「博物館」タグアーカイブ

日露戦争を巡る旅2日目〜塹壕と旅順の博物館へ〜

ニイハオ!つばさです。
2019年9月に行ってきました、中国の大連・旅順旅行の2日目について書きます。

初日の日本→大連→旅順への移動と観光についてはあゆみがかきましたので、
そちらを御覧ください!!
水師営や白玉山からの旅順港の景色はなかなか感慨深いものがありました。

ついに中国上陸!日露戦争の舞台を生で感じよう・・・!

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中国2日目。
この日は本当は203高地に登って、旅順港を見るスケジュールでしたが、
天気が悪るくなる予報でしたので塹壕と博物館や各名所周りに切り替えました。

まずは塹壕へ。
ホテルの前にいるタクシーに声かけて60元(900円くらい)で往復してもらうことで交渉しました。

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移動中にドライバーが中国語でいろいろ話しかけてきて、たぶん現地では30分時間をあげるから
30分経ったらタクシーに戻って来てね!って言ってるんだろーなと思っていたら、急に電話かけだして
私に電話を渡してきました。

英語での会話だろうと思い、「Hello!」と言うと「こんにちわ!私日本語話せます!」と返答がありました。
日本語で、現地に到着した後の流れを確認して、電話をドライバーに返しました。

日本語話せる人にわざわざ繋いで確認する感じがすげーなと思いました。

電話で話したりしていると、塹壕に到着しました。

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ここは、「坂の上の雲」とかで日本人が大量に死んだとされている場所です。
日本陸軍が奉天など内陸に攻めようとしていたところ、日本海軍が旅順港から出てこないロシア艦隊を
大西洋側のバルチック艦隊が到着するまでに殲滅する為、旅順を大陸側から攻めるよう陸軍に依頼し
陸軍が大量に特攻のような攻撃を掛け、機関銃で無残に散っていった場所です。

今から私達が見に行くのは、ロシア側の陣内です。
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各場所に下の写真のようなどんな場所か?を示す表札があるので比較的理解しやすかったです。
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中国語は漢字なので、なおわかりやすいです。

ここから堡塁の写真を数点紹介します。

司令室として使われていた場所
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ロシア兵の宿所として使われた場所
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このようなトンネルもありました。
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堡塁を見ていると、以前ベトナムで訪問したクチトンネルを思い出しました。
いろんあ記憶が蘇るなーと思いました。

興味がある方クチトンネルの記事もどうぞ!
クチトンネルは総合エンターテイメント施設だった(笑)

私の記憶では、この堡塁を突破する作戦を中断し203高地へ攻撃目標を変更して奪取。
その後、203高地の上に砲台を建設し一斉放火。
海軍・陸軍ともに殲滅したあとこの堡塁も制圧したように記憶しております。

制圧後に日本人が作った塔もあったので、写真を取りました。

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日露戦争になんとか勝利し、一番ノリに乗ってた時代です。
このモニュメントの横には大砲や機関銃の模型が置かれてました。

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日本人を大量に殺した砲台一緒に写真を撮り

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若干不謹慎ですが、発泡している感じで写真を撮りました。

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その後、恐らく銃撃戦があったのであろう塹壕内部の壁を見ました。
弾痕がかなり生々しかったです。

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私達はボスニアでも弾痕を見たのですが、その時の感じをここでも思い出しました。

その当時の記事はこちら↓
内戦の痕跡が残るサラエボにやってきた!

以前はこの部分の堡塁の中にも入れたようですが、NHKで坂の上の雲をやってた時のブームが終わった後は
もう入れないのか、入り口が完全に閉まってました。

最後にこの堡塁の全体図を載せておきます。

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この後ホテルに戻る予定でしたが、たまたま次に行こうとしてた博物館の近くを通ったので、
横で降ろしてもらいました。

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この博物館は満州国時代の刑務所を博物館にした場所で、当時の収監施設や日清・日露以降の資料が残ってました。

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余談ですが、この博物館や2日目に回った博物館を通して中国すげーな!と思ったことがありまして、
それは博物館が全て無料だったことです。
この点は日本も見習うのもありだなーと思いました。

博物館見学に戻します。
博物館の中はこんな感じでした。

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収監施設はこのような感じ。

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アメリカのアルカトラズ島のような感じでした。

アルカトラズ島の記事はこちら↓
アメリカ横断キャンピングカーの旅・5日目〜サンフランシスコでアルカトラズ島観光〜

この刑務所には満州に対して反抗している人が収監されており、対象は中国人・朝鮮人はもちろんですが、
日本人も対象だったようで、3つの言語に対応した規則が記されてました。

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収監されている罪人を率いてクーデターを計画していた人を拷問する機材がおいてある部屋もありました。

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クーデターを行おうとした人のようです。
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その他、罪人を監視する台や

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増築した収監施設

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ここには上に監視窓があり、恐らく銃を持って監視してたんだろーなと感じました。

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収監されていた方たちの労働施設もありました。

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手袋などを作っていたようです。
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賃金体系を書いた表がありました。
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他にもいろんな施設があり、以前の写真を展示したとこもありました。

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次に行った場所では日清戦争後くらいからの年表が飾られてました。

3国干渉
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当時の国力を模した風刺画
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日露戦争の旅順閉塞作戦で亡くなった広瀬の写真
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旅順閉塞作戦の写真
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広瀬は軍神と書かれてて、本当にすごい人だったんだなと感じさせられました。

旅順を攻めている際に亡くなった乃木将軍の息子に関する資料
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日露の海軍トップ
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昔使われた機雷
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203高地から旅順港を覗いている姿
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旅順港が見えるか?を児玉が確認した際に児玉がいた高崎山
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203高地から見た旅順港の様子を記した地図
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児玉と乃木の写真
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日露戦争後の両国の対談
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満州国を設立した際の記念碑
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なかなか濃厚な施設でした。
いろいろ資料見れて嬉しかったです。

他にもいろいろ施設があって、中国の革命家がたくさん飾られた棟もありました。

安重根
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そこには日本と中国の事件が記された年表もありました。

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下記の点が勉強になりました。

伊藤博文を殺害→安重根の犯行
関東大震災の時に祟り的な理由で満州で中国人・韓国人を生贄にしていた。

学校ではあまり真面目に勉強してなかったので、いろいろ参考になりました。

雨も降ってきたし、かなり頭がお腹いっぱいになったのでタクシーで宿方向へ帰り
昼ごはんを食べました。

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こんな感じのごはん屋さん。
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中華マジで美味いです。
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中休みした後は、旅順博物館や旧日本人街へ。
1人1元(15円くらい)で乗れる市バスで移動します。

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途中に酒とめっちゃ書いたとこがあったので、あゆみがもれなく写真を撮ります。

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ちょいちょいある可愛い置物の写真を撮りつつ、旅順博物館に到着。

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旅順博物館
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旅順博物館も無料では入れました。
中はこんな感じです。

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宝塚的な感じがしました。
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ここで旅順のどんな資料が見れるのか?と思っていましたが・・・
普通に文化的な資料館って感じでした。
歴史が見たかったのに・・・・

ちょっとだけ写真撮ったのでどうぞ

始皇帝と書いている注釈に惹かれて撮った写真
(おーキングダムだ!!って感じでした。)
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中国感ある皿
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この部屋の先に中国人のミイラがありました。
これはかなり感動しました。
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その他、宗教的な置物が。
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こんな銅像あるんだ!!って驚きが隠せなかったやつ。

表面
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裏面
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思わず両面から写真撮ってしましました。

最後の銅像がある意味一番驚愕でしたね。笑

旅順博物館の前にはこのような塔がありました。
これは中国とロシアが仲良かった時に作られた塔らしいです。

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旅順博物館の後は、近くにあった砲台を見たり

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旧日本軍の本部を見たり

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大和ホテルを見に行ったりしました。

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今日はかなり勉強になった1日でした。
夜の締めくくりは餃子!デフォルトが20個らしくめっちゃ皮が厚くて美味しかったです。

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なんとかスマホの翻訳とボディーランゲージでビールをゲット!!

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夜には僕らの部屋でまえてぃーと一緒に飲みました。

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明日はついに203高地に登ります!
めっちゃ楽しみだー!!

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あまり知られていないプエルトプリンセサと日本の悲しい歴史

はろー、あゆみです!!
ようやく重い腰を動かしてプエルトプリンセサから移動か!?という感じでーす。次はマニラに行く予定!!

実はプエルトプリンセサに来て初めて知った日本の歴史があります。そのことについて今回は紹介したいと思います。

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キレーな教会があるらしいから行ってみよーぜ!!ってノリで訪れた教会「イマキュレートコンセプション大聖堂」
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この横にひっそりとあったこの場所。
実はここに悲しい歴史が隠されていたのです。
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ここは、「Plaza Cuartel」
この門の横にはこんなことが書かれていました。

1944年12月14日に、150人ほどのアメリカ人の捕虜が日本兵によって焼き殺された

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え!!?と思ってさっそく中へ。
中は公園のようになっていて、第二次世界大戦時のパラワンについて書いてありました。
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ビサヤの戦いというのがあったほど激しい戦場と化したフィリピン。
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よく考えたらフィリピンって、第二次世界大戦で日本軍と連合国軍の戦場になってしまった場所なんですよね。

で、ことが起こったのは、1944年12月。
なんと日本軍はアメリカ人捕虜に、「空襲が来たから防空壕に入れ」と指示を出し
アメリカ人が入った防空壕にガソリンを付けて火を放ったそう。
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なんてこと!!

1944年12月というと、戦争も末期に近づき日本軍も疲弊してきたころで、しかも連合国軍がフィリピンに上陸したという誤報もあいまってこんなことをしたそうだ・・・。

この公園には、そのアメリカ人捕虜たちの殺された場所に記念碑が立っていました。
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旅行していると、日本人って割といろんなところで良いことをしてきてて受け入れてもらえるから、日本人であることを誇りに思うんだけど
ここにいるとき、日本人であることが居たたまれなくなりました

で、もっと知りたいって思って次の日行ったのは「World War II Memorial Museum」
1人50ペソで入れます。
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入り口にあったこれ・・・
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実はアメリカ軍が日本軍からフィリピンを勝ち取った時の様子っていうw左手に持ってるの大日本帝国の国旗だからね。
中に入ると、USアーミーの服着てジープ乗って写真撮らせてくれるってので撮りました。
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なんか日本人なのに皮肉な・・・・。

最初にパラワンで起こった虐殺の様子について写真付きで説明がありました。
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アメリカ人の捕虜ってこんなにもやせていたんだ・・・って可哀そうになります。十分にご飯食べさせてもらえなかったんだろうな・・・。
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日本人の大将や少尉たちが”犯罪者”として貼られていました。
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で、ここが実際にアメリカ人捕虜が焼き殺された防空壕。
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そして生き残った人たち。
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焼き殺した日本人はそのあと捕虜となり、東京で裁判を受けることになります。
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なんかこの表情を見てると、ただの普通の工場のおっちゃん・・・みたいな感じがして・・・。本当はこんな事したくなかったんだろうな、とか、
日本軍の上の命令に逆らえなかったんだろうな・・・とか、思っちゃいます。

奥の部屋に行くと、パラワンの軍のコーナーと
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日本軍のコーナーと
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アメリカ軍コーナーと

なぜかいろんな国の戦争グッズを集めたコーナーがありました。
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パラワンで見る日本軍のモノ・・・。フィリピンって戦場だったんだなって思わされます。
戦場に出ていく子の寄せ書きがありました。
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そこには、ひっそりと英訳が・・・。
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ちなみに日本の兵器が並べられてるコーナー
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長さ足りてないから!!笑 
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ちゃんと図ってからつくろーね!さすがフィリピン(笑)

ふつーに置いてある爆弾。
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そしてこういう風に飾られると違和感を感じるのは、自分が漢字が読める日本人だからか・・・?
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アメリカのコーナーに置かれているグッズはどれも大きかったです。
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これは日本勝たれへんやろって直感で感じました。

ちなみに・・・フィリピンの展示は・・・

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なんかテイストちがくね・・・?

このほかにも、フィリピンで当時使われてた大日本帝国が発券したペソ札とか
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記念切手
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さらには捕虜の人が書いた手紙(日本軍の検閲印あり)
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なんかもあって、なかなかすごい博物館でした。

ここ、プエルトプリンセサにくるまでは全然知らなかった悲しい歴史。
こうやって実際に行ってみることで初めて知って、興味を持つ機会が与えられるんだな、と思いました。

「Plaza Cuartel」の場所

「World War II Memorial Museum」の場所

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アイスランドの首都レイキャビークの街観光といえば・・・?

はろー、あゆみです!!

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アイスランドの首都レイキャビーク。
ここには、アイスランド全人口の8割が住んでいるらしいです。
おー、大都市やないけ、と思ったあなた。いや、やばいぐらい田舎ですよ。←

まず、アイスランドの人口は30万人ちょっと
日本の都道府県で一番人口が少ない鳥取県ですら、50万人いますからね。
もはや吹田市のレベルなわけです。
ほんで、吹田市の人口のさらに8割がレイキャビークに住んでるという。
うん、田舎だわ(笑)

そんなレイキャビークの見所一つ目は、”宇宙一美味しい”といわれてるホットドック。

ホテル街の片隅にありました。「Bæjarins Beztu Pylsur」というお店。どんな発音かはナゾですw
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ホットドックはなんと1個420円!!
どんな立派なもんが出てくのかしら?と思いきや、出てきたのは・・・

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これ、IKEAとかで1個100円とかで売ってるやつと一緒じゃね?w
味はどうなんだろ・・・

つばさ「うん、まぁ普通に美味しいかな」
あゆみ「・・・げー!!まっずーー!!パンが甘すぎて無理!!」

ハードパン系が好みのあゆみからしたら、この手の柔らかくて少し甘いパンはダメなのです。
まず、420円とかいう値段も高すぎるし、味もおいしくないし、リピは二度とないかなって感じ。

誰や、宇宙一美味しいとか言いやがったのは・・・!!ドイツのホットドック食べさせてやりたいわww

傷心気味のうちらが向かった先は、お酒屋さん「VINBUDIN」。
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アイスランドでは、お酒は酒屋さんでしか買えないのです。
スーパーで売ってる1缶100円ほどの安〜いビールは、低アルコールビールと言って、アルコール度数2.5パーセントという、いわば子供でも飲めちゃうものなのですww

品揃えはだいぶ豊富でした。
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日本人のうちらも見たことのないワイン。
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ビールも、1缶250円〜300円ぐらいで、ちゃんとアルコール度数も5パーセントありましたw
ただ、ウィスキー、ウォッカなどの高アルコールはめちゃくちゃ高い!!

アイスランド人が空港の免税店で酒を大量買いする意味がわかりましたww

そして、次に向かったのは、なんと・・・
「ペニス博物館」
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いろんな動物のペニスが飾られているという、旅人間では地味に有名な博物館ですww

入場料は、なんと驚きの1500円。
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相当立派な内容なんだろうな、と期待したものの・・・
小っさ!!
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いろんな動物のペニスがただ雑然とかざられている感じです。
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イルカのペニス。でかすぎ!!
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これはハムスターのペニス。このペニス博物館の中でも最小なんだって。
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さらに。。。人間のペニスも3つありました。
なんかリアルでやだ・・・w
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世界人類で一番大きいペニスを持ってる人。
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2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得した記念に、選手のペニスを型取りし、銀メダルにちなんで銀で鋳造した像もかざられてました。
これ、マジ選手がかわいそうww
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さらにここには、ペニスの形を模したさまざまなものが置かれてました。

ペニス型のフライパン。
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電話機。
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ペニスの形をした野菜とか。
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もはやよくわからん置物までが・・・。
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もうよくわからんw
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さらに、トイレに行こうと思ったら・・・
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ドアノブがー!!!

もはやここにいたら、ペニスって一体なんなのか、わからなくなってきました。
たぶん、この博物館の中に普通の人が全裸で立ってても、なんら違和感がないのでしょう。たぶんw

ちなみに、お土産もペニスにちなんだグッズがたくさん。
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まぁ、値段は完全にアイスランド価格でしたがね。
誰が3500円もするマグカップ買うねん!!

観光もだいたいしたところで、今日のお宿があるアクラーネスってところに移動です。

アクラーネスに行くには途中で有料の海底トンネル(って言っても3分ぐらい)を通るんですが、ここ通るのに1回1000円かかるっていうw
アイスランド、金を貪り取るな・・・

アクラーネスは、ホンマさらに田舎町で、海と教会以外何もありませんでした。
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あ、変な置物あったけどww
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こんな片田舎に来たのも・・・全てはオーロラのため!!

さてさて、うちらはオーロラが見れたのでしょうか!?
見れたとしたらどんなオーロラ!?
どの場所で見れたの!?

次回に続く!!(笑)

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アメリカ横断キャンピングカーの旅・19日目、20日目〜カンザスシティでWW1博物館へ〜

ハローつばさです!
今回は前回のデンバーからカンザスシティに移動し、WW1(第一次世界大戦博物館)に行ったときのことを書きます。

デンバーからカンザスシティは300-400kmくらい距離があるので、1日は移動日でした!
移動日はこんな感じでめっちゃ綺麗でした!

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移動日の夜はあゆみの肉じゃがを食べました!

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食事の合間にまたまた髪染め!
あゆみは根元から金色に変更しました。

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夜は盛り上がりに盛り上がり、飲みに飲んでSさんはこんな感じになりました!

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で、翌日。
朝起きるとカンザスシティに到着。

早速WW1博物館に向かいました。

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ここの地面にはこのように文字の入ったタイルが貼られていました。

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博物館の前で一緒に写真撮影。
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博物館の中に入って左手にあるお土産屋さんでチケットを購入しました。

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一緒にパンフレットも貰い、内装が確認できました。

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まずは第一次世界大戦が起きるきっかけまでの情勢を知る動画を見ました。

上映会場に向かう道の下には、花が咲いていました。
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動画はこんな感じ放映されました。
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そして、動画の最後はボスニアヘルツゴビナのサラエボでセルビア人がオーストリアの大使を殺害したことで、第一次世界大戦が始まるという内容で締めくくられました。

この事件によって、オーストリアと三国同盟を組んでいたイタリア・ドイツとセルビアと協力関係にあったロシア・フランス・イギリスの戦いが始まりました。

この当時、日本は日英同盟を組んでいたので、イギリス側に付きドイツに戦線布告しまいた。

博物館の中はこんな感じでした。
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日本はドイツの植民地だった青島に攻め込みました。
その当時の内容が日本語の資料で残っていました。

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横に日本の兵隊さんの写真が飾られていました。
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戦線の変更に関しては、映像で見ることができて、最初のドイツの猛攻により攻められるフランスやロシアに攻め込まれるイタリア、そして、ロシア革命によってイタリアが巻き返す様子などを見ることができました。

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最後は、イギリス軍とアメリカ軍がフランス軍に協力しドイツが敗戦したことで第一次世界大戦は終了しました。

この博物館では結構マニアックな内容も紹介されていました。

戦線の作り方についての説明
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戦線はこんな感じだったようです。
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その他第一次世界大戦の時の派閥や中立国が色分けされていたり、
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宣戦布告した順番が書かれていたり、
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戦争に動員した人数と戦死した人の人数比較がされていたりしました。
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真ん中には体験コーナーのようなとこがあって、爆弾の使い方や、プロパガダのポスターが作れるスペースがありました。

爆弾の使い方
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プロパガンダの広告を作れるとこ
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作った広告はこんな感じ

つばさ作
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あゆみ作
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別々に作ったんですが選んだ文言は一緒でした。

第一次世界大戦の初期の展示場と後期の展示場には、また動画を見るスペースがありました。

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後期の方の展示場では、アメリカを中心とした展示が多くなり、プロパガンダのポスターや、兵隊を集める時に使った募集場を展示していました。

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その他、昔使われていたバッジや昔使われていたお金が展示されていました。

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展示を見た後は、博物館の上部にあるメモリアル会館の方に向かいました。

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メモリアルホールの中には過去の日本の旗や
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壁画、
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マシンガンが置かれてました。
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この塔にも登れるようなので、入ってみました。

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上から見える景色は絶景でした。

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塔の中はこんな感じで、エレベーターと階段で頂上に出ます。

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最後に壁画を見に行って、第一次世界大戦博物館が終了しました。

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綺麗な景色も見れて、歴史も知れてめっちゃ有意義な時間を過ごすことができました!
英語のみでなく、日本語ガイドがあればもっと理解できたのに・・・残念!!

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その日の夜は僕作のスープを飲んだんですが、味は微妙でしたとさ。。

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博物館三昧のワルシャワ

はろー、あゆみです!!
ただいま駆け足でヨーロッパを回っております。もうドイツです。あのキエフでののんびり生活から一転しすぎて体が追いついていかない・・・
そして、ドイツ寒すぎ!!
もう日本の真冬並みです。早く南へ降りよう・・・

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ワルシャワでは、博物館三昧の日々でした。
まず初日に行ったのは、「ポーランド・ユダヤ人博物館」
ちょうど木曜日が無料開放日だったので、夜行バスがついて、宿をチェックインしてから向かいました。
その記事についてはこちら↓

博物館の前にはこんなモニュメントが。
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建物はめっちゃ近代的でした。さすが2013年にできただけある!!
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中に入ると・・近代的すぎて入り口がわからんw
迷ってたら、係員に「出口はこちらだよ」と言われ・・・
「いやいや、うちら・・・入りたいねん
そしたら、丁寧に入り口まで連れて行ってくれました。いやー、ダンディーでしたw

入り口からしてめっちゃおしゃれー。
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中は、ユダヤ人の歴史について、中世のころから詳しく説明されてました。
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ユダヤ人は、運び屋さん(悪い意味ではないw)として活躍してたみたいですね。
アジア〜ヨーロッパ、シルクロードも利用しながら、いろんな国で仕入れたものを売っていたみたい。
その説明が、遊び心あるゲーム式のパネルでわかりやすく書いてありました。

ユダヤ人が発達させた印刷技術コーナー。
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実際に印刷を体験できるコーナもありました。
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そして、ユダヤ教の寺院を模した展示。圧巻でした!!
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王様にもなれるしw
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ユダヤ人街にも紛れ込めるしww
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ユダヤ人は、いろんな国を転々としてたけど、うちらもユダヤ人みたいに転々とできるかのテストもありましたw

この博物館、説明は英語とポーランド語だけで、ぶっちゃけ、何書いてるかよくわからんし、読む気も失せたんだけど、おしゃれで遊び心のある作りで、全然楽しめました!!日本の博物館もこんなんだったらいいのになー!

1939年以降の展示物はどうしてもこうなっちゃうけどね・・・
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なんだかんだで、3時間ぐらいこの博物館いたなー。
帰り道にカルフールによって、ご飯作り。
豚肉がちょー安かったので、1kg買って、今日と明日で食べることにしました。
今日は豚肉ステーキ。お肉柔らかすぎてやばかったー!!
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ビールはちょっと贅沢にカールスバーグ。
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美味しかったです!!

そして次の日に訪れたのは、「ワルシャワ蜂起博物館」
ポーランドは、ヨーロッパの中でも一番と言っていいほどナチスの被害を受けた国。
アウシュヴィッツ収容所も、ここポーランドだしね。
(その記事についてはこちら↓
アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきた〜ナチスドイツが残したポーランドの負の遺産をこの目に〜【行き方・前情報編】
【前編】
【後編】

ここワルシャワは、ナチス軍との戦いのせいで、街の8割が消失したとされる町。
ワルシャワ市民が、ナチス軍をワルシャワから追い出すために蜂起し戦った、1944年7月27日〜10月5日の様子を展示した博物館です。
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入館料は、国際学生証を使って、一人14ズヴォティ。日本語ガイドが10ズヴォティで借りれたので、借りました。

入っていきなり博物館の中心にあったこの石碑。
耳を近づけてみると、蜂起のときの爆弾の音や、人々の声が聞くことができます。
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そして、ナチスの重圧的な占領の説明がありました。
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蜂起の時に使われてたアジトを再現してたり・・・
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蜂起の時に使われていた印刷機。
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ナチスに対抗するために作ったポスターなどがありました。
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この博物館には、3D映像が上映されているってことで有名なので、入ってみました!!
ちょっとだけ混んでたので、15分ぐらい待ちました。
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内容は・・・8割消失したワルシャワの街を上空から眺めるだけで、ちょっと期待ハズレって感じでしたw
待って見るほどでもないですww

蜂起の時に使ってた武器の展示もありました。
実際に触れられます。めっちゃちゃっちかったw
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蜂起が長引けば長引くほど、食料などがなくなっていき、市民の生活も大変だったようです。
井戸まで水を汲みに行くのも、ナチスの攻撃に狙われたりして命がけだったようです。
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米・英国が、ワルシャワ市民の蜂起を助けるために、空からパラシュートをつけて物資を落下させるということもしたそうです。が、3/4は、ワルシャワ市民のもとにちゃんと落ちなかったとか。
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ソ連軍なんて、パラシュートもつけずに落としたもんだから、落ちたときの衝撃で物資のほとんどが壊れたそうです。

ここの博物館では、ソ連軍は、自分たちの安全と優位のために何もしてくれなかった・・・と、だいぶ反ソ連気味ですw

ぐっちゃぐちゃにされた建物を再現したミニチュアとか・・・
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何の罪もない市民たちが死んで、その死亡証明書が展示されているブースも、雰囲気があってすごかったです。
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病院も、ナチス軍があえて攻撃したそうです。
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ポーランド人は全員殺せ、というのがナチスのモットーだったとか・・・
ほんま、人間ってそんな究極までできるのね・・・という感じ。

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ワルシャワの人たちは、地下をはっている下水道を使ってナチス軍に攻撃したり、物資を運んでいたようです。
それを模した通路。
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戦時中も、ラジオ、郵便などは絶やさずにいたようです。
このポスト
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横をみると弾丸の跡が痛々しいです。
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郵便局員も、命がけで郵便物を送ってました。
17歳という若さで亡くなった郵便局員もいたそうです。

そしてこれはそのころの子供の日記。
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ナチスの残忍さは絶対に許さない、と書かれているそうです。

最後の方の展示は、そのころの世界の様子などもありました。
ドイツに内緒で、1943年にすでに会談していた、米・英・ソの首脳。
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蜂起が終わった後は、戦場となっているワルシャワの市民は、ポーランドの様々な場所に強制移住させられ、市民の2割ほどしかワルシャワに残らなかったそうです。
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移住後の生活もとっても大変だった様子。
今年のクリスマスイブは祝うことすら許されないほどだったみたいです。
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しかしそんな中、さらにユダヤ人という不利な立場にもかかわらずワルシャワに残ったこの人。
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この人が、「戦場のピアニスト」のモデルになった人らしいですよ!!
うぉー、また見ないとねー!!

ここの博物館、日本語ガイド込みで回ったら、4時間ぐらいかかったー!!
だいぶお腹いっぱいになりました。
ナチス系の博物館、もういいかな・・・

でも、ポーランドの博物館、展示の仕方とか凝っててすごくおもしろい!!”伝えよう”っていう意思が伝わります。
日本もこんな感じでおもしろい博物館いっぱい作って、入りやすい環境にしたらいいのになぁ・・・

宿に帰ったら、白菜と豚肉を使って、お鍋!!
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これが、ホンマ美味しすぎたー!!!

そして・・・ウクライナで買った、唐辛子ウォッカ!!これが大ヒット!!!辛いからすっごく体があったまった〜♪
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もっと買っときゃよかったな。

さてワルシャワの観光はもうおしまい。
とにかくリアルに真冬か!ってぐらい寒くなってきたヨーロッパ。
早く南へ・・・と、その前にドイツビールとドイツソーセージ堪能しましょかw

次回は足早にベルリンへ移動です。

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キエフにある大祖国博物館に行ってきたー〜キエフの学生との出会い〜

はろー!つばさです。
今回はキエフの大祖国博物館に行った時のことを書きます!
大祖国博物館はウクライナが経験した目線から、第二次世界大戦を表現した博物館です。
展示の説明がほとんどウクライナ語かロシア語だったので、詳しくは内容がわからないんですが、今までに他の博物館や文献で見た内容から想像しながら理解したので、なかなか難しかったです。

いろんな博物館の展示物の説明を日本語で聞けるサービスとかあればいいのに・・・笑

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僕らが泊まっている宿から博物館に向かうには、バスを使うのが1番楽だったので、バス停に向かいました。

向かう途中にあった教会
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中もめちゃくちゃ綺麗だった
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バス停でバスを待っていると、幼い子供たちが軍服を着ているバスが目の前を走ってきた。
あんな小さな子供まで戦争に参加する可能性があるのか?と思うと悲しくなる。
アジア人が珍しいのか好奇の目を僕たちに向けていたので、子供たちに手を振ったら、無邪気に手を振り返してくれました。
あんな子供たちまで・・・という思いが強くなりました。

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これをきっかけにウクライナの軍の制度について調べてみたんですが、ウクライナは2013年まで徴兵制を行っていたのですが、情勢が平和になってきたので廃止したようです。
が、ロシアのクリミア半島への侵攻をきっかけに徴兵制を再開。その影響が僕たちの目の前を通った子供たちのようです。
せっかく徴兵制撤廃までいったのに・・・子供のために徴兵制撤廃に向かって活動した人の気持ちを考えると苦しくなります。
参照記事→Wikipedia

子供たちのバスが行ってから少しすると、僕らが乗る予定の24番のバスがやってきました。

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バスに揺られること20分ほどで大祖国博物館のある場所に到着しました。
ここにはいろんな教会が隣接されていました。

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教会を横眼に博物館の方へ向かって行くと、目の前に戦車が現れました。

戦車は完全に子供のおもちゃになっていた
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あゆみはトラックと記念撮影
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ベトナムの博物館で見た大砲を発見
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ウクライナもベトナムもソ連が味方していたので、武器が同じなのかもしれません。
大砲や戦車を見ながら歩いていくと、大きな像があって、そこが博物館のようでした。

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目印のめっちゃ大きい像
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博物館の前には第二次世界大戦を戦った兵隊さん(たぶん)の像がありました。

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博物館の前にも戦車が置かれていて、そこもしっかり子供たちの遊び場になっていました。

ウクライナの国旗の色をした戦車
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国旗の色の戦車が珍しかったので、乗って撮影しましたー

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あゆみは乗ろうとして滑り、諦めていました。笑
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さぁいよいよ博物館の中に向かいます。
入場料は学生証を使って5フリブナー(30円くらい)でした。安い!!
入ってすぐのとこには、戦争中に使われていた服が置かれていました。

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展示室を見ていくと、まず最初に第二次世界大戦のきっかけとなったナチスドイツのポーランド侵略が表現されていました。

ヒトラーの写真
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ヒムラーの写真
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おそらくヨーロッパを侵略するドイツを表したもの
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戦争で亡くなった人の写真
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戦争を戦っているところの壁画
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展示室を進んでいくと、アウシュヴィツ強制収容所の部屋がありました。
ウクライナのユダヤ人も収容されていたので、どこに行ったのかを表現したものでした。

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ユダヤ人のマーク
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アウシュヴィツ強制収容所にはもう行っていたので、その時のことを改めて思い出す機会になりました。
ちなみにアウシュヴィツ強制収容所に行った時の記事はこちら↓
アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきた〜ナチスドイツが残したポーランドの負の遺産をこの目に〜【前編】
アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきた〜ナチスドイツが残したポーランドの負の遺産をこの目に〜【後編】

その後の展示では、ソ連と共同戦線を組んでナチスに立ち向かい打ち勝ったことや、戦争中に物資をどのように戦場に送っていたかなどが表現されていました。

こんな子供も武器を持っている
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寝袋とパラシュートを使って支援物資を送っていたよう
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2階にも展示があって、そこにはナチスの旗や戦争を戦った時の壁がが置かれていました。

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銃で作られた十字架
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この博物館は・・・というより僕らが海外で見た歴史博物館は展示方法に工夫をしているところがとても多く、文章を読まないでも伝わってくるものが、その場の空気感の中にあります。
戦争の悲惨さを後世に伝えようとする姿勢がとても良いなと思いました。

戦争を戦った人の写真の展示方法
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アウシュヴィツの部屋には有刺鉄線が
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僕たちは大祖国博物館に、ウクライナから見た第二次世界大戦を見ようという目的で行ってきたのですが、実際に行ってみるとその目的以上に僕らを驚かせる展示がされていました。
それは特別展示物として置かれていた、クリミア半島での戦争を撮影した写真です。
2014年、2015年と年号が書かれているその写真には信じられない光景が描かれていました。
展示物の中から抜粋してここにアップします。

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戦争で戦っているところだけではなくこんな写真もありました。

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愛する人を戦場に送り出す女性。
戦場でペットボトルを持った子供。

この写真が2014~2015年に撮られたものだということが、僕たちにとって遠いものだと思っていた戦争をとても身近のものに感じさせ、今までとは少し違う感情を『戦争を二度と引き起こしてはいけない』という言葉に乗せることができるようにさせました。

僕たちがこの博物館を見学していた時に、地元の学生が社会科見学で博物館に来ていました。
この子たちも徴兵制によって訓練され、兵士として戦場に行く可能性があるんだ・・・と思うとなんとも言えない気持ちになります。
それに、生徒全員ではありませんが、展示物を見る子供の目や話を真剣に聞こうとする姿には必死さを感じました。

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僕たちが日本語で書かれた展示物を見ている時に、ある学生が『この展示物に何が書いているかわかりますか?』と質問してきました。

そこに描かれてた言葉はおよそこんな感じでした。

皇国万歳
至誠
会敵必殺


七世奉国

この言葉にはいろんな意味が込められているので、英語で伝えるのがとても難しかったのですが、2つ程伝えることができました。

そうすると、学生が『あなたは中国人ですか?』と聞いてきたので日本人であることを伝えると、急に大喜びしだし、『私日本のことが大好きです』と言ってきました。
そして、博物館を出たら一緒に写真を撮ってくださいと言ってきました。
僕らはもちろんOKして写真を撮りました。その時の写真がこれです。

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一緒に撮影したダナーやマキシムは日本がとても好きで、scandalという歌手が大好きらしいです。
すごくいい顔で、僕たちは将来絶対日本に行きたいと思っているんだと言ってくれました。

後日face bookを通して写真を交換すると、こんな風に編集して再度送り返してくれました。

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現在の日本が多くの国から好かれる国であることと、その大きなきっかけとなっている漫画文化・音楽文化に感謝です。

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シンドラーのリストで有名なクラクフ・・・みたいですね

ここに来るまで「シンドラーのリスト」って映画を知りませんでした。あゆみです。
ほんで、クラクフを出る前日に思い切ってシンドラーのリストをオンデマンドで借りてみたんですが・・・めちゃめちゃ感動するやないかい!!
これを見てから、シンドラー社とかアウシュビッツとか行けばよかったわい!

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クラクフもついに三日目。
もっと安い宿を見つけて、しかもそこが歩いて5分ぐらいのところだったので思い切って宿替しました。
前の宿もよかったんだけど、同室のイギリス人たち(多分学生)が、毎日朝帰りで明け方結構やかましかったってのもあるしノリがちょっと合わなかったのでね・・・

次のホステルは「Hostel B Movie」オーナーが映画好きそうやなw
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壁には一面の国旗が!
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リビングスペースは、ビデオを模した壁紙。あと、めっちゃ居心地の良いソファー!!
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キッチンも結構綺麗。
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そして、この宿のすごいとこ・・・なんと朝食付きです!!
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これで1人19ズヴォティ(700円ちょっと)って安すぎやろ!!

この安さと、さっきの快適すぎるソファーのおかげで、ここで5泊もしてしまいました。当然シンドラーのリストもこのソファーで視聴会。

近くのパン屋さんで最近ハマってるチョコクロワッサンを購入。
これが・・・美味すぎた!!!
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甘党じゃない私も美味しくいただけました。ってか、最近甘党になりつつある気がします・・・wこっちのチョコクロワッサン美味しすぎるねんもん!!

そしてごってごてのトマトスパゲッティーを食べて、
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再び街散策へ。
今日は、ヴァヴェル大聖堂ってとこに行きました。
めっちゃ蔦に覆われてて・・・
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かつての甲子園球場を彷彿とさせます 笑

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上った先からの眺めはとても綺麗でした。
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大聖堂自体は、ヨーロピア〜んな感じでした。最近見慣れてきて感動がなくなってきてるなー、いかんねぇ・・・
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夜は、昨日買った魚の酢漬けが美味しかったので、違う種類のやつを買ってみました。
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色的には赤いから辛いのかなぁって思ったら・・・全然辛くない、むしろ脂っぽすぎ!!ってことでちょっと失敗でした。

そして、ポーランドに来てから猛烈にハマってるパプリカ。
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生で食べてもしゃっきしゃきでとっても美味しい!!

そして次の日。
シンドラーのリストで有名な、オスカー・シンドラーの工場へ。
今はここは、クラクフの歴史博物館になってて、第二次世界大戦時のクラクフの歴史(主にナチスとユダヤ人)について学べる場所なのです。

途中、「EDO」っていう日本料理屋さんがあったんだけど、
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まさかの「ラーメンバーガー」!!日本人には思いつかない自由な発想(笑)

アウシュビッツの文字が浮き出るトンネルがあったり
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ユダヤ人をアウシュビッツに運んだ列車を妄想させるような、草が生えて使ってない線路がありました・・・
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月曜日に行ったから、入場料は無料!!ラッキー!
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中に入ると、1938年のクラクフの様子からスタートしました。
内装とか展示の仕方がめっちゃ凝ってて、
クラクフの街並みと、ナチスによって支配されているクラクフの街の写真がこの覗き口から見れるようになってたりしました。
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次のブースでは35分のムービーが流れてて、このシンドラー社で勤めてたポーランド人の実際のお話を聞けました。
ポーランド語で英語字幕だったから追ってくのが必死だったんだけど・・・

ナチスが来て、昼ごはんがどんどん質素になっていって、追加で食べるために給料と同等の金額を払わないといけなくなった

とか、

休みなく朝の7時から夜の6時まで働かされた

とか、

ゲシュタポ(警察官)がユダヤ人の社員の名前を全員呼んで、何かと思ったら、次の日会社に行ったら誰もいなくなってた

とか、

まぁ、ひどい話ですよね。こんな非人道的なことがたった70年前に起こってたわけですからね。
しかも、クラクフってほんま初期の段階でナチスに支配され、近くにアウシュビッツ収容所も作られ、だいぶ辛い時期が長かったんだと思います。

戦車の模型とともにポーランドがナチスに支配されていく様子の展示がありました。
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そして・・・ナチスに支配されてからの様子の展示の仕方はすごく印象的でした。
この暖簾の先は。。。
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他にも昔の電車を模した休憩スペースとか
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ユダヤ人が実際に腕に強制的に着けさせられてた「ダビデの星」の腕章。
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実際にユダヤ人が送った手紙とか
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証言とか
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どれを見てももう悲しさしか伝わってきません。
食べるものがなくてやせ細った子どもたちなんて、特に見るに耐えませんでした。

ここシンドラー社で作ってたお鍋の展示の仕方も強烈だった・・・
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そしてこれがまた強烈!!
ユダヤ人たちが実際に過ごしていたところを模した展示。
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ホンマ凄かった!!恐ろしさが伝わってきました。

この日はこの博物館だけでだいぶ疲れてしまい、帰ってきてからはずーっとだらり。
ご飯はトマト鍋を作りました。
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美味〜♪

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さて、クラクフの歴史も学んで、いよいよアウシュビッツ収容所です。
絶対に怖さ・悲しさしかない負の遺跡に行くのはなかなか辛いものがありますが、勉強してきます!!

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ホーチミンにある戦争証跡博物館へ行ってきた。

シンチャオ!!つばさです!!
2日間の夜行バスを乗り越えて、ホーチミンに到着♪

シンカフェのバスは空いている時期なら1番後ろがかなり良いことが判明しました!
5席が連なっている席があって、空いてたら全部仕えちゃいます♪

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運が良ければこんな感じで横向きに寝れちゃいます♪
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ベトナム縦断最後の都市に到着です♪

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ホーチミンではカウチサーフィンを使おう♪と僕達の中で決めてて、2人のホストが泊めてくれることになりました♪
今日は1人目サムエルの家へ向かいます!

サムエルに教えてもらったローカルバスのバス停へ移動♪

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88番のバス停へ向かいます♪英語で数字を言って伝わらない時は、電卓に打つとスムーズに伝わることがわかりました♪
ちなみに、バスチケットはこんな感じ!

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そして、43番のバスに乗り換え!

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バスの切符売りに『ミンマンホテル』に行きたいって言ったんですが・・・伝わらずw

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近くにいたお姉さんが『連れてってあげるよ!!』と男前発言♪

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優しいお姉さんのおかげで、サムエルとの合流場所んび到着しました♪
サムエルの家はめっちゃでかい!!そして、部屋がとても綺麗です♪

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昨日の夜から何も食べてなくて、空腹の僕らをサムエルがローカルフードマーケットへ♪

激ウマの麺
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アイスコーヒー
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ここで、サムエルの家に昨日から泊まっているセルと合流♪

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セルはロシア人で大のバスケット好き♪ソチオリンピックの時にトンネルを作るエンジニアをしてて、ソチに行く為のトンネルは僕が作ったと言ってました!
現在は退職して、アジアを中心にグルグル旅をしているようです♪
セルの旅スタイルはヒッチハイク&カウチサーフィンです♪凄いなーと思いつつ、僕らもヒッチハイク試してみようか検討中ですw

今日は、セルもホーチミン市内に行くということなので3人で観光してきました♪
まず、さっきのバスでホーチミン市内へ移動♪
ホーチミンはバイクの数が凄いです。

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いろんなツアー会社に聞いたんですが、クチトンネルツアー(ベトナム戦争時にベトナム軍が使っていたトンネル)は安くて9万ドンくらい掛かって、しかも入場料(3$)は自己負担。

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なので、僕らはローカルバスで行くことを考えてます♪
サムエルに『クチトンネル』に行くローカルバスのバス停を聞いていたので移動!

セルと英語で話しながら移動・・・英語難しい
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で、料金を聞いた所このローカルバスは1人7000ドンで行けちゃうみたいです♪
かなりお得だったので、ローカルバスで行くことを決定!!
天気予報を見て天気がいい日に行ってきます♪

それから、近くにあった教会へ♪観光スタートです!

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セルフィーが大活躍です♪
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キリストが磔られているとこの前に線香・・・これが和洋折衷でしょうかw
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教会を見たあと公園を通って、戦争証跡博物館へ

公園で学生のような子達がなんかやってたw
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カメラを構えるとみんな笑顔でピース♪前に出てきた男の子が邪魔してますw
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戦争証跡博物館に着いたのですが、お昼休みみたいで入れず・・・近くの観光スポットへ行くことにしました!

統一会堂の庭にあった戦車を見てセルが『あれはロシア製の戦車だ!』って言ってた。
日本人が零戦を見て『あっ!?』って思うようにロシア人もそう感じるんだ!と思った。

統一会堂にあった戦車
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それから、聖マリア教会へ移動!

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セルに2人の写真を撮ってもらいました♪
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セルとの3ショット♪
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マリア様の写真
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僕が写真撮影をしている間にセルとあゆみが2人で遠くへ

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かなり置いてかれましたw
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それから、セルが『郵便局に行きたい』と言っていたので、隣の中央郵便局へ
僕らは郵便局に入る前に、地元の学生のアンケートに捕まりましたw

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英語がわからない僕達にいろいろ別の言い方で教えてくれました♪
そして、書き終わった後にセルフィーw

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アンケートを通して、地元の学生と交流するのも新鮮で楽しかった♪
それから郵便局の中へ♪めっちゃ綺麗!!そして、ホーチミンさんが愛されていることがわかりました!

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郵便局の隣にあるモニュメントを発見!

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すぐに同じポーズw

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こうやって遊んでると戦争証跡博物館に入れる時間になってきたので、移動♪

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チケットは1人1.5万ドンでした!!安い!!

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博物館の周りには当時使われていた、アメリカ産の飛行機や戦車が

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博物館に入る前にセルフィーw

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博物館に入るまではかなりのハイテンションだったんですが、中で見たベトナム戦争当時の写真や、枯れ葉剤の影響を見ると、凄く切ない気持ちになりました。

ベトナムに着いてから僕らがベトナム戦争に関する博物館に来るのは、今回が3度目です。
1度目はハノイで、2度目はフエで。ちなみにその時のブログはコチラ↓
ベトナム歴史博物館はベトナム史の宝箱だった
南北ベトナムの境界線に行ってきた

ある程度歴史の流れも、その当時の写真も見てきてて。
その当時に、市民が暮らしていたトンネルにも行ってきて。
ベトナム戦争についてわかった気でいたけど、実際の被害を考えた時に、この博物館程、戦争の被害が生々しく伝わる写真を多く掲載している場所はなかったように思う。

この戦争が後世にどれだけの精神的・肉体的影響を与えてきたのか?が明確に感じられた。

まずは、ベトナム戦争時の様子についての写真。

アメリカ兵が急に家にやってきて怯えるベトナム人の写真
アメリカ兵がやってきて恐れる親子

爆撃で殺したベトナム人を持つアメリカ兵士
死体を持つアメリカ兵

当時使っていた銃と、その銃を使ってベトナム軍の兵士を殺している様子
銃とアメリカ兵乱暴

前日まで夫婦で一緒に屋台をやっていたのに、進撃してきたアメリカ兵に妻を殺された男性(妻は男性の前で横たわっている)
s妻を殺された

アメリカ兵士から逃げるベトナムの子ども達
逃げる子ども

アメリカ撤退後、ベトナム人同士が争い合う様子を捉えた写真
sベトナム対ベトナム

最後にこの写真が僕にとってとても心に残った。。。

戦争を知ってしまった子ども大人になると忘れてる

この写真の下にはこのように書かれていた。

『僕達は子どもの時に、子どもの立場で戦争の話をした』
『子どもの立場で戦争を理解した』
『子どもの立場で戦争について考えた』
『でも、大人になった時、子どもの時の記憶をなくしてしまった』

ベトナム戦争が行われている時代の日本人の贈り物も飾ってあった。

アメリカはベトナムから手を引けと書かれたゼッケン
ゼッケン

金子徳好さんが8年間つけ続けたようで、『ゼッケン8年』という本になっている。
sゼッケン8年

アメリカが手強いベトナム軍に対して原子力爆弾の投入を検討していた時、投下に反対し阻止しようとする日本人のポスター
アメリカの原子力泊める

ベトナム人民は必ず勝つ!と書かれたポスター
ベトナム勝利

自衛隊に沖縄をアメリカから取り戻せ!と言っている写真
沖縄

日本の新聞会社の『赤旗新聞』
赤旗新聞

この当時の日本は、東京裁判史観によって変更された教育を受けた人より、大東亜戦争時代アメリカに勝とうとしていた人が多い時代で、発言の勇ましさに、僕は日本の力強さを感じた。

そして、米軍の枯れ葉剤散布による被害についての写真。
僕は子どもの頃、日本でベトちゃん・ドクちゃんのニュースを見たことがあって衝撃を覚えたのを今でも覚えている。

産まれた当初のベトちゃん・ドクちゃんの写真
sベトチャンドクちゃん

米軍の枯れ葉剤散布の写真
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枯れ葉剤の影響により人体に変化が生じた子
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sIMGP3963

12歳の時に枯れ葉剤を被ってしまった女性の子どもが奇形児に。
s枯れ葉剤浴びる12歳

何年経っても受け継がれる枯れ葉剤の影響
s枯れ葉剤浴びた母親の子

枯れ葉剤の影響により草木がなくなってしまった場所に立つ女性
s枯れ葉剤

枯れ葉剤によって、お腹の中でくっついたまま亡くなった子ども達
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枯れ葉剤の影響で腕を失った子が足で絵を描く様子
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枯れ葉剤の影響はベトナム人のみでなく、現地で散布したアメリカ人兵士や現地で戦っていた韓国人など多くの人間に拡がっていた。

戦場時から戻ったあと20種類の薬を服用しなければならなかった兵士
sアメリカ兵薬

この兵士の子どもにはベトナムで起きた枯れ葉剤が子どもに与える症状を発祥した。

腕を失った白人の子ども
s枯れ葉剤影響白人

枯れ葉剤の影響が出た様々な国の人
s韓国・アメリカ生涯

枯れ葉剤を使うことで、人体にどのような影響が出るかわかっていた。(実際アメリカの会社は影響が出ることを認め、アメリカ人には補償を与えている)
それなのに、兵器として実験感覚で使ってしまったことが大きな罪だと思う。
戦争は、確か国際法とかで市民への攻撃は禁止にされていたはずなのに、多くの市民を殺す兵器を使っている。
兵器を使って、多くの市民を虐殺し、生活を打ち壊し、多くの悲しみを生み出し、後世に影響を与える損害を引き起こした。

僕はこの博物館に来て、2つのことを考えた。

1つ目は、障害を持つ人へ『可哀想』という感情を持つことに関して。
枯れ葉剤によって障害を持って産まれた子どもの写真や大人の写真をたくさん見た。
1枚1枚に対して、何度も何度も『可哀想だ』という感情が心の中で産まれた。
でも、この障害を持った人を『可哀想』と思うことは、その人がこれまで生きてきた人生やこれからの人生に、哀れみの目を向け否定してしまっているのでは?と考えるようになった。
どんな状態からでも、人生を楽しむ方法はあって、恐らく楽しむ為に越えなければならないハードルが少し多いだけだと考えようと思った。

だから、可哀想だから支援したり、助けるのではなく、ハードルを乗り越えるのに自分の持っている物が役立てられるから手伝う。そんな気持ちで自分自身生きていきたいと思った。

2つ目は戦争に関して。
今まで戦争で亡くなった人写真などを見て、悲しい気持ちになったり、できることなら助けてやりたいと思っていたけど、この博物館にきて自分の考えはそうではないことに気がついた。
僕は戦争で戦って亡くなった人に関しては、あまり悲しい気持ちにはならない。
戦争を行うということは、そういうことで。
殺されるけど殺している。
拷問されるけど拷問している。
お互いの理念に沿ってしっかり戦っているから、その戦争でどうなってもそれはその人の選択によって産まれた結果なんだと思う。
でも、戦争に巻き込まれた一般市民、戦争の影響が将来まで拡がるような兵器の仕様。この2点に関してはどうしても許せないと思う。
街に対する空爆。村への奇襲による虐殺。勘違いによって射殺される人々。人体の構造にまで影響を与える兵器の使用。
全ての行動が『非人道的』行動だと思う。

戦っているはいえ、絶対に一般の人のは影響を与えないようにする配慮を持つべきだと思う。
過去の経験を変えることはできないから、これから最悪のケース(戦争が起こる)を考えた上で、一般人を巻き込まない方法や、人体の構造にまで影響を与える兵器(枯れ葉剤・原子力爆弾など)を使用するルールをしっかりと定めるべきだと思う。

即興の案としては、

・攻撃してはいけない場所を戦線布告の際に作る
・インターネットの機能を使って戦時中は市民がどこにいるかわかるようにする
・上記のスペースや情報を使った戦略の組み立ては禁止する

など、一定のルールを盛り込んだ新たな戦時法を生み出すべきだと思う。

最後にいろんな考えを産んだり、過去の経験をしっかり振り返られる現状を作ってくれた人に感謝したいと思う。
今まではあまり気づかなかったけど、写真を撮るということは、現場に行って従軍カメラマンとして危険を顧みず、撮影を行った多くの人たちがいたわけだ。

写真を提供したカメラマンの写真
s写真家

今までは誰が撮影したのかわからないままだったので、気づかなかったがこの写真の裏側には、多くの人が命を掛けて仕事をしていた。
中には亡くなってしまった人もいるだろうし、この体験がトラウマになってしまうこともあるだろうと思う。
この人たちの努力が、現在を生きる僕達が過去を振り返り、過去の体験をこの目に焼き付ける機会を与えてくれていることに感謝です。

ホーチミン1日目は本当に濃い1日になりました。

本日もご愛読ありがとうございました。
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ハノイの歴史博物館へ行ってきた。

こんばんわ!つばさです。
今日はめちゃくちゃ濃い1日でした!!
かなりハノイを満喫してます♪

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今日は朝からカンさんと青空美容室♪(って言ってもバリカンで刈るだけですがw)
朝準備が完了したらカンさんが僕らの部屋に来てくれて、『はい!これプレゼント!』とレザーで作ったアクセサリーをくれました♪

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可愛いアクセサリーでめっちゃ嬉しくてすぐにいつも使っているカバンに装着♪
カンさん本当にありがとうございます!!

そして、ホテルの前で青空美容室♪

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まずは、カンさんが僕の頭を刈り上げます!

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完成ドン!!

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次は僕がカンさんの頭を刈り上げます♪

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完成ドーーン!!

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ちょっと刈り上げただけなので2人で10分くらいで終わったんですが、観光客に写真を撮られたり♪道行く人がこっちをチラチラ見てたり♪路上で何かをするの良いなぁ〜とか思いました。

それから、カンさんと一旦別れて僕らの今日の目的【ベトナム歴史博物館】へ!!
博物館へ向かう途中で小腹が空いたのでバインミーを食べました♪

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ホアンキエム湖が途中にあるので、そこでも撮影♪

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すると、目の見えない人が笛を吹いてました。

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博物館に行く道中もかなり楽しんで♪

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本屋さんにコナンの漫画が♪日本の漫画文化の凄さを改めて実感。
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博物館の裏にあるオペラハウス10/10が建国60年の記念日なので祭りを開催するみたい。
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博物館に到着!!が、13:30まで閉まっているのでちょっと待機。

おじちゃんが博物館の時間を教えてくれました。(8:00〜12:00と13:30〜16:00)
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博物館のチケットを購入して、入場♪

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ちなみに、博物館のチケットを買うと歴史博物館と革命博物館のチケットがセットになっています。(1人4万ドン(200円くらい))
歴史博物館は1945年の大東亜戦争終了までの資料が置かれていて、歴史博物館は大東亜戦争から現代までの資料が置かれています。なので、2つの博物館に行くとベトナムの歴史がわかるようになっています。

この2つの博物館には非常に多くの資料が展示されていて、ベトナムの歴史を学ぶ最良の機会になるので、オススメです。

入ってすぐのフロアには古代のベトナムの資料が置かれていました♪

進化論を現す展示物
sIMGP1228

多くの展示物の説明文が、英語とベトナム語で書かれていたので、よくわからないと思っていたところに、日本語が聞こえてきて、宮城からベトナムに旅行に来ていて、日本語ガイドを付けていたので、その話を聞きながら進んでいきました♪
めっちゃラッキー♪

ガイドさんが、『ベトナムは中国と2000年間戦争をしてきた』と言っていて。
その時の資料を指差していた。

元がベトナムに攻め込んできた時はこの経路を通った
s元

陸路だと多くの山があって危険だから海路を通って攻め込んできたようです。この時ベトナム人は潮の満ち引きを利用して元軍と闘い勝利を収めたようです♪

ハロン湾で元軍と戦うベトナム人
sハロン湾元

この頃からゲリラ戦を行って戦っていたようで、ベトナム人の戦闘スタイルはこの勝利が成功体験となって生み出されたのかと感じました。

そして、リー王朝時代には明軍と闘い。

リー王朝が継続された期間
sリー王朝続く

明軍が攻め込んできたルート
s明

明軍との闘いの写真
sVS明

リー王朝の時代になって物々交換から紙幣を使うようになったようです。
昔は硬貨を使っていたが、今のベトナムは紙幣のみになっていて、理由は重いかららしいですw

sりー王朝お金

リー王朝の時の首都はハノイで、かなり長い時間ハノイがベトナムの首都だったようです。

リー王朝の後に、とても学問を大切にしている王朝が生まれて、この時に一昨日行った文廟が出来たようです。
s学問を大切にした王朝

文廟にもあったんですが、この写真の鶴と亀には意味があるみたいで、『鶴は千年、亀は万年』という言葉から国を永久に繁栄させていく人材になって欲しいという想いが込められているようです。
この鶴と亀の像は多くの学校に置かれていたようです。

s鶴は1000年

その後1800年代にハノイからフエへ首都を変更して、新しい王朝が生まれます。
が、時代が進み大航海時代に入り、フランスがベトナムを植民地化するようになりました。
フランスはベトナムの王族を変えることなく、裏で支配するという仕組みでベトナムを植民地化していたようです。(イギリスが香港を支配していた時のよう)

フランスが植民地化していた時の王朝
sフランス占領

1800年代の時点でベトナムは下記写真のような武器を持っていて、この当時、江戸時代だった日本がもしベトナムと戦っていたら負けていたんだろうな〜と感じました。
s1800年代に使ってた武器

ベトナムがフランスに支配されてから紙幣にも変化がでてきて、紙幣の肖像が西洋人に変わってました。
s紙幣も西洋か

ここからベトナムに革命を起こしたホーチミンが登場します。

1920年にホーチミンはフランスやロシアに行って革命学を学んでいます。フランスよりもロシアの方側の革命学に傾倒し、共産党よりの考え方を得てきました。
ホーチミンは凄く頭が良くて、8カ国語を話せたようです。
そんなホーチミンが1930年ロシアから香港を経由してベトナムに帰って来て、ベトナムの独立運動を開始しました。

1930年から始まったホーチミンの革命運動
sホーチミン革命

多くの若者を煽動して精力的に活動を行ったようです。そして、1945年9月2日に独立宣言を行いました。

s独立

s独立宣言9・2

大東亜戦争(第二次世界大戦)が終了してすぐにベトナムは独立宣言を行いました。大東亜戦争中の日本に関して書かれていたことは、日本が戦っているこのチャンスにフランスを倒そう!!ということだけでした。
大東亜戦争を通じてアジアのいろんな国を侵略したと日本では教えられているのに、そんなことがこの博物館では一切書かれていなかったのに驚きました。

ホーチミンを中心とした革命軍の写真
sホーチミン達

独立宣言後も1954年にパリで行われたジュネーブ協定が結ばれるまでベトナムはフランスと戦い続けました。

ジュネーブ協定写真
s1954ジュネーブ協定

反フランスの教育を行っている様子
s反フランス教育

フランスの要塞をゲリラ攻撃している様子
sフランスの要塞陥落→ジュネーブ

しかし、ジュネーブ協定で決められたことは北緯17度線でベトナムを南北に分割することで、ホーチミンがいる北ベトナムがベトナム民主主義共和国。南ベトナムはベトナム共和国となりました。

1954年の2年後南北のベトナムを統一する動きをおこすが、南ベトナムが反対し達成ならず。
北ベトナムは共産党の流れがあるので、(ホーチミンがその勉強を行ったから)ロシアと中国が味方をしていて、この時冷戦中だったので、アメリカが、『共産党の国を増やさない!』『ロシアとの代理戦争』の考えの下、南ベトナムを支援し始めました。

ロシアと中国がベトナム民主主義共和国の存在を認めた文書
s中国とロシアが北ベトナムを認めた

北ベトナムの様子(ホーチミンが演説を行っている)
s北はホーチミン

南ベトナムの様子(アメリカ人が壇上にいる)
s南はアメリカ

美術館の中では道を挟んで南北の情報がわかれていた
s北と南に別れてる

南ベトナムをアメリカが支援することに反対するカンボジアや日本が非難の文章を書いている写真が展示されていました。

カンボジア人がアメリカ反対を掲げている
sカンボジアでもアメリカに反対

日本からベトナムへ送られた旗
s日本人からのメッセージ

この頃の日本は大東亜戦争で負けて、戦後20年くらいの時期で、ベトナムに送った旗にはこう書かれてある。
『南ベトナム人民の愛国正義の解放闘争を支持!共同の敵アメリカ帝国主義と戦う日本・ベトナム両国人民の戦闘的連帯万歳!』
一部の日本人が送ったものかもしれないが、日本が戦後アメリカをどう見ていたかはっきとわかる資料だと思う。

ベトナム国内でも国民の声が上がってきて、南ベトナム政府に反対して武力解放運動が始まった。北ベトナムはこの運動を支援する。

解放軍の写真
s南ベトナム内での解放運動

解放軍の活動が活発化したこと、トンキン湾でアメリカの軍艦が北ベトナムから攻撃を受けたこと(事実かは不明)を期に1965年からアメリカ軍による空爆を開始

アメリカ軍の空爆による被害の写真
s被害アメリカ

死んでいるベトナム人の近くで笑っているアメリカ軍兵士
s笑うアメリカ人

この空爆の時に、カンボジア人のゲリラ戦線に苦戦していたアメリカは枯れ葉剤を散布し始め、その影響で奇形児など後に広がる大きな影響を生んだ。

強力なベトナム軍と周りの国からアメリカへの非難のいよって1969年にからアメリカ軍は撤退を始め、1973年にパリで和平協定が結ばれ完全撤退する。

パリで結ばれた和平協定の写真
20141009-095724-35844677.jpg

1973年にアメリカが撤退した後も、ベトナム国内では争いが続いていて、1975年に一斉攻撃を仕掛けてベトナム戦争が終結。

撤退していくアメリカ軍
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現在のベトナム国家が誕生
s現在のベトナム誕生

1969年にホーチミンは亡くなってしまったので、革命後の平和な世の中を見ることが出来なかった。
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その後のベトナムは南部と北部の文化の違いから大きな飢饉に見舞われたり、ポルポト政権下のカンボジアに侵攻(1978年)によって国際的に孤立するが、『ドイ(変える)モイ(新しい)』という経済政策を樹立し1990年以降に経済発展を遂げた。
1995年にアメリカとの国交も正常化しASEANに加入。
過去の戦争の歴史をしっかり表現する文化を形成して、過去の社会体制を批判し新しいあり方を考える等、過去から学ぶ姿勢を作り上げ、現在に至る。

今回ベトナムの歴史博物館に行って、ベトナムから日本がどのように見られているのか、戦後の日本がアメリカをどう見ていたのか、また、アメリカやフランスなどベトナムに干渉した国がどのような影響を与えたのかを理解することができた。
多くの国が現在の立ち位置にあるのは、それまでの歴史の積み重ねによって作られていて。国家間の交流もこの歴史的事実から形成されているので、ベトナムから見た歴史を見ることができたのが嬉しいし楽しかった。

博物館に行ったあとに、飲んでいると以前一緒に飲んだベトナム人のトゥアンさんと再会。
トゥアンさんの友達も途中参加でいろんな話をした中で、トゥアンさんのお母さんが警察官でアメリカの軍人と一緒に写真を撮っていた話を聞いたり。
トゥアンさんの友達が『阿部(内閣総理大臣)大好き』とか『日本とアメリカとベトナムとフィリピンは仲間!中国は敵!』って言ってたのを聞いて、現地の人と仲良くなることでもっともっと多くのことを知れるなと思った。
(詳しい記事はあゆみが書きます)

世界を回りながら歴史を学んでいくことが、めっちゃ楽しいと思った体験でした♪

本日もご愛読ありがとうございました。
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