「歴史」カテゴリーアーカイブ

ハノイの歴史博物館へ行ってきた。

こんばんわ!つばさです。
今日はめちゃくちゃ濃い1日でした!!
かなりハノイを満喫してます♪

ブログ村参加してます。クリックしてもらうと順位が上がる仕組みになってて、皆さんの応援のワンクリックが励みになります!
応援のワンクリックお願いします↓

にほんブログ村 旅行ブログ 親子・夫婦世界一周へ
にほんブログ村

今日は朝からカンさんと青空美容室♪(って言ってもバリカンで刈るだけですがw)
朝準備が完了したらカンさんが僕らの部屋に来てくれて、『はい!これプレゼント!』とレザーで作ったアクセサリーをくれました♪

sIMGP1138

可愛いアクセサリーでめっちゃ嬉しくてすぐにいつも使っているカバンに装着♪
カンさん本当にありがとうございます!!

そして、ホテルの前で青空美容室♪

sIMGP1141

まずは、カンさんが僕の頭を刈り上げます!

sIMGP1149

完成ドン!!

sIMGP1154

次は僕がカンさんの頭を刈り上げます♪

sIMGP1158

完成ドーーン!!

sIMGP1164

ちょっと刈り上げただけなので2人で10分くらいで終わったんですが、観光客に写真を撮られたり♪道行く人がこっちをチラチラ見てたり♪路上で何かをするの良いなぁ〜とか思いました。

それから、カンさんと一旦別れて僕らの今日の目的【ベトナム歴史博物館】へ!!
博物館へ向かう途中で小腹が空いたのでバインミーを食べました♪

sIMGP1176

sIMGP1177

ホアンキエム湖が途中にあるので、そこでも撮影♪

sIMGP1207

sIMGP1192

sIMGP1196

sIMGP1197

すると、目の見えない人が笛を吹いてました。

sIMGP1198

博物館に行く道中もかなり楽しんで♪

sIMGP1183

本屋さんにコナンの漫画が♪日本の漫画文化の凄さを改めて実感。
sIMGP1210

博物館の裏にあるオペラハウス10/10が建国60年の記念日なので祭りを開催するみたい。
sIMGP1215

博物館に到着!!が、13:30まで閉まっているのでちょっと待機。

おじちゃんが博物館の時間を教えてくれました。(8:00〜12:00と13:30〜16:00)
sIMGP1217

博物館のチケットを購入して、入場♪

sIMGP1224

ちなみに、博物館のチケットを買うと歴史博物館と革命博物館のチケットがセットになっています。(1人4万ドン(200円くらい))
歴史博物館は1945年の大東亜戦争終了までの資料が置かれていて、歴史博物館は大東亜戦争から現代までの資料が置かれています。なので、2つの博物館に行くとベトナムの歴史がわかるようになっています。

この2つの博物館には非常に多くの資料が展示されていて、ベトナムの歴史を学ぶ最良の機会になるので、オススメです。

入ってすぐのフロアには古代のベトナムの資料が置かれていました♪

進化論を現す展示物
sIMGP1228

多くの展示物の説明文が、英語とベトナム語で書かれていたので、よくわからないと思っていたところに、日本語が聞こえてきて、宮城からベトナムに旅行に来ていて、日本語ガイドを付けていたので、その話を聞きながら進んでいきました♪
めっちゃラッキー♪

ガイドさんが、『ベトナムは中国と2000年間戦争をしてきた』と言っていて。
その時の資料を指差していた。

元がベトナムに攻め込んできた時はこの経路を通った
s元

陸路だと多くの山があって危険だから海路を通って攻め込んできたようです。この時ベトナム人は潮の満ち引きを利用して元軍と闘い勝利を収めたようです♪

ハロン湾で元軍と戦うベトナム人
sハロン湾元

この頃からゲリラ戦を行って戦っていたようで、ベトナム人の戦闘スタイルはこの勝利が成功体験となって生み出されたのかと感じました。

そして、リー王朝時代には明軍と闘い。

リー王朝が継続された期間
sリー王朝続く

明軍が攻め込んできたルート
s明

明軍との闘いの写真
sVS明

リー王朝の時代になって物々交換から紙幣を使うようになったようです。
昔は硬貨を使っていたが、今のベトナムは紙幣のみになっていて、理由は重いかららしいですw

sりー王朝お金

リー王朝の時の首都はハノイで、かなり長い時間ハノイがベトナムの首都だったようです。

リー王朝の後に、とても学問を大切にしている王朝が生まれて、この時に一昨日行った文廟が出来たようです。
s学問を大切にした王朝

文廟にもあったんですが、この写真の鶴と亀には意味があるみたいで、『鶴は千年、亀は万年』という言葉から国を永久に繁栄させていく人材になって欲しいという想いが込められているようです。
この鶴と亀の像は多くの学校に置かれていたようです。

s鶴は1000年

その後1800年代にハノイからフエへ首都を変更して、新しい王朝が生まれます。
が、時代が進み大航海時代に入り、フランスがベトナムを植民地化するようになりました。
フランスはベトナムの王族を変えることなく、裏で支配するという仕組みでベトナムを植民地化していたようです。(イギリスが香港を支配していた時のよう)

フランスが植民地化していた時の王朝
sフランス占領

1800年代の時点でベトナムは下記写真のような武器を持っていて、この当時、江戸時代だった日本がもしベトナムと戦っていたら負けていたんだろうな〜と感じました。
s1800年代に使ってた武器

ベトナムがフランスに支配されてから紙幣にも変化がでてきて、紙幣の肖像が西洋人に変わってました。
s紙幣も西洋か

ここからベトナムに革命を起こしたホーチミンが登場します。

1920年にホーチミンはフランスやロシアに行って革命学を学んでいます。フランスよりもロシアの方側の革命学に傾倒し、共産党よりの考え方を得てきました。
ホーチミンは凄く頭が良くて、8カ国語を話せたようです。
そんなホーチミンが1930年ロシアから香港を経由してベトナムに帰って来て、ベトナムの独立運動を開始しました。

1930年から始まったホーチミンの革命運動
sホーチミン革命

多くの若者を煽動して精力的に活動を行ったようです。そして、1945年9月2日に独立宣言を行いました。

s独立

s独立宣言9・2

大東亜戦争(第二次世界大戦)が終了してすぐにベトナムは独立宣言を行いました。大東亜戦争中の日本に関して書かれていたことは、日本が戦っているこのチャンスにフランスを倒そう!!ということだけでした。
大東亜戦争を通じてアジアのいろんな国を侵略したと日本では教えられているのに、そんなことがこの博物館では一切書かれていなかったのに驚きました。

ホーチミンを中心とした革命軍の写真
sホーチミン達

独立宣言後も1954年にパリで行われたジュネーブ協定が結ばれるまでベトナムはフランスと戦い続けました。

ジュネーブ協定写真
s1954ジュネーブ協定

反フランスの教育を行っている様子
s反フランス教育

フランスの要塞をゲリラ攻撃している様子
sフランスの要塞陥落→ジュネーブ

しかし、ジュネーブ協定で決められたことは北緯17度線でベトナムを南北に分割することで、ホーチミンがいる北ベトナムがベトナム民主主義共和国。南ベトナムはベトナム共和国となりました。

1954年の2年後南北のベトナムを統一する動きをおこすが、南ベトナムが反対し達成ならず。
北ベトナムは共産党の流れがあるので、(ホーチミンがその勉強を行ったから)ロシアと中国が味方をしていて、この時冷戦中だったので、アメリカが、『共産党の国を増やさない!』『ロシアとの代理戦争』の考えの下、南ベトナムを支援し始めました。

ロシアと中国がベトナム民主主義共和国の存在を認めた文書
s中国とロシアが北ベトナムを認めた

北ベトナムの様子(ホーチミンが演説を行っている)
s北はホーチミン

南ベトナムの様子(アメリカ人が壇上にいる)
s南はアメリカ

美術館の中では道を挟んで南北の情報がわかれていた
s北と南に別れてる

南ベトナムをアメリカが支援することに反対するカンボジアや日本が非難の文章を書いている写真が展示されていました。

カンボジア人がアメリカ反対を掲げている
sカンボジアでもアメリカに反対

日本からベトナムへ送られた旗
s日本人からのメッセージ

この頃の日本は大東亜戦争で負けて、戦後20年くらいの時期で、ベトナムに送った旗にはこう書かれてある。
『南ベトナム人民の愛国正義の解放闘争を支持!共同の敵アメリカ帝国主義と戦う日本・ベトナム両国人民の戦闘的連帯万歳!』
一部の日本人が送ったものかもしれないが、日本が戦後アメリカをどう見ていたかはっきとわかる資料だと思う。

ベトナム国内でも国民の声が上がってきて、南ベトナム政府に反対して武力解放運動が始まった。北ベトナムはこの運動を支援する。

解放軍の写真
s南ベトナム内での解放運動

解放軍の活動が活発化したこと、トンキン湾でアメリカの軍艦が北ベトナムから攻撃を受けたこと(事実かは不明)を期に1965年からアメリカ軍による空爆を開始

アメリカ軍の空爆による被害の写真
s被害アメリカ

死んでいるベトナム人の近くで笑っているアメリカ軍兵士
s笑うアメリカ人

この空爆の時に、カンボジア人のゲリラ戦線に苦戦していたアメリカは枯れ葉剤を散布し始め、その影響で奇形児など後に広がる大きな影響を生んだ。

強力なベトナム軍と周りの国からアメリカへの非難のいよって1969年にからアメリカ軍は撤退を始め、1973年にパリで和平協定が結ばれ完全撤退する。

パリで結ばれた和平協定の写真
20141009-095724-35844677.jpg

1973年にアメリカが撤退した後も、ベトナム国内では争いが続いていて、1975年に一斉攻撃を仕掛けてベトナム戦争が終結。

撤退していくアメリカ軍
20141009-095723-35843856.jpg

現在のベトナム国家が誕生
s現在のベトナム誕生

1969年にホーチミンは亡くなってしまったので、革命後の平和な世の中を見ることが出来なかった。
20141009-095726-35846338.jpg

その後のベトナムは南部と北部の文化の違いから大きな飢饉に見舞われたり、ポルポト政権下のカンボジアに侵攻(1978年)によって国際的に孤立するが、『ドイ(変える)モイ(新しい)』という経済政策を樹立し1990年以降に経済発展を遂げた。
1995年にアメリカとの国交も正常化しASEANに加入。
過去の戦争の歴史をしっかり表現する文化を形成して、過去の社会体制を批判し新しいあり方を考える等、過去から学ぶ姿勢を作り上げ、現在に至る。

今回ベトナムの歴史博物館に行って、ベトナムから日本がどのように見られているのか、戦後の日本がアメリカをどう見ていたのか、また、アメリカやフランスなどベトナムに干渉した国がどのような影響を与えたのかを理解することができた。
多くの国が現在の立ち位置にあるのは、それまでの歴史の積み重ねによって作られていて。国家間の交流もこの歴史的事実から形成されているので、ベトナムから見た歴史を見ることができたのが嬉しいし楽しかった。

博物館に行ったあとに、飲んでいると以前一緒に飲んだベトナム人のトゥアンさんと再会。
トゥアンさんの友達も途中参加でいろんな話をした中で、トゥアンさんのお母さんが警察官でアメリカの軍人と一緒に写真を撮っていた話を聞いたり。
トゥアンさんの友達が『阿部(内閣総理大臣)大好き』とか『日本とアメリカとベトナムとフィリピンは仲間!中国は敵!』って言ってたのを聞いて、現地の人と仲良くなることでもっともっと多くのことを知れるなと思った。
(詳しい記事はあゆみが書きます)

世界を回りながら歴史を学んでいくことが、めっちゃ楽しいと思った体験でした♪

本日もご愛読ありがとうございました。
応援のワンクリックお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 親子・夫婦世界一周へ
にほんブログ村

タイのカンチャナブリーで歴史を感じました。

サワディーカップ!つばさです。(2014/05/16)
今日はカンチャナブリー周辺を散策しました!!カナーンゲストハウスで1日25バーツ(75円くらい)のレンタサイクルがあったのでそれを利用!!カンチャナブリ周辺のDeath Railway,Art Gallery&War Museum,Wat Tham Khao Puに行ってきました!!

Death Railwayは映画【戦場にかける橋】のロケ地で使われていて有名(みたい)です。
Art Gallery&War Museumは第二次世界大戦の資料があるという事で歴史好きな僕らは見逃せないので。(Jeath Museumhは同じような展示物らしいのでDeath Railwayに近い方に行きました)
Wat Tham Khao Puは洞窟寺院で有名です。

快適な自転車DAY&内容の濃い1日の始まりです♪

20140516-215624.jpg

20140516-215616.jpg

まずはDeath Railwayへ
*Death Railwayは『死の橋』と呼ばれていて、第二次世界大戦の頃日本軍がイギリスの植民地インドを侵略する際に、タイからビルマ(ミャンマー)へ進軍する部隊の補給船として造られた橋なんですが、本来完成まで5年と言われていた橋を1年程で完成させるというハードスケジュールで作った事により、多くの労働者が死んでしまったことからそう呼ばれるようになりました。(マラリアなどが発病して集団感染し、亡くなった方が多かったようです)

過去の歴史は全く関係ないかのような完全な観光地になってました。

20140516-215559.jpg

20140516-215551.jpg

この鉄道は現在も鉄道が走っていて観光しているところにゆ〜っくりと鉄道がやってきます。

20140516-215530.jpg

めっちゃ遅いので安心安心。観光客が避ける用の避難場所も作られてました。
そこで、鉄道を待ってる間にパッシャ!!

20140516-215539.jpg

橋を渡りきって対岸からDeath Railwayを見るとこんな感じです!!空がキレイで、サイコーのロケーションでした!!

20140516-215523.jpg

近くに水上レストラン等もあったので、全体が見渡せる動画もどうぞ!!

綺麗な景色過ぎてあゆみの撮影魂に火がついて5分程撮影をしてました〜暑い暑い

20140516-215516.jpg

綺麗な写真が完成!!

それから、Death RailwayからArt Gallery&War Museumへ移動(徒歩で3分ぐらいの距離感)

博物館に行って早速驚きました!!第二次世界大戦の時にタイで日本軍兵士が使っていた汽車がドーーンと置いてありました。
しかも、汽車に乗って撮影してもタダですよと英語で書かれているし・・・
こんなの良いのか??と思いながらもちゃっかり乗っちゃいました♪

20140516-215500.jpg

それからチケットを購入(1人40バーツでした!安い!!)

20140516-215450.jpg

博物館に入ってすぐ左にある建物に入ると・・・・えっ!?第二次世界大戦で使われた拳銃がたくさんざっくばらんに置いてありました。

20140516-215442.jpg

そして、天井には第二次世界大戦の進行が時系列で書かれていました。

最後には、日本軍が動いた道のりが書かれてあり、

20140516-215414.jpg

広島・長崎に落ちた原子力爆弾のことも書かれていました。

20140516-215435.jpg

20140516-215428.jpg

その他、第二次世界大戦当時の写真がたくさん飾られてあります。
日本人の軍人の写真ですが、かなり若い方が写ってました。今まで鹿児島の知覧博物館や、広島の平和記念公園・大和ミュージアム、沖縄の平和記念公園で第二次世界大戦についての資料館を見てきましたが、かなり多くの有能な若い人材が戦争に駆り出されていて、その内の1人がこの写真の人かと思うと胸が苦しくなります。

20140516-215357.jpg

写真の中には第二次世界大戦ではなく日露戦争の時の写真も飾られていました。

バルチック艦隊の提督ロジェストウェンスキーが日本海軍の提督東郷に挨拶をしているシーン(左)
旅順港にある船に水雷を当てに行く日本海軍の様子(右)

20140516-215405.jpg

バルチック艦隊が日本を攻める為に通った航路

20140516-215350.jpg

どれも素晴らしい資料なのに置き方がかなり雑な感じがしました。
この部屋の様子を動画にまとめたので興味のある方は是非見てみてください!!

それから博物館の別棟へ!!

そこにも第二次世界大戦で使われていた銃が。
多くのお金が放り込まれていたので、恐らくタイ人が日本兵士として戦っていてその方が使っていた銃ではないかと思いました。(基本的にタイ語で書かれてあるので詳しくは読み取れませんでした)

20140516-215342.jpg

その建物を上に上がって行くと、タイの民族衣装や、戦争当時の雑誌・新聞・最新のファッション雑誌などが置かれてました。(最新の雑誌を見た時に思わずツッコんでしましそうでしたw)

3階まで上がって行くと無造作に置かれた靴達が・・・?

20140516-215222.jpg

靴が置いてある通りを左に曲がるとなぜかこんな写真が(18歳未満閲覧禁止w)

20140516-215210.jpg

なんかこの博物館ギャップが凄い・・・

先程行っていたDeath Railwayがキレイに見えたのでそこで写真をパシャッ!!

20140516-215318.jpg

こんなモノまでありました!!
おそらく日本軍が使っていたヘリコプターと小型飛行機でしょう。

20140516-215335.jpg

20140516-215327.jpg

そしてまたまた別館へ!!(本当にこの博物館広かった!!)
ここでもいろんな物が飾ってありました。
第二次世界大戦当時の勲章やおそらくこの博物館の持ち主が買い集めた時計や映写機(どれも年期が入ってました)
その中でも凄いなーと思ったのが、

大日本帝国陸軍司令官が書いた文章

20140516-215231.jpg

第二次世界大戦で使われていたガトリングガン

20140516-215134.jpg

日本軍兵士が使っていた船とバイク

20140516-215053.jpg

20140516-214942.jpg

20140516-214914.jpg

そして、日本軍兵士が懲罰をしたあとの画像(何か理由があるとは思いますが酷いなーと思ってします。これが戦争なんですね)

20140516-215104.jpg

いろんな写真を見てみると、労働に当たっていた人は褌一丁で働いていて、日本軍は軍服に拳銃の装備。
反乱されると人数で負けるので、何も武器を隠せない・持てないようにしていたようです。

20140516-214904.jpg

それと、Death Railwayが米軍に破壊されているシーンが部屋一面に描かれていて、これも衝撃的でした。

20140516-215021.jpg

この部屋も印象的だったので動画に残しました。入ってすぐの橋の上にいる作業員は喜んでいるのか手を挙げてます。

本当に多くの重要な資料や物が残されていて、素晴らしい博物館だと思った。戦争をするという事、それにより起こる非人道的行為や悲劇の数々。最後に泣くのは国民である事実。もっともっと本当の歴史を知れる機会を増やすべきだと感じてます。第二次世界大戦(日本では大東亜戦争・太平洋戦争)で起きた多くの悲劇から目を反らさずに受け止めて、同じ過ちを繰り返す事のないようにするにはどうしたら良いか??をもっと建設的に考えられる機会が必要であると感じます。

それから、博物館の中でいい感じのイスを見つけたのでまったり♪
目の前の川で子どもが遊んでいて、そこに牛が来ているのを見て癒されました。

20140516-215125.jpg

20140516-215029.jpg

最後に、Art Gallery&War Museumの看板の前で記念撮影。

20140516-215039.jpg

次の目的地Wat Tham Khao Puに向かいます。
途中で冷たいジュースを求めてよったスーパーでこんな物を見つけました。

20140516-214953.jpg

ワンピースは万国共通で人気なんだなーと思いつつ、10バーツの地元コーラを飲んで休憩。
あゆみブログ洞窟寺で恐怖体験へ続く。

にほんブログ村のランキング参加してます♪
↓記事良かったよーなら、クリックお願いします☆
にほんブログ村 旅行ブログ 親子・夫婦世界一周へ
にほんブログ村