渋沢栄一スポットを巡ってきましたー♪~ゴールデンウィーク第二弾~

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こんにちは。つばさです。
本当は1記事で渋沢栄一の事を描き切ろうと思ってましたが、長くなったので2記事に分ける事にしました。

今回の旅では渋沢栄一の事が好きになると同時に尾高惇忠も好きになりました。
調べてみたいテーマが増えるのは良いですよね♪

この記事では、下記のスポットに行った内容をまとめて紹介します。

  • 深谷駅
  • 中の家
  • 諏訪神社
  • 鹿島神社
  • 尾高惇忠生家
  • 誠之堂(せいしどう)・清風亭
  • 渋沢栄一記念館

場所は下記の記事参照

深谷駅に行ってきた

まずは、深谷駅へ。
電車で深谷駅に来た人はまずは駅の立派さに驚くと思います。

駅の入り口はこんな感じ

駅を横から見るとこんな感じ

めちゃくちゃ立派です。
これも渋沢栄一の功績で、渋沢栄一が事業の1つでレンガを作る事業を行っていたり、建設業の清水組(現清水建設)を持ってたりしたので、こんな立派な駅が建ちました!

東京駅のようですね~。

駅から出ると、晩年の栄一像があります。
栄一の前で写真撮りました。

たまたま駅に着いた時間が良かったので、時計台のアトラクションを見ることができました!しっかり動画に撮ったので紹介させて頂きます。

えっ!?これだけ?って感じでしたが、実はこの人形に深い意味があったようで、日本のひな祭りに日米の友好の為に日本人形と洋風の人形を交換する事業を渋沢栄一が行っていたようです。

渋沢栄一は1931年(日中事変が開始した年)に亡くなっているので、日米関係が悪化しそうなタイミングで日米の友好関係を築く事業を行っていた事は先見の明があると言えます。
が、その後の日米関係は歴史の通りです。

また、時計台が動きだすのを待っていた時に近くにいた地元のおばちゃんがめっちゃいろいろ教えてくれて、「誠之堂(せいしどう)・清風亭」に行く事をおばちゃん情報で決めました。

現地の方が話しかけてくれていろいろ教えてくれるのはありがたいですねー♪

渋沢栄一バスが止まってました。

渋沢栄一の生家「中の家」へ

次に渋沢栄一の生家「中の家」へ行きました。
中の家の門構えはめっちゃ立派でした。

中の家に着くとすぐに青年時代の栄一が僕達を迎えてくれました♪これはシャッターチャンス!と一緒に写真撮りました。

栄一のソロ写真は「晴天を衝け」っぽい確度にしてみました。

中の家の外観はこんな感じです。
本当は中に入れるらしいんですが、僕達が行った時は中に入ることができませんでした・・・残念過ぎる。。。

中の家の中を見ながら歩いていると、家の中に動く晩年の渋沢栄一がいました。

栄一おじいちゃんが動いてたので、ここも動画に撮ってみましたので、良ければ見てみてください。
少しだけ動いてます。

家の裏側には立派な蔵がありました。
お米とかを補完してたのかなー?

ここには渋沢栄一のお母さん「えいさん」について書かれた文章が置かれていたり、

お父さんの「市郎右衛門さん」についての文章が残ってました。

2人の慈愛の心や、渋沢家の長女がえいさんで市郎右衛門さんは渋沢家に養子でやってきてえいさんと結婚したことを知りました。

養子に来て長女と結婚するって流れが凄いなーと思いましたが、この時代はこういう事が多かったんだろうなーと想像します。

次にすぐ近くにある、栄一がよく遊んでいたと言われている諏訪神社へ向かいます。諏訪神社は獅子舞踊りの場所で大河ドラマでもやってたやつですねー♪

諏訪神社へ

諏訪神社は「中の家」の目の前が入口で、こんな感じの看板が置かれていました。

農道に沿って歩いて行くとこの旗がありました。
「渋沢栄一生誕の地」!!

門構えはこんな感じで、奥に本殿がありました。

諏訪神社の説明文。

ここに結構天皇陛下が来ているようで、こういう記念碑や記念に植樹された木が何本かありました。

この写真はあゆみが妊娠してるのが良くわかる写真ですねー♪

続いて、渋沢栄一の家と尾高惇忠の家の間くらいにある、鹿島神社へ向かいます。

鹿島神社へ

鹿島神社に行くと真ん中にこんな場所がありました。
ここは渋沢栄一のお母さんの「えいさん」がライ病患者の背中を流した場所です。

鹿島神社の真ん中にありました。

鹿島神社の説明文。

ここでも天皇陛下が植樹してました。
天皇陛下は結構植樹しているようです。

本堂の本坪錫の揺らす部分にはこのように書かれてました。
由緒正しい感じがめっちゃします。

本堂の中が見れたので見てみたら、渋沢栄一の写真がありました。

鹿島神社は、大河ドラマで栄一が千代に「お前がほしい!!」って言った場所(のはず)なので、来れて嬉しいです♪
場所的にも2人の家のちょうど真ん中くらいだったので、ここは会ったりするのにいい場所だったんでしょう。

本堂の横にはこんなお堂がありました。よく見ると栄一が剣の鍛錬をしていた場所がこんな感じの建物だったので、惇忠は剣術道場を鹿島神社でしてたのかなーと思いました。

神社の全体像はこんな感じです。
右に剣術道場(?)、真ん中に本堂があり、左に「えいさんの公共浴場」とご神木でうす。
めっちゃ広い神社です。

続いて、尾高惇忠の家に向かいます。

尾高惇忠生家へ

尾高惇忠の生家は外観がこんな感じです。

すこしは左に行くと全体が撮れるよ!って教えて貰ったので移動してみました。
この確度良いですねー!

で、この時に撮影者の僕の前の看板が気になったので、写真を撮りました。この距離感(近さ)がわかる感じの看板良いなーと思いました。

では、早速中に入ってみましょう!
中に入ると左手には尾高惇忠の晩年の写真が飾られてました。

右手にもこんな感じで写真がありました。

惇忠の写真の横には、平九郎(千代の弟)の写真もありました。ここで驚いたのが「渋沢栄一の養子となる」の一文でした。
えっ!?これから養子になるの?とかなりのネタバレです。

ちなみに余談ですが、尾高平九郎は幕末男前ランキング2位らしいです。(1位は断トツで土方歳三のようです。)

平九郎の養子もかなりのネタバレなのですが、惇忠の家に来て知った一番のネタバレはこのパンフレットに載ってました。(大河ドラマを楽しみたい方は見ない方がいい)

なんと、千代さんは41歳の時に「コレラ」で亡くなってしまうです。。。
ドラマを見ていて2人で頑張っていくと思っていたので、僕は結構ショックを受けました。

これからドラマを見る時は、この後千代さんが死んでしまうんだなーと思いながら見る事になるので、ちょっと切ないです。

無料ガイドの時間になったので尾高家の事を解説してもらえました!
ガイドさんの話の中で、やっぱり「惇忠あっての栄一」と言う話が出てきました。これから栄一が行う事業のバックアップを惇忠が行うようで、惇忠のバックアップがあったから栄一が羽ばたけたようです。

ちなみに尾高家もお金持ちになったので、深谷市から東京へ羽ばたいたようで、尾高家の深谷市への遺産として、生家の前にアパートを作ったようです。

尾 ⇒ テール
高 ⇒ ハイ

から「ハイテール」って名前のアパートです。
これはガイドさんに聞かないと知れなかったことだなーと思ったので、写真を撮っておきました。

こう言う裏話も面白いですよねー♪

誠之堂(せいしどう)・清風亭へ

続いて、地元のおばちゃんおすすめの誠之堂と清風亭へ!

まずは 誠之堂 です。
このようなレンガ調の家で、イギリスの農家の家をモチーフに作ったそうです。

中には渋沢栄一の顔が立体になっている壁掛けがありました。
横から見たら鼻が高かったので、渋沢栄一が鼻が高かったと言う情報を得れました。

続いて、清風亭へ。

清風亭の中に入ると、すぐに渋沢栄一の銅像が置かれてました。

ここは渋沢栄一の喜寿を祝して作られた建物で、実際の会の時の写真が飾られていたのが良かったです。

渋沢栄一記念館へ

最後に渋沢栄一記念館です。

渋沢栄一記念館は写真撮影禁止だったので、あまり写真はありませんが、今までの記事の中で書いていた「後で知ったことですが・・・」の部分は全てここで知ったように思います。

渋沢栄一の人生や渋沢栄一が関わった会社の種類、お父さんやお母さんの影響で晩年に慈善事業を行った事や青年時代の変遷。

青年時代に栄一の人生が変わったきっかけは、やはり「平岡円四郎」との出逢いでしょう。
平岡円四郎との出会いから、最後の将軍徳川慶喜に使える事になり、勘定役として成果をしっかりと残した。

しかも、大政奉還前に徳川昭武(慶喜の弟)と一緒にフランスをはじめとした欧州に行っていち早くヨーロッパの経済発展を目にできたんだから凄いです。

この流れから、日本平定に躍起になっていた新政府の役人よりも早く海外遠征を行い、岩倉具視使節団が外遊をしている時にはもうすでに日本国内で事業を作っていたので、これだけ多くの企業の創設に関わったんだな―と流れが読めてきます。

それを全てやってのけたのも凄いし、時代の波にうまく乗ったのが一番凄いと思いました。

時間ギリギリで渋沢栄一記念館のアンドロイド栄一とも写真が撮れたのがうれしいです。

渋沢栄一が提唱した「道徳経済合一説」の講演が聞けなかったのは残念ですが・・・

こんな感じで結構動いてました。

最後に記念館の入口で原寸大渋沢栄一と写真を撮りましたが、めっちゃ小さくてびっくりしました。
日本人って本当に大きくなったんだなーと改めて実感です。

こんな感じで渋沢栄一尽くしの1日になりました。
めっちゃ濃かったー!!

帰りにステーキガストでたらふく野菜や肉を食べて、千葉県へ戻りましたとさ。

最後まで見て頂きありがとうございます。

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