吉田松陰寅次郎②

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こんにちはー
つばさでーす!

福岡から沖縄に向かう時に空港でソフトバンクの松中選手と内川選手と写真が撮れましたー(^^)ラッキーラッキーd(^_^o)
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また萩での体験の続きでーす!
下の写真は松蔭の実家(杉家)です!
吉田松陰は異国に行って知識を付けて帰ってきて、日本を発展させる為に黒船へ乗り込もうとしたんですが、失敗。
その後江戸から萩に送られて野山獄に入れられたんですが、家族が見張っておく前提で出所できました。
その時に住んでいたのがこの家でした。(3畳半の部屋に軟禁状態)

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ちなみに下の写真は幽囚されたいた部屋に飾ってあった書です。

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それから松陰神社でお参りして

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吉田松陰歴史館へ!
いろんな資料や蝋人形が飾ってありました。(ちなみに入場料は500円)

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これは松陰が10歳くらいの時に長州藩の藩主の前で古典中国の兵法書などを読んだ場面

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これは吉田松陰が松下村塾を始めて、塾生が増えて来たので、新しい塾の建物を塾生と一緒に作っている場面。
この時に起きた有名な出来事は、『塾生の一人が吉田松陰の顔に泥を落としてしまい。松陰先生が怒るのではないかと周りが警戒したのに、笑って許した』です。松陰先生は生徒ではなくて、門人、友人として塾生を見ていたようです。

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これは吉田松陰が安政の大獄で江戸送りになることに決まってしまった時で、本来は家族にも会わずそのまま江戸に送られる予定が、看守が自分の責任の範囲で家族や塾生と面会をさせてくれて(看守は吉田松陰から多くの事を学んでいて、尊敬してたから厚遇してくれた)、集まった時の場面です。

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吉田松陰の変名二十一回孟子の名前で書かれた色紙。

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その後、幼少の頃吉田松陰を教育した玉木文之進の生家へ!
かなりの詰め込み教育で怖かったようです。

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それから吉田松陰の誕生地へ!

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近くにいろんな志士達の墓があって、松陰先生はもちろん高杉晋作、久坂玄瑞などめっちゃ豪華でした!

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これは吉田松陰誕生地にあった銅像、黒船にに乗ろうと2人で海を見ているシーンです。

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それから車で15分程移動して萩にある高杉晋作の生家の方へ!
近くに高杉晋作像がありました!

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高杉晋作の生家!

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ここで産湯を浴びたみたいです。

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高杉晋作はあまり字が綺麗でなかったみたい。

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いろいろやらかした晋作のお父さんとお母さん。菩薩のような顔をしてました。

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何か良いポスターだったので撮影!
日本を動かした男がここにいた!って良いなー!!

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これだけたくさんの志士が生まれた長州!
幕末の動乱期に亡くなってしまった優秀な人も多かったし、明治国家の建設に尽力した人も多かった!

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多くの優秀な人材が集まり育った松下村塾は本当に素晴らしい教育施設やと思う!
もっともっと過去の教育を見直して、良いところを吸収して、現代に合わせた形に変えて良い人材をたくさん育てられる!そんな国にしていきたいと思います。

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