アウシュヴィッツ強制収容所に行った時の記事後編です。つばさです。
前回までのアウシュヴィッツ強制収容所の記事はこちら
アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきた〜ナチスドイツが残したポーランドの負の遺産をこの目に〜【行き方・前情報編】 
アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきた〜ナチスドイツが残したポーランドの負の遺産をこの目に〜【前編】 
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アウシュヴィッツ強制収容所でのガイドが終わった後、僕らが向かったのはアウシュヴィッツ強制収容所ビルケナウでした。
前回掲載した写真のこの大きい敷地の施設
ビルケナウに到着して、すぐに飛び込んできた景色
ユダヤ人をぎゅうぎゅうに詰めた列車が通っていた線路とその奥に建っている『死の門』。
赤いバラが一輪置かれていた
ビルケナウの収容所は母体収容所アウシュビッツⅠ(前編で訪れた収容所)から3キロ離れた地点にあります。
ビルケナウの施設に入るとまず目に入るのは、過去にこの施設に連れてこられたユダヤ人が選別されていた列車のホームでした。
この写真の人が立っているところ
過去の写真
この場所に到着したユダヤ人の70~75%はなんの記録もされないままそのままガス室に送られていたようです。
過去に使われていた列車が飾られていました
この線路の先には、ビルケナウの中で最も大きいガス室が2基あります。
破壊されたガス室
2000人のユダヤ人が収容されていた場所
殺され、燃やされたユダヤ人の屍体は、その匂いを隠すために森に埋められたようでした。
2基のガス室の間にはファシズムの犠牲者への国際追悼碑がありました。
施設内の線路に置かれていた追悼の花束
ガス室を見た後に、収容されていたユダヤ人が生活したバラックを見学しに行きました。
レンガ造りのバラック
その中で僕たちが見に行ったのは『Block 16』と表記されたバラックでした。
このバラックでは女性と子供が収容されていたようです。
バラックの中の様子
子供もいたからか絵が描かれていた
驚いたのは、この3段ベットの中の1つのベットに5~7人のユダヤ人が一緒に収容されていたことです。
ベットの様子
このバラックは湿地帯に作られたため良く泥土になってしまいました。
バラックのすぐ近くには、収容者用のトイレと洗い場がありました。
このように、ビルケナウでの収容者の生活環境を実際に使用していた建物や当時の写真を利用して詳しく知ることができました。
ビルケナウでガイドは終了し、アウシュヴィッツⅠに移動しました。
部屋に入ってすぐにあったのは、収容された人物の写真でした。
この写真の中には小さな子供もいました
収容所に到着した子供の大部分はガス室で死にました。(労働力にならないため)
ソ連に解放された際の子供の写真
アウシュヴィッツ強制収容所においては、囚人番号を収容者に刺青として入れていたようです。
収容所で収容者に与えられた食事は1日たったこれだけだったようです。
1食ではありません。1日です。
展示されていた女性の写真
そして、最後に解放された収容者が書いた収容時の状況が描かれた絵が飾られていました。
朝
労働中
労働終了→帰宅
この絵を見て、こいつらは何様なんだ?と思いました。
世界を旅することで、ポーランドのクラクフにあるアウシュヴィッツ強制収容所に来ることができ、このような悲惨な現場を見ることができました。
このような人間を人間と思わない行為を2度と行わないためにも、多くの人に知ってもらいたい場所です。
You are in the building where the 55 murdered thousands of people.
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