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韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜後編

ハロー!つばさです。
韓国と朝鮮の軍事境界線(DMZ)ツアーのブログが長くなりすぎたので、前後半に分けることにしました。
まさかの前半は移動中バスの中での会話と、臨津閣(イムジンガク)公園を見ただけで終わってしまったんですが、いろんな貴重な話が聞けてめっちゃおもろかったです。

ちなみに前回の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編

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DMZツアーの為に、パスポートを見せて入ってからすぐに、ガイドさんはこんなことを言いました。

『ここから見えるあの道はソウルにつながる道なんだけど、あの上のコンクリートの部分の中にはダイナマイトがたくさん入ってて、攻め込まれた時に、進軍させない用にしている。』

『ここら辺は全地帯に地雷が埋められていて、道を少し逸れると、地雷地帯なので絶対入ってはいけない。7月とかは雨がめっちゃ降るから地雷が雨で流れてきて、たまに踏んで怪我する韓国人がいる』

道路沿いには地雷危険のマークが
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『この施設に地雷を発見する部隊の人がいて、600人ほどが所属している』

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『この施設の先がケソン工業団地になっていて、工業団地が使われていた時はここから韓国人は工業団地に行っていた。』

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進軍を防ぐ為のダイアマイトの壁や、地雷危険マークなど全く見たことはなかったので、かなり驚き、また停戦中ではなく休戦中なんだということを改めて実感しました。

そんな話を聞いていると、南侵第3トンネル&DMZ映像館に到着しました。

P4089400

係員に確認したところ、第3トンネルの前に先に映像と資料館に行くことになったので、そっちに向かいました。

P4089401

映像を見る時は、日本語が聞こえるヘッドフォンをつけることができたので、内容をしっかりと把握することができました。

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映像ではこんなことが話されていました。
韓国と北朝鮮の軍事境界線は、世界で唯一の休戦地であるが、停戦中も北朝鮮は韓国侵略の為のトンネルを作っていた。

1974年11月17日
第1トンネルを発見

1975年3月24日
第2トンネルを発見

1978年10月17日
第三トンネルを発見

第3トンネルは、1時間に3万人の兵力と武器を動かせる程の大きさで、北朝鮮の侵略意欲の本気度が明らかになった。

1990年3月3日
第四トンネル

北朝鮮はこのようにトンネルを使ってソウルを強襲しようとしていた。
北朝鮮は10のトンネルを作っていると言われていて、まだ4つしか見つけられていないことのに危機感を感じている。

休戦中にも関わらず、北朝鮮は下はトンネル、地上、海上でも絶えず韓国への挑発を行なってる。

ただ、DMZ地域は休戦後ずっと人が全く入ってこない地域になっていたので、多くの野生動植物が生きていて、多くの生物研究者が研究を行いたいと言っているようです。

映像の最後の『統一時代の象徴としてのDMZ、2度と民族の痛みを繰り返さない』という一言と共に、朝鮮半島(北朝鮮部分は赤色、韓国部分は青色で配色されている)を青色で全て覆う(韓国が全てを統一する)映像が流れていて、やはり侵略することを考えているという事がはっきりわかった。

映像を見た後は、横の資料館に向かいました。

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軍事境界線の模型を見て、今回回る場所やそれ以外の重要なポイントの説明を聞きました。
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その後、北朝鮮軍がトンネルを掘っている時の方法やなぜトンネルを発見できたのか?という話を聞きました。

トンネルを掘っている時の様子はこんな感じだったようです。

IMGP4158

北朝鮮が掘っているトンネルが見つかったのは、1972年キムブソンという北朝鮮軍の兵隊が韓国に亡命する為に移動してきました。
が、亡命中に国境にある地雷を踏んでしまい、韓国軍に保護されました。
この亡命した兵隊が実は北朝鮮が掘っているトンネルの測量を行っていて、測量した結果絶対に韓国に向けてトンネルを掘っているという事を伝えました。
朝鮮半島は、岩石半島なので、北朝鮮軍はスコップなどを使って穴を掘ることはできず、小さい穴を作りダイナマイトを入れ爆発させて穴を掘り進めていました。
なので、手のサイズ程の穴をたくさん堀り水を注ぎ込んで、その水が溜まらずに流れたり、爆発の勢いで吹き出したりするとその場所から地下にトンネルを掘り進めることで、北朝鮮が韓国侵略の為に掘ったトンネルを発見しました。
北朝鮮軍は韓国が穴を掘っている振動を察知し、韓国軍がトンネルを発見した時にはもういなかったようです。

20年程前に韓国と北朝鮮の国境調整されたので、現在の亡命者の大くは中国側の国境から行われているようです。

その後、韓国と北朝鮮軍が休戦協定を行った板門店(ハンモンテン)の模型を見て、その際にも貴重な話が紹介されました。

IMGP4160

現在板門店に駐在している軍人は黒いサングラスをしています。
それは、北朝鮮の軍人に見ている(睨んでる)と思われたくないからです。
というのも、板門店に駐在していたアメリカの軍人に以前ある事件が起きたことがこのきっかけになっています。
その事件とは、アメリカの軍人が韓国側の木の葉っぱを切っている時に起こりました。
アメリカの兵隊が葉っぱを切ったことで北朝鮮の兵士が見えやすくなり、監視しようとしていると思ったのかその行為に怒った北朝鮮の兵隊がアメリカの兵隊を斧で殺しました。
この事件以降、無駄な争いを起こさないように、サングラスをつけるようになったようです。

資料館を見た後は、第3トンネルの方に向かいました。

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第3トンネルは入り口部分は韓国軍がこのトンネルを発見した後、作ったもので奥に北朝鮮が掘ったトンネルがありました。
徒歩で行くパターンと、トロッコで行くパターンがあるんですが、僕らは歩いて向かいました。

徒歩の入り口はこんな感じ
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トロッコはこんな感じでした。

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トンネルの中はこんな感じです。
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中は撮影禁止だったので写真はないですが、まず、韓国が後日掘った方のトンネルを300mくらい降って北朝鮮が作ったトンネルに到着します。
朝鮮人が作った方のトンネルはかなり低くて、ずっと中腰でかなり歩く時はしんどかったです。
このサイズ感を考えると、朝鮮人の身長は結構低いのかな?とも思いました。
このトンネルの奥にある部屋の先は北朝鮮で、奥に入って捕まると帰ってこれなくなる可能性があるとガイドのリーさんが言っていたのがめっちゃ印象的でした。

一番奥まで行くと2つ部屋があって、監視カメラでしっかりと警備されていました。
一番手前の壁の前で止まって、小窓から奥の部屋を見たんですが、なんというかめちゃくちゃ不気味な空気感が漂っていました。
また、北朝鮮が最後に設置しようとしたダイナマイトを入れる穴や、韓国がこのトンネルを発見する為に掘った穴もあって、すごく異様な実際に見ないとわからない空気感が漂っていました。

トンネルを歩いあとは、周りの施設を見る時間があったので見て回りました。

トンネル施設の横にあったお土産屋にあったシャツ
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韓国の軍人さんの模型と一緒に写真を撮った
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分断されたこと・これからの統一を願っていることを表している?モニュメント
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DMZを表したモニュメントがあった場所
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ここの周りですが、よく見るとこんな表記がありました。

地雷危険マーク
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こんなに近くに地雷がある可能性があると言うのが、僕の中では非現実的な感じがありました。

第3トンネルのあとには、都羅(トラ)展望台に向かいました。
都羅(トラ)展望台からは、北朝鮮を遠目に見ることができて、天気がいい日には韓国と北朝鮮の旗や金日成の銅像、板門店、ケソン工業団地を見ることもできるようですが、僕らが行った時はあまり天気が悪かったので、景色はこんな感じでした。

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望遠鏡があって、望遠鏡を使えばうっすらと韓国の旗と板門店を見ることができました。

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トラサン展望台は30〜40年前は規制が厳しく、北朝鮮側の写真を撮ることはもちろん、見ることも禁止されていたんですが、現在はかなり緩和されていて、2年ほど前から写真に対してかなり緩くなったようです。

以前まで使われていた写真撮影する人用のラインも形骸化していた。
P4089466

ここでも、ガイドのリーさんはいろんな話をしてくれました。
DMZの中に、韓国の旗と朝鮮の旗があって当初はの高さを競っていたようです。
韓国が高くすると、北朝鮮が張り合う、北朝鮮が高くすると韓国も・・・という感じだったらしいですが、結局韓国側が折れて、現在90mくらい、北朝鮮の国旗は104~105mで世界一高い国旗になっているようです。

北朝鮮側の山々にはGPS機能を撹乱させたり、ネットを妨害する電波を発信していたり、ソウルに向けてミサイルを発射できるようになっているようです。
実際に妨害電波を発信している場所に来ることがあるなんて・・・と思いました。

また、ここからケソン工業団地を見ることができて、ケソン工業団地のことを少し詳しく知ることができました。
ケソン工業団地とは、南北共同・統一を目的として作られた施設で、韓国の中小企業100社程が鍋や靴、生活用品(韓国に出荷)を作る為の工場を運営していたようです。
金大中が大統領の時に行ったサンシャインポリシー(北朝鮮に優しくする政策)の一環で行われ、向上の機材などはすべて韓国が準備し、労働者として働いている北朝鮮の労力にも給与を払っていました。
北朝鮮はアメリカと問題を起こしているが、ケソン工業団地での給与は米$で欲しいと韓国に言っていたようです。
ちなみに、2016年2月に韓国から得た米$が、北朝鮮のミサイル開発・核開発の製作資金になっている可能性や、金大中・盧武鉉政権後、サンシャインポリシーは全く意味のないものだったと言った李明博政権になり、北朝鮮政権への当たりが厳しくなったこともあって(1ヶ月1人125$で雇っていたが、北朝鮮から150$に上げてくれと言ったが拒否したなど(今までの政権下では受け入れていた))、ケソン工業団地の運営が終わりました。

『韓国はこの工場を作る為に結構お金をかけたのに、もう1年も機材を動かしていないので、すべてがダメになりかなり損をした。』とリーさんが言っていました。

リーさんの力で、めっちゃ白人系の観光客がいる中、日本語の動画を見ることができました。ほんまめっちゃいいガイドさん。
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都羅(トラ)展望台の次は、このツアー最後の観光地、都羅(トラ)山駅に向かいました。

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都羅(トラ)山駅は韓国人の寄付によって2002年にできました。
できた時には当時のアメリカ・韓国の大統領がきてサインをして行ったようです。

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この都羅(トラ)山駅の2002年当初の構想はめちゃくちゃ面白かったです。
韓国・北朝鮮の関係がよければ2017年にはこの駅から北朝鮮のピョンヤンに行けるようにする予定だったようです。
そして、ピョンヤンから中国やロシア、ロシア(シベリア鉄道)を超えてヨーロッパまで行けるようにする構想でした。
日本から釜山に海底トンネルを通って行けるようになる予定なので、一度も空路を使うことなく日本からヨーロッパに向かうということも可能になる予定でしたが、関係悪化の為、現場実現は難しいです。

構想の路線
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国際線になる予定だったので、イミグレーションがあった。
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駅もめっちゃ綺麗で、使っていないのがもったいないくらいです。

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ホームを見るとピョンヤンと書かれた標識があった
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個人的にめっちゃおもしろいと思ったのは、この釜山からピョンヤンを超え、ロシアのシベリア鉄道につながる鉄道の基盤が日露戦争の時にロシアが資材の輸送で作り、戦後日本が経営権を得た満州鉄道がベースになっていたことです。
ずっともしかしたらそうかな?と思っていたことをリーさんに聞いたら、僕の認識が合っているということを知れてなんか嬉しかったです。

こんな感じで、日本語で書かれたパンフレットや日本語のヘッドホンをつけて受けるツアーとは違い、質問すれば答えが返ってくる、日本語でのツアーに参加したことで、本当に多くのことを知れたのは本当に貴重だなーと思いました。

これで、今の日本語のレベルに英語レベルも上げれれば、どれほど世界観が広がるのだろうか?と考えると、これからのフィリピン留学を含めた英語学習がより一層楽しみになります。

本当に貴重な体験をさせてもらったツアーでした。
これで2人で9000円くらいだったので本当に安い!と思いました。

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韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編

ハロー!つばさです。
今回のブログは韓国滞在中に、韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)ツアーに参加した時のことを書きます。
2017年4月8日に行ってきて、そこから北朝鮮の金日成の生誕祭とかミサイルの発射とかあったので、我ながらすごいタイミングに行ったなーとも思いますが、実際に行ってみることでいろんな話を聞くことができて、めちゃくちゃ貴重な体験になりました。
想像以上に記事時が長くなったので、前後編で公開します。

あと、ツアーガイドのイーさんは韓国人なんですが、日本語がめっちゃ堪能で、韓国と北朝鮮の事情に関してとても詳しく聞くことができました。
やはり、自分が理解し、話せる言語でガイドを受けることができるのはいいなーと思い、また、英語が堪能に話せるようになると、いろんな英語開催のツアーで詳しく話を聞けるようになるのがすごくメリットがあるなーと思いました。

ツアーガイドのリーさんと共に
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今回僕らが参加したのが、韓国・北朝鮮の軍事境界線に行く半日ツアーでした。
本当は1日ツアーに参加したかったのですが、ツアー日の4日前に申し込みが必要で、参加することができませんでしたが、半日ツアーもかなりのボリュームで大満足でした。

ツアーの内容はこんな感じでした。

朝7時くらいに宿泊ホテルでピックアップ。

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ツアー客が全員集まってから大型バスに乗り換え。

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臨津閣(イムジンガク)公園を観光・DMZに入るためのチケット購入

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橋を渡る際にパスポートチェックを韓国の軍人が行い、

南侵第3トンネル&DMZ映像館、展示館見学

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都羅(トラ)展望台(北朝鮮側を眺められる展望台)

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都羅(トラ)山駅見学(北朝鮮を抜け、中国やロシア、ヨーロッパへ延びる鉄道用の駅)

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都羅(トラ)山駅見学後に、ソウル市内に戻るという感じでした。
ソウルに戻ってきたのが14:30くらいだったので、移動時間も含め7時間ほどのツアーだったんですが、内容もりもりで、めちゃくちゃ楽しかったです。
景色を見ることには、慣れ・飽きによって興味は失われましたが、やはり国ごとで独自性がある歴史に関する施設やツアーはいつ行ってもいいなーと思いました。

DMZツアーでは、バスの中でガイドのイーさんから聞く話もかなり貴重でした。
韓国の徴兵制のことや、韓国が持っている歴史観について聞くことができたので、紹介します。

バスの中で僕らに説明してくれるイーさん
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まずは韓国と北朝鮮の徴兵制に関して、

韓国の若い人は21ヶ月間の徴兵期間があり、普通は高卒後、大学に行く人に関しては2年間大学に行き、その後2休学して兵役にいきます。兵役の前には身体検査があり、検査に受かった者のみが兵役につきます。
ワールドカップやオリンピックで活躍すると、兵役が免除されることもあるようです。
また兵役に関して話を聞いていて少し面白かったのは、体にタトゥーがある人が軍に入れないという点と、30歳を過ぎた者が兵役に志願してももう軍に入ることはできないという点です。

タトゥーが入っている→機密文書を中に持ち込むおそれがある
30歳を超えている→そんな年寄りは軍に必要ない
という理由のようです。

韓国では、兵役を終えることが社会に出る際の資格のようになっていて、兵役を終えないとバイトはあっても、企業に正社員として就職はできないです。
また、兵役に行かなかった場合は、兵役不履行で警察に逮捕されてしまいます。(実際に韓国国籍の有名人が芸能活動で兵役を断り続け、兵役を逃れるためにアメリカに逃亡したことで、韓国への入国禁止状態になっている事例もあります)
海外に住んでる韓国籍の人は基本的には兵役はないが、希望して帰国し軍に入ることはできます。(その際の航空券代は国が支給してくれる)
兵役は男だけで、女性の兵役はないのですが、職業軍人になる女性は多く、韓国の女性にとっては人気の職業のようです。

ちなみに、兵役中は月1万円くらいの給料が払われるようですが、兵役期間中の給与が少なすぎると問題視し、今回の大統領選で5万くらい出そうという動きもります。

兵役後はそのまま軍に残って、軍務に就くもの、就職する者、復学する者と様々で、基本的に1度兵役を行った者が再度召集されることはないです。

これに対して、北朝鮮では、18〜20歳で兵役に就くのですが、その期間がめちゃくちゃ長いです。

男は10年間の兵役が、女も7年間の兵役が課されます。

この兵役の話だけでも、現地に来た価値があるなーと感じました。
僕らはこの話を聞いて、韓国の経済発展はこの徴兵制がきっかけになっている可能性を考えました。

兵役を通して、同年代の仲間と深い絆と忍耐力を鍛え、その後復学、入社し数年後企業を支える年齢に達した際に多くの企業の決定権を持った人間は、兵役中に同じ釜の飯を食った仲間になるわけです。
この状況を作り出すことによって、企業間の利益のみを考えるのではなく、国としての視点や団結力が培われるのかなと思いました。

また、エチオピアで出会った韓国人のブンくんは、『フィリピンで友達が英会話学校を経営していたから、その友達にタダで学校に通わせてもらった』とか『サムスンで友達が働いてるからスマフォをもらった』とか『自転車で世界一周をすると言ったら、自転車を作っている会社に勤めている友達が自転車をくれた』と言ってて、こういう繋がりも兵役の中で生まれたのかなーと想像したりもしました。

北朝鮮の兵役に関しては単純に期間が長いと思いました。

男なら18~20歳から兵役につき、解放されるのが28〜30歳。
女なら18~20歳から兵役につき、解放されるのが25〜27歳。

農業を行っている家や、北朝鮮の企業(あればですが)などで働く予定の若い人材が兵役で長期間取られてしまうのはかなり大きいじゃないかなーとか、ケソン工業団地(韓国と北朝鮮が共同で運営していた工業団地。現在関係悪化により閉鎖中)で働いていた人はもしかしたら兵役中の人だったのかなとか、TVでたまに出てくる踊ってる女の子たちももしかしたら兵役中の女性軍人なのかなとかいろいろ考えちゃいました。

北朝鮮の兵役制度に関して、情報の正否ははっきりしませんが知れたことは貴重な体験でした。

次に韓国から見た世界と韓国の歴史に関して。

今から2000年ほど前に王様が現れ、国ができた。
その後時が経ち、1908年に日本の植民地となる。

韓国人の解釈として面白かったのは、アメリカが日本に原子力爆弾を落とした理由の部分でいた。

第二次世界大戦終盤。
アメリカとロシア(旧ソ連)は終戦後日本をロシアとアメリカで半分にするという意見を持っていたが、アメリカはそれを許さず、早期戦争終結に向けて日本に原子力爆弾を落とした。という解釈です。

結局原子力爆弾が落ちた後、ポツダム宣言の受諾までの間にロシアに少し攻め込まれ北方領土を取られたのですが、日本自体をドイツのように分断されなかったのは爆弾を落としたからだと認識しているようです。

1945年戦争終結後、韓国は日本から独立しましたが、独立したことはあんまり嬉いことではなかったようです。
というのも、独立後すぐに北緯38度の部分に線引きされ、北をロシアが、南をアメリカが統治することになり南北分断されてしまい、今まで普通に行き来していた場所が急に通れなくなってしまいました。
独立後大国の意見に左右されていましたが、1948年に現在の韓国(この際の政権は、傀儡政権(大国が作った操りやすい政権)だった)という国ができた。

戦後時、ロシアは朝鮮半島を半分にし北半分を手にしたのですが、本当は日本も半分もらうことを考えていたので、不満に思っていた。
そんな中、1950年1月にアメリカの国会議事堂でアメリカの国防長官が自国の強化を行うことを決定し、アジアの防衛は日本のみにし、韓国から撤退することを表明しました。

この表明により、韓国にいたアメリカ軍は日本もしくは母国に撤退してしまいました。
アメリカがいなくなったことを好機とし、この表明を韓国を占領してもアメリカは手を出してこないと解釈したロシアと北朝鮮は南を狙う為に戦争準備を行い、1950年6月に朝鮮戦争勃発。

1950年8月くらいには釜山以外の他の地域は全て、北朝鮮に制圧される。
が、当時日本の連合軍本部に駐在していたマッカーサー将軍が仁川上陸作戦を行うことを決定し、同年9月15日インチョン仁川上陸作戦を決行、大成功し、北朝鮮に大勝利という結果を残しました。
この機会を好機としたマッカーサーは今回の戦争で朝鮮半島から共産主義を追い出そうと目論み、同年11月圧倒的な戦力で北朝鮮を中国との国境まで追い込みましたが、共産主義の中国がロシアと北軍を助ける為に200万くらいの協力を北に送りこんだことにより戦況は変化していきました。
中国軍の圧倒的な人員で展開される人海戦術により、アメリカ軍はソウルまで逃げことになった。
ガイドさんはここの部分で、『この時にアメリカ軍がもっと頑張ってくれたら今のように半分に分かれることはなかったのに・・・』と言っていた。

攻め込まれたアメリカは、他国に協力を要請し連合軍を作り、北朝鮮と戦った。
1951年頃からずっと大きな争いがないまま、停滞していて停戦会談を行っていたが、各国の立場などがある為、停戦も休戦もできない状態になる。
そんな時にロシアのスターリンがなくなることで、停戦会談が進み、1953年7月21日に板門店(ハンモンテン)で休戦会談を行う。
この際に板門店(ハンモンテン)を中心に南北4km(北に2km,南に2km)の軍事境界線を作り。この区間のことを非武装地帯(DMZ)と呼んでいる。

軍事境界線を現した模型
IMGP4157

その後1998年野党から選出され、大統領となった金大中の時代から『サンシャインポリシー』(どれだけ固く凍っている氷(北朝鮮)でも、太陽(韓国)のように暖かい光を当て続ければいつか氷は溶けるだろう(いつか南北が分かり合え、南北統一できる日がくるだろう))という方針により、韓国が北朝鮮に対して歩み寄り、南北首脳会談を行ったり、DMZ付近の地域に人が住めるようになったり(現統一村)、ケソン工業団地(南北が初めて共同で運営した工業団地→現閉鎖)ができたりした。

韓国は今もまだまだ小さな国なので、周りの大国の影響(現在南北が揉めているのは、中国とアメリカの影響)を受けてしまうし、なおかつ大統領がまだ決まってないので、今もなかなか自国の国際力を持つのは難しい。と言っていた。

*ここに書いているのはガイドさんから聞いた情報なので、正否不明のものもあり。しっかり見たい人はWikiをどうぞ。→韓国歴史Wiki

こんな感じで、韓国の歴史や徴兵制などについて話を聞いていると、最初の見学地、臨津閣(イムジンガク)公園に到着しました。
臨津閣(イムジンガク)公園は、1971年に南北共同声明発表後に開発された韓国の代表的な統一観光地です。
ここには、戦後両国が捉えた捕虜を交換するために作られた木製の橋があった。

過去の木製の橋は現在は腐敗しているが、このツアーで後に行く都羅(トラ)山駅に向かう鉄道が走っている自由の橋や戦時中にはかしされた鉄橋を復元した施設、南北の平和を願って作った平和の鐘があった。

自由の橋
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戦時中の橋を復興したやつは観光地になっていた
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この施設の前には戦時使われていた?列車が置かれていた
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平和の鐘
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その他、小型の自由の橋がありました。

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ここには、韓国の国旗や南北統一を祈願した千羽鶴が飾られていました。

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また、ハガキが書けるとこもあったので、僕らも書いてみることにしました。

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臨津閣(イムジンガク)公園での滞在時間が短かったので、上には上がれませんでしたが、こんな施設もありました。

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臨津閣(イムジンガク)公園の後は、遂にDMZの方に進んでいきます。
橋を渡って進むのですが、ここでまたガイドさんが面白い話をしてくれました。
1971年の南北共同声明発表後に、DMZ付近の地域に移動する人を韓国政府は募っていて、その村の名前を統一村と言い、現在162世帯(一世帯に子供は一人まで補助されている)、453人がこの村に住んでいるようです。
統一村には国が移住を募った際に、国に認められた人だけが住むことができる場所で、移住の際にいろんな特典があったようです。

・10%の税免除
・兵役2年は免除
・土地代無料(農耕地)

かなりメリットがあるんですが、夜になる自由に動けなかったり、病気など緊急な時は軍に連絡をしなければいけなかったりと制約があったり、常に北朝鮮からの攻撃の恐怖がつきまとっているようです。
統一村に住んでいる人は、農産物(米・豆・高麗人参など)の販売を行っていて、世帯年収は7000万ウォン(日本円で700万円)と韓国の中で(日本でも)かなり高額の収入があるので、現在も移住したいと言う人もいるようですが、現在統一村に住んでいる人が引っ越すなどがない限り入ることはできないようです。

この統一村の前には川が流れているんですが、北から何が流れて来るかわからないので、美味しい鰻がいるが、食べることはできないうようで、北からのスパイに間違われるので川に入ることは認められていません。
ちなみに、この地域を含め、すべての開発された地域(畑も道路も施設も)は、40年前に韓国軍人が地雷を発見して開拓したようです。

こんな感じで、実際に行ってみないとわからないことを、このガイドさんはいろいろ教えてくれます。
さぁこれから、パスポート提示して、今回の観光予定地に向かいます。(DMZの付近の韓国が開発した地域)
いやー楽しみだ!

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