吉田松陰寅次郎①

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちわー!
つばさです。

今日は昨日行った下関・萩について!
かなり前から吉田松陰について凄く興味があって、絶対に行きたいと思っていたのが、松下村塾でした!
また、松下村塾の塾生の中で四天王と言われており、奇兵隊を作った高杉晋作も大好きで!
ふぐとか山口で有名なものはほとんどスルーで江戸時代末期の歴史を追った旅行です!

まずは、高杉晋作像へ
功山寺ってところに行ってきました!
高杉晋作が馬に乗っているところです。
ちなみに今回は福岡でレンタカーをしていたので、移動は全部車です!

20140416-104802.jpg

それから高杉晋作終焉の地へ
高杉晋作は東行って名前で詩などを書いていたので、その名前が出てました。
高杉晋作の有名な辞世の句

【おもしろき事なき世をおもしろく】

はめっちゃ好きです。

この詩には下の句もあって、それは

【住みなしものはこころなりけり】

ですが、この句は晋作が言ったものではなくて、上の句を言った後力尽きようとしていた晋作の近くにいた人が詠んだ句で、最後に晋作は『それもいい』と言って亡くなったようです。

20140416-104855.jpg

その後に高杉晋作が作った奇兵隊結成の地へ!奇兵隊が他の部隊と違うところは武士階級だけではなく士農工商全ての身分の者で志がある人は全員入れるようにしたところです。吉田松陰は最後に草莽発起の考えに至ったのですが、師の考えを形にしたのがこの奇兵隊です。
奇兵隊の強さは当時の長州藩で政権が変わってしまう程で、奇兵隊を中心とした動きと薩長同盟があったから第二次長州征伐は防げたと言っても過言ではないと思います。(奇兵隊を実質率いていたのは山縣有朋でした。)

20140416-104957.jpg

それから吉田松陰博物館へ!
ここは萩に入る前の道の駅にあったのですが、急にあゆみがトイレに行きたいと言い出して寄ってみると、松陰達がいてビックリ!!
あゆみの運にはほんといつも助けられてます。

20140416-105055.jpg*左 高杉晋作 中 吉田松陰 右 久坂玄瑞

吉田松陰博物館で飾っていた松陰先生の巻物

20140416-105136.jpg

松下村塾での指導の様子が描かれていました。音声も付いていてどのように教育を進められたのかがわかるようになっていました。
松下村塾での勉強方法に関する本はずっと読んでいたのですが、方法としては個人個人と対話型の指導を行い、教えるのではなく教え合うという方法だったようです。
松陰先生の言葉として残っているのが、
『わたしは、落ち着いて、ゆっくりと話して聞かせ、自分で気付いたり、自分し自身が反省したりすることができるように心掛けている』
『学者になってはいけない、人は実行が第一だ』
なども博物館には記載されていました。

20140416-105210.jpg

20140416-105250.jpg

それから萩市に入り、松陰神社へ!
下調べ不足だったので、めちゃくちゃ感動したのは、松陰神社に松下村塾も松蔭が幽囚されていた杉家(松蔭は小さい時に吉田家の養子になっていて、元々は杉家の一員でした)もあって一気に観れたのが本当に嬉しかったです!!
ちなみにこの写真は薩長土の三藩が会議をした時の記念石。
坂本龍馬や久坂玄瑞の名前が刻まれていました。

20140416-105330.jpg

それから松陰神社へ

20140416-105425.jpg

天皇陛下も来ていたみたいです。

20140416-105511.jpg

そして、すぐに現れたのが松下村塾!!
見た瞬間めっちゃ感動しました!
こんな小さな塾で実質指導していたのは3年程の塾であれだけ多くの維新志士達を産んだことを考えると感無量です。

20140416-105544.jpg

20140416-105654.jpg

20140416-105737.jpg

吉田松陰博物館で講義をしてたシーンを本物の松下村塾で見れました!
ここで講義をしていたんだなーと見入ってしまいました。
松下村塾では過去の人物(古代中国の孔子や孟子や朱熹、王陽明)の事や古事記を基にした日本の歴史などを教えていたようです。

20140416-105806.jpg

吉田松陰寅次郎②へ続くw

↓記事良かったよ〜♪なら、ポチッとクリックお願いします★
にほんブログ村 旅行ブログ 夫婦旅行へ
にほんブログ村

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください