢』を持っている子の多さに驚かされたインタビュー体験でした。

こうして、地元の大学生と交流をもてたプノンペン大学への訪問は終わりました。

最後にラトキヨと撮った写真
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ホテルに戻ってからは、いつも通り鍋を作り♪
ビールと氷を買って飲み食いしました♪

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明日は朝からシェムリアップに移動♪
明日からも楽しむぞ〜!!

本日もご愛読ありがとうございました。
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念願の「鍋 with ビール」までの長い道のり(笑)

スオスダイ!あゆみです!!
プノンペンでは快適なネット環境と、安い宿泊費のおかげでだいぶまったりしております。

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昨日も昼過ぎまでのんびりし、14時ぐらいからのろのろ動き、とりあえず歩きます。

ソリアマーケットセンターに行き、ラッキースーパーマーケットを物色。

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日本のお酒が豊富だー!!私の好きな一刻者もあります。が、高い!!

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そして、やる気のない店員達w

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カンボジアのマーケット・・・てか、店員って基本やる気がないですよねー。
ゆるーい感じが私は好きですがw

そして、セントラルマーケットをさくっと見て

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たどり着いたのは、ワットプノン
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ワットプノンは、ペン婦人が建てたらしいです。で、この街は、プノンペンになりました。
なんか、いいよね、この単純な感じw

周りの公園は、住民達の憩いの場になっていました。
丘を登ると、外国人は1$入って、入場。

と、そこに、お坊さん達の団体が!!
一人の子が、「どこからきたの?」って聞いてきたので、そこから話は弾みます。

その子も日本に行きたい!!って言ってました。カンボジアの人の日本に行きたい率ハンパないです。
が、「アンニョンハセヨー」って言われましたw
日本と韓国となりだから、韓国語分かると思われてるのかな?

そして、みんなでセルフィーで記念撮影。

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ちょっと歩くと、絵を描いてる子達と遭遇。
ホンマ上手だったので見とれていると、「どこからきたの?」と。

日本って言うと、今度は「こんにちは」って言ってくれました。良く知ってるよなー。
私が、日本の街中でロシア人に会ったとしても、ロシア語でこんにちはって言われへんもん。

この子達は、大学で建築学を学んでいるみたいです。

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ワットプノンの本堂に入ります。

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めっちゃいろんなタイプの仏像がいました。

そして、こんな可愛らしいお化粧してる仏像もw

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すると・・・ん!?なんか見覚えのある顔が・・・!!!

メイちゃーん!!りゅうちゃーん!!!
なんと、昨日トゥールスレンで会って、その後花火まで一緒に見た、あの二人がそこに居たのです!!
(その記事はこちら→プノンペンでの新しい出会い
なんっつー奇跡w

ちょうど、本堂の中で占いをやってもらってました!!
これは、メイちゃんという通訳がいないと出来ない!!ってことで、うちらもやってもらいました。

まず、お金を払います。これはだいたい500R〜1000Rくらいみたいです。
そして、お札の束みたいなのを乗せて、

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占って欲しいことを念じながら、木の棒をお札の束の好きなところに差し込む!!

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その差し込んだ場所のところの内容を読み上げてくれます。

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「最初はそんなに良い状態からスタートしないけど、最後に良い運命が待ってる」
とのこと。末吉ってやつですな。

続いて、私もやってみます。
念じて・・・はい!!

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すると、占い師さんから、「内容がよくないからもう一回やって」と言われました。
ま、マジっすか!!!
どうやら、3回まで挑戦できるらしい・・・

2回目・・・今度こそは!!

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また良くないって。
え!?じゃあ次がダメだったら、私の運命ヤバくない!?

最後の挑戦です。ホンマ良いやつ来てくれー!!!

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お願いします!!

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「・・・」ちょっとした沈黙が緊張!!
「良いやつだよ」
・・・・よかったー!!!3度目の正直ってやつですね。
「最初は複雑で方向性が見えないかもしれないが、後で良くなる」
とこれもまた、末吉みたいな感じでした。

二人とセルフィーで記念撮影して・・・

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ワットプノンを後にしました。

今日は歩き疲れたし、ビール飲みたいよなー。てか、鍋しながらビール飲みたいよなーって気分になってきたので、動き出しました。”今日の晩ご飯は鍋 with ビール”プロジェクト(笑)
ただ、うちらの部屋は、冷蔵庫なしの部屋なんです。だから、部屋で鍋をしても、冷蔵庫がないからビールが冷やせない!!
どうにかして、かち割り屋さんの氷をGETしたい!!

とりあえず、スーパーに行って、鍋の具材とビールを買います。

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賞味期限のチェックは真剣ですw

ついでに、(氷がGETできること前提でw)たらいも買いました。
そして、ここからが大変です。
かち割り屋さんは、「ジュースなどが売ってる商店に売ってる」という情報しかありません。

とりあえず、スーパーの帰りの道すがら、商店を見つけては「Do you have ICE?」と聞きまくる日本人w
たぶん観光客でかち割り氷買う人なんていないから、みんな「???」って感じでしたが、氷の写メを見せると「あー!!」って納得してくれました。
が、みんな口を揃えて「ノー」w
こんなに「ノー」と言われる観光客もいないでしょってなぐらいでした。

喋りかけてくるトゥクトゥクのおっちゃんにすら、「かち割り氷どこで買えるの?」って聞く始末w
でも、みんなが口を揃えて言うのは、あのオルセーマーケット
「オルセーで買えるの?」って聞いたら、「イエス」って返って来たから、こりゃ的は絞られたなってことで、オルセーに向かいました!!

そして、オルセーの手前の露店で、「Do you have ICE?」と聞くと、「ノー」と言われましたが、この道の奥にあるよ、と言われ、行って・・・

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「Do you have ICE?」
「イエス」

やったー!!!!ついに見つけました!!!!!
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この時の嬉しさったらハンパなかったです!!

帰ってから、ビールをINして、キンキンビールボックスの完成!!

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鍋もいい感じに用意して・・・かんぱーい!!
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しめはラーメン!!うまし!!!

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結局2人で14缶も飲んでしまいました(笑)

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プノンペンでの新しい出会い

スオスダイ!あゆみです。
「スオスダイ!!」と話しかけたら「こんにちは」と返されましたw
今日は、ここからガイドブックにない旅が始まったのです・・・

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朝起きて、近くのオルセーマーケットにお昼ご飯の買い出しに行ってきました。
そのとき、服売り場で・・・買っちゃいました!タイパンツ!

sタイ

10000R(250円)なり。柄がちょーお気に入りです★

そのあとは、プノンペンで行っとかなきゃ行けない場所その2、トゥールスレン収容所に向かいました。(その1はキリングフィールドプノンペンのキリングフィールドに行ってきた〜重すぎる歴史をこの目に〜”です)徒歩30分ぐらいでした!!

外側の有刺鉄線が痛々しいです・・・

s有刺鉄線

門はこんな感じです。

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実はここ、収容所になる前は高校だったみたいです。が、ポルポトの原始共産主義政策で教育施設もろとも必要なくなったので、高校を改造して収容所にした訳です。

昔、高校で使われていたであろう黒板が残っていたり・・・

s黒板

多分、懸垂とかに使われていた鉄棒もありました。

s鉄棒

しかし、この鉄棒は、収容所では拷問に使われていたのです。

s鉄棒2

建物は、A〜D棟に分かれていて、全て3階建てでした。
A棟は、教室1つ1つが収容者の拷問場所となっていました。

s1

s2

床には血痕のようなものが残っていて、おぞましかったです。

s血痕

B棟の中は当時の様子の写真を展示してある、博物館になっていました。

原始共産主義に基づいて、労働する人たちの写真があったり

s農村

ここの収容所で亡くなった収容者の写真が展示されていました。
子ども達もここで殺されて行ったのです。

s子ども

この中で印象に残った2人がいます。

一人目がこちら。まだ生きたい!やりたいことがあるんだ!!と目を見開いて訴えてきているように見えました。

s人1

二人目がこちら。もう・・・どうしようもない悲痛の叫びが伝わってきます。

s人2

拷問や栄養失調でなくなった人たちの写真も展示してありました。

s拷問

これはもう悲しくてみれなかったです。

クメールルージュ(ポルポト政権)のメンバーの解説も展示してあったんですが・・・

sクメール1

顔がずたずたに削られていました。
下のが本来の姿です。

sクメール2

カンボジアの人がどれだけ嫌っていたのか、憎しみみたいなのが伝わってきました。「Fuck you!!」って書かれている展示物もありました。

そしてここ、トゥールスレン収容所は、沖縄の平和祈念資料館と提携を結んでいるらしく、沖縄とプノンペンの子ども達が描いた平和についての絵も展示していました。

そこで驚いたのは、沖縄の子どもとプノンペンの子どもの絵の質の違い!!

これが沖縄の子どもが描いた「平和」。

s絵1

とても抽象的な感じがします。

そしてこれが、カンボジアの子どもが描いた「平和」。

s絵2

経済発展し、街が成長して行くことが「平和」なんだというとても具体的な感じがします。40年前にゴーストタウン化したプノンペン。街の発展こそが平和なんですね。

C棟は教室の中が細かく分かれていて独房になっていました。
1階はれんが造り、

s個室1

2階は木で作られていました。

s個室2

3階は、雑居房と言って、たくさんの人たちが寝返りもうてないぐらいギュウギュウに寝かされていたようです。

s雑居房

C棟の外側は、有刺鉄線で張り巡らされていました。

そして、D棟。ここも展示物中心でした。
拷問に使われた器具や、拷問のようすなど展示されていて、直視できないようなないようばかりでした。

s器具

s拷問1

s拷問2

子どもは母親から引き離され、殺されていきました。

s拷問3

ここにも、たくさんの頭蓋骨が展示されていました。あまりにも多過ぎて、これは偽物なんじゃないか!?と錯覚してしまうぐらいです。

昨日のキリングフィールドに引き続き、今日のトゥールスレン、本当に気持ちが落ち込みました。
が、ここで、新たな出会いがありました。

たまたまD棟で通りかかったカンボジア人に「スオスダイ!!」と話しかけたら「こんにちは」と返されましたw

その後、あまりにも流暢な日本語でしゃべるので、カンボジア人じゃなくて沖縄かどこかから来た日本人かと思いましたw

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左からメイちゃん、ラトキヨ、りゅうちゃんです。
りゅうちゃんは日本人ですよ(笑)りゅうちゃんはマレーシアで1年間留学していて、いま休みなのでアジアを回っているらしいです。で、大学の友達でケンケンっていうプノンペン在住のカンボジア人の友達の家に泊めさせてもらっているみたいです。そして、ケンケンのお友達なのがメイちゃんとラトキヨ。
そんな3人で観光していたら、ばったりとうちらと出くわした訳です。
ラトキヨは、佐賀大学で日本語を習っていたらしく、日本には3回も行ったこことがあるようです。
メイちゃんも、熊本の短大に行っていたらしく、日本語ペラペラ。

このあとうちらも特に予定はなかったので、一緒に行動しましょう!!ということで、ロシアンマーケットに行きました。

目の前でさばかれる豚1頭!!

s豚

卵付きで焼かれる鶏達!!

s鶏

うちらはすごー!!とか言ってたけど、ラトキヨは至って普通って感じでしたw

このあと、今年の6月にイオンが出来たのでそこに涼みに行こうということになって、30分ひたすらてくてく。

この間に、ラトキヨの話をいろいろ聞きました。
ラトキヨは、将来の夢はカンボジアで日本語教師をすること。日本の企業に勤めれば月収20万とか貰えるのに、日本語教師だったら3〜5万程度。生活も苦しいだろうに、なんでそんな道を選ぶの?と聞くと、
「日本に行って、日本のいい文化をいろいろ知ったから、それをカンボジアの人々にも伝えたい。日本とカンボジアの繋がりを深めていく役割がしたいから」と言っておりました。企業に勤めてしまうとやっぱりそういうしたいことが出来なくなってしまうから、と。
なんて凄いんだ!!って思いました。私が同じ立場に立ったら、給料が4倍近くも違うのに、“自分のしたいこと”をちゃんと選べるのか・・・

そして、もう一人、メイちゃんも日本語の先生になりたいようです。
なんで?って聞いたら、「ポルポト政権で先生が少なくなったから、自分がなるんだ」って言っていました。いやー!!この子も凄い!!メイちゃんは、カンボジアがポルポト政権でゼロからのスタートになってしまったけど、日本の戦後高度経済成長のように発展して、日本のような先進国になって欲しいとのぞんでいるようでした。
高度経済成長に何も絡んでないし、うちらが産まれた頃にはバブルも崩壊してて、日本の強さみたいなものがよく分からない世代に育ってしまいましたが、こうやって異国の地でこんな風に言ってもらえることはとても嬉しいですね!!!

こんな素敵なメンバーに囲まれながら、イオン(笑)

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いや、ホンマイオンでしたわ。

sイオン

日本のお菓子もいっぱいあるし、トップバリュー製品まで!!

sイオン2

柿ピーはなかったけど・・・。

フードコートにはうどん屋やらたこ焼きやらラーメン屋やら・・・
s銀の皿

sうどん

ローリーズファームまであった!!
sローリーズファーム

日本に帰って来たんかとおもいましたw

ジャパニーズダイニングには、茶屋みたいなんや、橋までありましたw
s茶屋

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ここで少しまったりしてから、花火を見に行きました!!
今日はなんと、王様が即位して10周年の日らしく、カンボジアは祝日なのです!!だから、夜には王宮の前で花火があがるみたいです。

ここで、ケンケンも合流。
バイク3ケツ(笑)で、夜の街を見学しながら王宮へ向かいました!!

sバイク1

sバイク2

夜は夜で大にぎわい!!遊園地もめっちゃライトアップされてるし、

s遊園地

キティーちゃんは警備員に怒られてましたw

sキティー

このリバーサイドは、建設ラッシュ!
これから、シンガポールにあるような屋上にプールがあるホテルも立つようです。
プノンペン、凄いことになってきそうです。たぶん5年後とかに行ったら、様変わりしているんだろうな。

そして、王宮は凄いことになっていました!!!

s王宮1

王様10周年おめでとう!!って書いてるみたいですw

s王宮2

バイクも人も凄かったです!!
全員が揃った所で記念撮影!!

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19時過ぎには花火があがりました!!すごい盛り上がりようでした!

s花火

結局このあと、うちらが泊まっているキャピトルまで送ってもらいました。
そこでちょっと立ち話。
なんとケンケンは、両親が共働きで5歳から小学校に通っているらしい。
ほんでもって飛び級したけど、年齢的に問題だから、ホンマは1994年生まれだけど、1993年生まれにしてくれって校長先生から言われているらしい。
「だから、僕一つ年齢が上がるかもしれないんだ」と。そんなんあり!?なカンボジアあるあるでしたw

夜は19〜21時までハッピーアワーで、0.5$ビールのバーへ。

sバー

二日連続だから、「やぁ!」みたいな感じでした。多分明日も行きますが(笑)
今日はほんと濃かったね!のかんぱーい!!です!!

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プノンペンのキリングフィールドに行ってきた〜重すぎる歴史をこの目に〜

スオスダイ!つばさです。
今日はプノンペンにあるキリングフィールド(チュンエク大量虐殺センター)に行ってきました。
カンボジアの重すぎる歴史。。。その歴史に触れてきました。

カンボジアにはベトナムとはまた違った歴史があって、その歴史をベースにして今のカンボジア人がいるんだな。と言うことを改めて考えさせられました。

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キリングフィールドへ私たちはトゥクトゥクを使って行きました。
交渉した結果、最初は15$と言っていた価格が9$に。
ツアーで行くと1人5$だったので、この金額なら納得できると決定。
朝10時過ぎに出発しました。

s乗る

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道が混んでいて到着したのは11時くらい。
早速キリングフィールドの中へ入って行きます。

s入り口

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まずは音声ガイダンス付き(日本語)のチケット(1人6$)を購入して入場。
日本語での音声ガイダンスがあることに驚きと感謝です。

sチケット購入

s他言語に対応

ガイダンスを聞きなが中へ進みます。

sイヤホン2

sイヤホン1

入ってすぐに見える慰安塔はガイダンスの1番最後だった。
s慰安塔最初

キリングフィールドの中には下記写真のような掲示板があって、その順路にそって進んで行き、そこでの出来事をガイダンスによって聞くというスタイルでした。

s掲示板

1〜19のガイダンスがあり、実際にキリングフィールドで働いていた方の証言や、トゥルースレン収容所の職員の証言ポルポト政権時代を生き延びた人の証言など、ここでしか聞けない話を直に聞くことができます。

このキリングフィールドに入ってまず驚いたのは、キリングフィールドは総称であり、正確にこの場所は『チュンエク大量虐殺センター』と呼ばれていたことでした。

この時、ベトナムのハノイで出会った女の子が『レボリューションミュージアムって何か凄さが伝わってこない。それは日本でレボリューションって言葉を簡単に使い過ぎているから。』と言っていたことをこの時に思い出しました。
それは、私が『キリングフィールド』と人伝いに聞いていた単語が、私の中でただの観光地としてのイメージを形成していて、『チュンエク大量虐殺センター』と言う凄く生々しい言葉をガイダンスで聞き一気にイメージが転換したからです。

キリングフィールドの慰安塔に保管されていた頭蓋骨
s頭蓋骨

キリングフィールド全体を周り、ここが大量虐殺が起こった場所とガイダンスで聞いてもなお、この全ての頭蓋骨が本当に1人1人が元々人間だったということを理解できませんでした。

ガイダンスの中にはいろんな話が盛り込まれていました。

ポルポト政権発足の経緯、ポルポト政権樹立後市民への影響、チュンエク大量虐殺センターがどのような運営をされていたのか、そして、その中で生き延びた人の経験談。

ガイダンスの中には、ポルポト政権(クメールルージュ)下の考えや、行った残虐な行動の数々が綴られていました。

【ポルポト政権下で兵士に共有していた言葉】

『罪のない人間を誤って殺すのは、敵を誤って殺し損ねるよりましである』

この言葉はポルポトの兵達達の中で言われていた言葉です。
ポルポト政権は1975年から1979年まで3年8ヶ月20日間続いたのですが、その中で、殺された人の数は30万人(諸説あるので、正確な数字ではないかもしれません)。その当時のカンボジアの人口は80万人だったので、人口の1/4がポルポト政権下に虐殺されました。

虐殺されたのは、政府に反対する可能性のある知識人達。

・学校の先生や医師、法律家等の専門家
・外国語が話せた人
・メガネをかけた人
・柔らかな手をした人
・僧侶や尼

など多くの人が虐殺されました。
政権発足当時は、この知識人達に『その能力を活かした仕事があるので、集合して欲しい』と通達を出し、集めて虐殺したようです。
その行動の根底には知識を持った人(罪のない人)を殺すのは、知識を持った人(知識を持った人の中にいるかもしれない敵)を殺しそこねるよりましである。ということです。

大量虐殺された人を埋めていた穴があった場所。周りを覆う木には多くのミサンガが祈祷の意味で結ばれていた
s死体を入れる穴最初

『雑草を取り除くなら根こそぎ』

ポルポト政権下では多くの人がチュンエク大量虐殺センターで虐殺されました。
虐殺される前、ほとんどの人はトゥルースレン収容所という所に収容されていました。
そこでは、収容者に対する拷問が行われ、謂れのない罪の証言をすることを強制されていました。
供述の中にはこのようなものがあったようです。

・求められた仕事を行わなかった
・人民共有の米を盗んだ
・秩序に従わなかった
・アメリカ、ロシアのスパイである

この供述を引き出す為に、数日・数週間・数ヶ月の拷問が行われました。
そして、この供述の中には拷問されている本人が罪を犯すだけではなく、自分の家族や友人、仕事仲間も同じ罪を犯したと書かれていました。
このように行ったのは、政権によって殺された人による復習を未然に防ぐという目的があったからです。
つまり、収容所に連れてこられた人(雑草)を殺すならその周りの人(雑草)も同時に殺してしまわなければならない。ということです。

当時チュンエク大量虐殺センターで虐殺された人たちの服。中には女性のものや子どものものもあった。
s当時の人が着ていた服

s無造作に置かれた服

市民だけではなく、ポルポト政権の兵士達も殺されていた。
政権を少しでも批判した者は首を切って殺され、見せしめにされていた。

166人の首のない遺体が埋められていた場所
s兵士が殺された

【ポルポト政権について】

ポルポト政権下では、都市に住む人のことを新市民。農村部に住む人を旧市民と呼んでいました。この2つの市民の中でポルポト政権が重要視したのは旧市民です。
ポルポト政権は狂信的な共産主義思想を基に樹立していて、『土の上で働く人』が権利を持つ自給自足の社会を目指しており、ポルポト政権下の兵士を旧市民の中から集めました。

この当時のカンボジアはベトナム戦争の影響で、地方にアメリカの空爆が落ちて来る等の影響により、汚職と食料不足により極度の貧困に襲われていました。
その為、アメリカからの空爆を逃れるために市内に非難した人たち(旧市民)も市内に住んでいたのですが、ポルポトが1975年4月17日の時点で市内に居た人は全て新市民とみなされ、強制労働所へ連れて行かれました。

旧市民にポルポト政権が伝えたことは1つ。

『新市民は利己的で悪である。人々の苦しみは都市部の新市民のせいである。そして、新市民は寄生植物戦敗者の捕虜である。』

農村部に住んでいる人のほとんどは、教育を受けていない人で、現代社会に対する知識がなかった為、判断基準もなく、この言葉を信じポルポト政権の兵隊になりました。

こうして、カンボジア人がカンボジア人を殺す国家が誕生しました。

sカンボジア人がカンボジア人を

【トゥルースレン収容所とチュンエク大量虐殺センターについて】

虐殺された多くの人はまずトゥルースレン収容所に連れて行かれました。
そこで、拷問を行った上でチュンエク大量虐殺センターに運ばれたのです。
移動する際に、収容所の看守からは『新しく住む家が見つかったから移動する』と伝えられていたようです。

sトゥルースレン収容所から運ばれる

移動する際は、目隠しに後ろ手を縛られていて、脱走しないように厳重な監視体制を敷いていたようです。

s駐車場

sトラック駐車場

トラックでの輸送は夜に行われました。
なぜなら、周りの住人にこの場所で虐殺を行っていると気づかれないようにする為です。
そして、毎晩『マジックツリー』といわれる木につけたスピーカーからポップな音楽を鳴らし何事もなかったかのように見せていました。その音楽で死に際の最後の断末魔の叫びすらかき消していたのです。
ガイダンスの中にその音楽を再現した物があるのですが、なんとも不気味な音楽でした。

マジックツリーのとこのガイダンスで『菩提樹と言われる釈迦が悟りを開いた木なのですが、そのような幸運なことはここでは起きませんでした。』と言う言葉があり心苦しくなった。
sマジックツリー

到着後1人1人穴の前に呼ばれて、名簿に照らし合わせ確認し虐殺。
到着したその日に殺されず、チュンエク大量虐殺センターの部屋で1夜を過ごす人も居たようです。
その中には自分の処刑実行書類にサインさせられた人もいました。
その時のその人のことを考えると胸が締め付けられます。

s殺害現場

ポルポト政権はお金がなかったので、人を虐殺する為に銃は使いませんでした。理由は、弾が高過ぎたからです。
虐殺する際に使われたのは、鍬や鎌などの農具。本来は鶏を殺す時に使う木の幹などです。
1度切り裂いただけでは死なないので何度も何度切ったり刺したりしていたかと思うと言葉がありません。

実際に使われた道具
s実際に使われた道具

s首を切った木

チュンエク大量虐殺センターには多くの穴が今でも残っています。
そして、この穴全てに人が大量に埋められていたのです。
チュンエク大量虐殺センターでは2万人の人が無惨にも殺されてしまいました。

s墓穴

s墓穴2

チュンエク大量虐殺センターを発見した当時はこのような様子だったようです。
実際に発見した人の言葉に『酷く臭い匂いがしたので、そこを覗いてみるとそこには多くの人間の死体があった』とありました。

s発見当初のキリングフィールド

s当初の写真

目隠しをされたまま殺された人の遺骨
s目隠しをされたまま殺されたト

現在も土の中から多くの骨や歯、衣服が見つかっているようです。

見つかった遺骨
s遺骨はこの中

s遺骨

見つかった歯
s歯

【キリングツリー】

チュンエク大量虐殺センターにはキリングツリーと呼ばれる木があります。
この木がキリングツリーと呼ばれるには理由があります。
その理由は、この人を打ち付けて殺したという事実です。

sキリングツリー

キリングツリーの横にも穴があり、ここには女、子どもが埋められていたようです。

s女子供の死体置き場

ここでころされた女性はほとんどが若い女性だったようです。
カンボジアの女性は元来控えめで、お風呂に入る時や海に入る時も衣服を着用しています。
が、その習慣を知っているはずのポルポト政権下のカンボジア人兵士に殺害される時に、女性は衣服を全て剥ぎ取られ、恥ずかしめを受けた上で虐殺されたようです。
そして、子ども(乳幼児)がいる母親の前で、子ども(乳幼児)の両足を持ち先程のキリングツリーに子どもの頭をぶつけ殺害して穴に落としてから、母親を殺すという残虐な行為まで行っていました。
目の前で子どもを木にぶつけられて殺される母親の気持ちは、はたしてどんなものなのか。。。想像がつきません。

sキリングツリーと穴

キリングツリーを最初に見つけた人は、『なぜこの木の幹に血痕や髪の毛、脳みそが付着しているのか不信に思った。でも、その横にある穴を覗いてみるとその理由が全てわかった』と証言しています。

【慰安塔について】

チュンエク大量虐殺センターには、ここで亡くなった全ての人に祈りを捧げる慰安塔があります。
慰安塔の中には、ここで亡くなった人の頭蓋骨が多数保管されてます。
そして、慰安塔の中に入って近くで見ることが出来ます。
冒頭でも書きましたが、この全ての頭蓋骨が模型ではなく生きていた人間のものだと私は実感することができませんでした。
こんなに多くの人がこんなに無惨に殺害されるなんて、戦後平和になった日本で育った私には考えられないからです。
しかも、この行動はたった40年前の出来事だと言うことに驚きを隠せませんでした。

s慰安塔

s慰安塔の中にある頭蓋骨

慰安塔内にあった日本からの千羽鶴
s千羽鶴

【キリングフィールドに行ってみて】

キリングフィールドに実際行ってみて、私はとても陰鬱な気持ちになりました。
実際に行かないと伝わりづらい、現地で感じる穴からの匂い独特な空気。そして、所々に置かれた虐殺された方の遺骨
全てが私の気持ちを暗く、そして重くさせました。
中でもキリングツリーは壮絶で、まだ産まれたばかりの子どもを木に打ち付けて殺害する様子。それを間近で見せられる母親。泣け叫ぶ母親と子どもの様子、その行動を行う兵士の顔、心情を想像すると・・・

兵士達の証言の中で、『革命の反逆者にされて殺されるから。言われた通りのことをするしかなかった』と言うものがありました。
仮に兵士達も言われたからやるしかなかった。という状況だとすると、母親、子ども、兵士全ての人が悲しい想いをここで体験したのです。
その後、生き残った兵士はどのような人生を送っているのか?この事を考えるだけでも悲痛な気持ちになります。

ポルポトは、1940年代にフランスへ無線電子工学を学びに留学しました。
フランスで共産党に入党し、中国の毛沢東を崇拝しました。
カンボジアに戻ってからは、教師として働き、教師を集めて革命軍を作り、ポルポト政権を作り上げました。
ポルポト政権を作った後、今後反乱する可能性があるからと称して、一緒に革命を行った教師達や自分の家族、兄弟を虐殺しました。
そして、ポルポト政権が指揮を執る民主カンプチア国を作りました。

私はこの経歴を見て、ベトナムのホーチミンのことを思い出しました。
共にフランスの植民地だったカンボジアとベトナム。
その後国を変えた人物(ポルポトとホーチミン)がフランスに留学し共産党に入党。
ポルポトは中国ホーチミンはロシアをベースにした共産党の考え方を自国に持ち帰り革命を行った。

その後、ホーチミンはフランスの植民地支配から独立を果たし、南北に分断され、それでも仲間とともに闘い抜いて、強敵アメリカに勝って、現在のベトナム社会主義共和国を樹立した。

これに対し、ポルポトはプノンペンを占領し、民主カンプチア国を樹立。一緒に革命を行った同志を殺害し、多くの市民を虐殺。カンボジア人がカンボジア人を殺すという内部に敵を作り出してしまった。その後ベトナム軍に攻め込まれタイとの国境までポルポトは敗走し、民主カンプチア国は崩壊。

経歴の上では同じような人生を歩んできたはずなのに、考え方1つで大きく変わった2つの人生と大きな影響を受けた多くの国民。

私は、ポルポトが猜疑心満載の秘密主義人を信じられなかったことに問題があるのではないか?と思いました。
そして、そんな1人の人間が上に立ったことによって、30万人もの命が失われてしまったことに驚くと同時に、このような事を2度と繰り返してはいけないと強く感じました。

最後に、ポルポト政権を生きた人の証言にあった言葉でキリングフィールドでの体験についてまとめたいと思います。
『大量虐殺が行われた国はカンボジアだけではない。ロシアやドイツでも行われている。しかし、カンボジアで大量虐殺が行われたことが現在のカンボジアに大きな影響を与えている。この悲劇2度と起こさないように次の世代にきちんと伝えていくことが、この博物館と体験した我々の使命だ』

回っている途中大雨が。泣いているようだった。
s突然の雨

結局、チュンエク大量虐殺センターに4時間程滞在していて、トゥクトゥクの運ちゃんには申し訳ないことをした。
『4時間も中にいるなんて長過ぎるよ〜』と何度も言われた。

キリングフィールドを出るとこの近くに住む子ども達がいた。少し癒された気持ちになった。

s学校終わりの子ども

s子ども

そして、無事ホテルに送ってもらって運ちゃんと一緒に写真撮影。

s運ちゃんと共に1

s運ちゃんと共に2

帰ってきてから少し宿で休んで、晩ご飯を食べに屋台へ。
1プレート7000リエルのヌードルを食べました。

s晩ご飯

IMG_8316.JPG

それから、昨日見つけた1杯0.5$のビールを飲みにバーへ。
私たちがこの旅で行った店で1番オシャレといっても良いぐらいオシャレなお店でした。

sオシャレなバー

IMG_8317.JPG

バナナのおつまみが無料で付いてきました。

s無料おつまみ?

ビールを飲んでいると現地民がダーツを初めて、見ていると『勝負しないか?』と声を掛けてきました。

s声を掛けてくる

負けたら腕立て伏せ20回を賭けて勝負開始!

sダーツ対決

結局2回勝負し見事2連勝!
お兄さんは腕立て伏せを40回してました。

s負けて腕立て伏せ

かなり濃い1日が過ぎていきました。
明日はトゥルースレン博物館に行ってきます。

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ホーチミンからプノンペンへ!!〜ノーパスポートで国境越え!?〜

スオスダイ!あゆみです!!
ついに、カンボジアのプノンペンINしました。
朝10時過ぎに流れる大音量のトランス音楽・・・。うん、カンボジアに来たって感じしますな。
トゥクトゥクのおっちゃんとかがスピーカーガンガンにしてよく流しているのです。

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カウチサーフィンで3日間お世話になったおかあさんと、バイバイのハグ。
ほんま優しくて、料理上手で、私のホーチミンのお母さんです!!

sお母さん1

sお母さん2

うちらが住んでたとこは、こんな急な階段を昇った、屋根裏部屋。

s家1

s家2

ベトナム人の生活の息づかいが感じられて楽しかったです!!

そして、今日はベトナム最終日!!1ドンたりとも余らせねぇ!!ということで、朝から飲んだくれツアーの開始ですw

1軒目で生春巻きとビール。

s春巻き

s春巻き2

sビール
ここで、ビール2本開けてからの・・・

2軒目でビール2本!!

IMG_8228.JPG

ちょっと満喫し過ぎて、気づいたら集合時間過ぎてました!!急いでツアー会社に行ったら、
「これに乗って行きな!!」
と、何故かバイクタクシーw

sバイタク

「え!?これで国境越えデスか・・・?」

と思ったら、2分ぐらい乗った先に、ありました!!立派なバスです!!!よかった・・・w

sバス

うちらが最後の乗車だったみたいで、ソーリーソーリーと言いながら、発車。
まず、VISAを持っているか?っていうのを確認され、「持っていない」と答えると、1人35$でVISA代行すると言われたので、すんなりOKしました。
そして、ここでバス会社のおっちゃんにパスポートを預けました。

今年の9月から、カンボジアVISAの値段が20$→30$に値上げしたらしいです。10$値上げはきつい!!
自分でアライバルで取る手段もあったけど、結局アライバルでも5$上乗せされたり、賄賂を請求される場合もあるし、なんせここで自分で取るって言ったら、バスに置いてかれる可能性があったので、代行を頼みました。

途中で乗ってきた、ベトナム人。

IMG_8230.JPG

今から国境のカジノへ行くみたいで、「日本人のあんた達に会えたから今日はツイテルよー」みたいなことを言っておりましたw

で、なんせ朝から急ピッチで飲んだため、猛烈な眠気が・・・
「Wake up!!」
と、起こされたらもう国境でした←

sベトナム

多分2時間ちょっと乗ってたかな。

パスポートをバス会社に預けてるので、出国手続きも楽!!
窓口に並ばなくて、機械的に審査官のおっちゃんがスタンプバンバン押してくだけw

sベトナム2

何も起こらずすんなり出国し、バスに乗り込み、次はカンボジア側の入国手続きへ。

sカンボジア

sカンボジア2

バスを降りたら、ホンマひっそりとアライバルVISA発行の手続き所がありました。こりゃ気づかんだろw

sアライバル

なにかと色々あった、過去のタイからの入国。
バンコクからシェムリアップへバスで国境越え

多少怖がってましたが、
なんと今回は、パスポートも持たずに、体温検査を受けて、歩いただけ。
結局出国も入国も私のパスポートはバス会社のおっちゃんの手にあった訳です。私、パスポート持たずにボーダー越えたの初めてだわw

あとは、バス会社のおっちゃんがやっとくよー、みたいな感じで、バスはボーダー近くのレストランへ行き、食事をとっている間に、VISA取得と入国審査が終わっていました。

なんて、テキトー!!
てか、こんなに楽で良いのか!?

レストランを15時前に出て、あとはひたすらプノンペンへ向かいます。
途中でカンボジア人が乗ってきたので、
今回ちゃんと持ってきた「旅の指さし会話帳」を使って交流。
めっちゃ喜んでました!!

IMG_8253.JPG

彼はプノンペンでタクシードライバーをしていて、まだ二十歳らしい!!
会話がめちゃはずみました。指さし会話帳すげぇ!!!

バスが2時間程走ったら、なにやら道がちょー激混みに・・・。
運転手、ベトナム語で「ファッキン」って言って、めっちゃ怒ってましたw
この激混みに堪え兼ねた運転手は、舗装されていない道をガンガン進みます。

s道

で、結局なんで混んでたかって言うと、プノンペンまで行く国道1号は、メコン川を渡る橋がまだ完成してないらしく、渡し船で渡らないと行けないので、渡し船に乗る為に大渋滞だったみたいですw

結局ここで30分ぐらい待って、乗りました。
ちょうど夕日が綺麗です。

sメコン

が、積載量大丈夫か!?

sメコン4

船に乗って、クルーズを楽しもうとバスを降りようとすると、当然売り子が待ってます。
sメコン2

みんな働きもんですねー。
sメコン3

そして、このプノンペン市内に近づいてきたらまたもや大渋滞・・・。結局市内に着いたのは19時を越えていました。
降りてからトゥクトゥクの猛攻撃にあいながらも、なんとか自力で安宿街に到着。
目をつけてた「キャピトルゲストハウス」に泊まりました。

sキャピトル

まずレセプションで料金表見て、「安!!」ってなりましたw

sキャピトル2

二人でアウトバスの5$の部屋に決めました。

sキャピトル3

Wifiルーターが部屋の真上にあるので、サクサクです!!

夜は、近くの屋台で。

s屋台

IMG_8258.JPG

焼きそば頼みました。

s屋台2

普通の中華麺と、ワンタン麺と2種類。これが、あんかけ焼きそばで、具がたっぷりで凄く美味しかった!!1つ7500R(180円)でした。

で、また炭火焼ソーセージが美味しそうな屋台があったので、1本2000R(50円)で購入。

s屋台3

近くのマートで、アンコールビールを購入し、晩酌したのでした。

sビール2

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さて、次の日!!
ベトナムで、ノービザ15日間という縛りがあったため、ホーチミンではだいぶ精力的に活動してきたうちら。

プノンペンでは絶対休もう!!って決めてたので、何にもしない日を作りました。いきなり今日ですw

昼まで寝て、まずは宿から激近のオルセーマーケットへ。
入り口でセルフィーしてたら、おちょけるカンボジア人w

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ホンマひとなっつこいわwそんなカンボジアの人大好き。

中は、観光客ではなく、ローカルの人御用達のマーケットだけあってなかなかカオスでしたw
服屋の前に、食べ物屋台広げるか!?(笑)

sIMGP4815

屋台を回っていたら、めっちゃ大きくて美味しそうな生春巻きと遭遇!!

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そして、ここで、またもや登場!指さし会話帳!!
「タライポンマーン?」(いくらですか?)
って聞いたら、クメール数字で返されて、指さしで確認していたら・・・興味をもったカンボジア人が集まってくる!!

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みんなめっちゃ丁寧に教えてくれました!!

てか、この生春巻き、このボリュームで6500R(170円)って安くないっすか!?
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そして、生春巻きにはビールでしょってことで、近くの大型スーパー「ラッキースーパーマーケット」にビールを買い出しに行きました。

ビール6缶セットが、2.9$!!安っ!!と思って2ケース買おうと思ったけど、なんせ宿には冷蔵庫がない・・・。
氷で割ろうか、と、氷を探していたけど、スーパーにはなく、途方に暮れていたら、
スーパーの日本食売り場で、たまたま日本人の女性と会いました。
で、「氷ってスーパーで買えるんですか?」って聞いたら、「街のかち割り屋さんとかじゃないと売ってないよ」と言われ、じゃあ、ビールは冷やせないなー、と断念しかけたら・・・
「うちのお店がこの裏にあるんだけど、氷持って行く?」と!!
神様の声かと思いましたw

その人が経営しているのは、めーーーっちゃ高級なジャパニーズクラブバーでした。

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門には24時間つねに警備がいて、
なかも凄く豪華!!!

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お客さんは、カンボジアで経営している日本人の人とか欧米人が多いみたい。
価格設定は、1杯30$〜だそうです。
うん、うちらそんだけあったら、宿代も込みでビールたらふく飲んでも、一日普通に生活しちゃうよw

「おんなじ日本人ですもの、困った時はお互い様」という菩薩のような温かさで氷をたくさんくれました。
ホンマ一緒に写真撮っときゃよかった!高級クラブに目がくらんで、すっかり忘れてたわw

宿に帰ってから、いただいた氷でビールを冷やし、
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おいしーい生春巻きとともにいただきました!!

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スーパーで買ったどでかいフランスパンもつまみにしてたら、二人で7缶開けてしまい、
うとうとしたり、ブログ書いてたりしたら、いつの間にか夜に(笑)

夜は夜で、行きたい屋台があるのです!!!
その屋台とは・・・「ケイティーペリーピザ」
夜の10時頃〜明け方までという、深夜屋台なのです。

オーナーさんは、イタリアンのレストランでピザ職人をしていたというツワモノ!!
屋台なのにちゃんと石釜で焼きますw
もともとは、昼間レストランで働いていて、夜に屋台出してたのでこんな時間帯なんですね!!

で、夜の21時過ぎに宿を出ると・・・待ってました、トゥクトゥクのおっちゃんw
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昼間からこんな感じで絡んでくるのです。人懐っこ過ぎw
うちらが明日キリングフィールドに行きたいと言ったばかりに、8時間ぐらい前に行った交渉をまだひきずってくるおっちゃん。
結局根負けして、明日9$で連れて行ってもらうことにしましたw

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そして、向かったのは、食べたいピザ屋台がある、St.178とSt.51の交差点!!
なにやらまわりには飲み屋がたくさんある!!そして、21時までだったらハッピーアワーで1杯50セントの店とかあったから、明日行ってみようw

で、ピザ屋の屋台がある所に行ったら・・・

sIMGP4847

まだ閉まってるw

周りに居たおっちゃんらに聞いたら、「12時になったら開いてるよ」とのこと。いや、そこまで待てませんからw
とりあえず、飲みながら様子を見ようということで、近くの生中が0.75$で飲める所でかんぱーい!!

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そしたら、売り子の子どもがやってきました。

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ちょー可愛かったので、サパでやった作戦、シール作戦を決行。
真剣にシールを選んでます。

sIMGP4861

とっても嬉しそう!!

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すると、こんどは男の子達と女の子がやってきます。

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ここで、指さし会話帳を使ってみました。

sIMGP4884

すると、この二人が11歳だということが判明。
指さし使うと、ただ写真撮るだけで終わらず、会話できるからホンマ楽しいわ!

なんだかんだで時間が経ち。23時前になったので、もう一回屋台をのぞいてみると・・・

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やってるーーー!!!

屋台にホンマに石釜積んでますw

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一枚2.5$のマルゲリータを頼んでみました。
サイズはこんなに大きい!!!

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味はもう、言うことなしでした!!!こんなおいしいピザが食べられるなんて!!
また明日も行きますw

そして、このピザ屋に居る間も、物売りの子ども達がわさわさと・・・。というか、シール貰えるよという噂を聞きつけたのか、すごいことになってきましたw

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売り物もそっちのけで、夢中ですw

sIMGP4931

sIMGP4921

この3つの写真、全部、1人の子どもが撮ったやつです。シャッター押すことすらままならなかったのに、すぐコツを覚え、最終的にはズームとかマスターしてました。いやー、この子は将来カメラマンになるかもしれない。というか、うちらが今この子に一眼レフを渡さなかったら、カメラマンになるという夢すら知らなかったかもしれない。そういう夢のきっかけをうちらが提供できてたらうれしいなー、となんだか偉そうに考えてしまいましたw

ピザ屋のマスターに子ども達が怒られ、隣の席では女の子を落としたい男の人からは雰囲気台無しと思われるぐらい(笑)ひとしきり遊び、「ばいばーい」と引いてきたころには、もう12時になっていましたw

ナイトライフなのに、子ども達と過ごすとか・・・。うん、みんな早く寝ようねw
うちらも明日はちゃんと起きて観光します・・・w

本日もご愛読ありがとうございました。
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