オラ!つばさです!!
現在パラグアイのイグアス日本人居住区にあるペンション園田にいます♪
ペンション園田はキッチンも洗濯スペースもあるからかなり快適です♪
そして何よりもこの場所に住んでいる人たちが優しくて・・・かなりこの場所が好きになっています♪
今日は、イグアス日本人居住区にある銀行や博物館や農協に行ってきたことについて書きます。
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朝こんな感じの綺麗な空を見ながら銀行へ。
地図で見ると結構近いのに、歩いてみるとかなり遠い・・・コロニアオキナワでも思ったけど、地図の1区画がかなり大きくて驚きです!!(コロニアオキナワの記事はコチラ)
15分くらい歩いて銀行に到着♪ここで驚きの出来事と遭遇しました。。。
クレジットカードでお金が引き出せない事を頑張って銀行のスタッフさんに伝えようと、スペイン語で話していると、
『あっ!?日本語話せるので日本語でいいですよ』
えーーー!!顔は完全に西洋系なのにかなりスムーズに日本語が話せるので、驚きました。。
ATMで一緒に画面を見てくれて教えてくれてかなり助かりました♪
協力してもらったおかげで、僕らがエラー表示だと思っていた画面がそうでない事がわかり、次の画面に進めたので、『ありがとう』と言ってお金を出そうとすると最後にまたよく分からない画面が・・・『これは何だ?』と悩んでいると、さっきのお姉さんがまたやってきて『大丈夫ですか?』と声をかけてくれました。
なんて優しいんだ〜♪♪
最後の画面の意味も教えてもらって、何とか出金完了♪♪
ATMからは20$札しか出てこないんですが、窓口に行くと100$札に替えてくれるので、アルゼンチンの闇両替に向けて100$札に変更してもらいました♪
金融機関で日本語を聞くのははじめてだったので、かなり感動しました♪♪
それから、イグアス日本人居住区にある農協へ!!
『Coop』と書かれた表記に『ここは日本か??』と思わされました。
日本と違いは営業時間で、イグアス居住区のCopeにはシエスタというお休みがあって、11:30〜14:00はほとんどの施設が休みです。この羨ましい休み制度の時間に僕達はCoopに行ってしまったみたいなので、改めて訪問する事にしました。
農協の通りを見てみると、また日本を感じさせるものが見つかりました!!
そう!!鳥居です。
公園の中に皇太子様が訪問時の記念碑や開拓時の様子が表された絵がありました。
その後日本人館に行くも、シエスタ中でした。。。
日本人会館の近くに日本語学校があったので、周りを歩いてみました♪
あとで聞いた話ですが、日本語学校はもともと日本人の旅人をアポなしでも快く受け入れてくれていたのですが、ある日に来た日本人の旅人が授業見学中、子どもが起立して国歌を歌っている時に起立もせず・帽子も取らずにずっと座っていたことをきっかけに、簡単に受け入れない方針に変えたようです。
現在は、校長先生に連絡をしてアポイントを取ってからでないと学校に入ることはできません。
授業見学をさせてもらっているのに帽子も取らず、学校側に不快に思われるような行動をするのは本当にやめてほしいと思いました。
僕らはペンション園田のお母さんにお願いして、校長先生にアポイントを取ってから明日訪問する予定です。
学校の周りを歩いていると、子どもが
『こんにちわ〜』
と声をかけてきました。
僕達も『こんにちわ〜』と挨拶をしてからいろいろ話をしてみました。
話をしたのは、現在日本語学校で6年生のS君で、かなり日本語がペラペラな野球少年でした。
S君に学校の話を聞くと、
日本語学校が始まるのは13:30からで17:00までのようで、午前中はスペイン語の学校に行っているようです。
日本語学校には多くのスペイン人も通っているようで、ほとんどの子どもが日本語を話せるようになっているようです。
S君の両親は日本人のようで、家では日本語で話をしていると言っていました。
S君はずっと野球をやってて、中学生になってからも野球を続けたいと言っていました。
S君と授業が始まるまでの時間に話せた事で、現地の方の事を知るきっかけになって嬉しかったです。
シエスタの終わりの時間を狙ってまた農協へ。
農協に行って嬉しかったのは、白菜と大根がおいてあったこと。今まで海外で1度も食べた事の無い大根と白菜が食べれる事に感謝です♪
農協での買い物を終えてから、日本人館で紹介してもらった『イグアス日本「匠」センター』へ
イグアス日本「匠」センターには多くの資料が飾ってある訳ではないが、多くの資料に実際に写っていた方達がいて、過去の話をたくさん聞かせてくれた。
この写真のこの人は私で、この人は〇〇さん家の〇〇さん何て会話が聞けました。
資料の紹介だけではなく、『若いときからべっぴんさんだ〜』とか『この時は可愛かったのにどうして今は不細工なんだ?』とか写真の中の世界を生きていた方達の会話を聞けるのはとても貴重な体験でした。
僕達に写真の紹介をしてくれたお母さんは15歳の時にパラグアイに来たようで、当時パラグアイに移住するのは嫌だったけど、両親がパラグアイに行きたかいと言っていて、お姉さんが喘息で日本にいたら治らないし死んでしまうと言われたので、移住して来たと言っていました。
その後お姉さんは無事復活して、現在も元気に過ごされているようです。綺麗な空気を吸った事で身体が直ったと言っていました。
その他、花嫁移住というブラジル人と写真交換だけで結婚する事を決めて、結婚する為に移住してた事などを聞きました。
資料館の奥には折り紙で作られた船や箱など多くの物が飾ってあって、おばあちゃん家でみた折り紙細工を思い出しました。
結局閉館時間までいて、最後は下記の写真左の飯田さんから多くの話を聞かせてもらいました。
飯田さんは35歳でパラグアイに来たようで、もともとはパソコンを使ったシステムをしていたのですが、『これからは食べ物を作れた方が良い』と考えて移住したようです。
生まれてすぐに大東亜戦争(第二次世界大戦)が始まったようで、空襲のしたで遊んでいたことやお兄さんが亡くなってしまったことなど多くのことを聞かせて頂きました。
パラグアイに入植してからは、購入した土地の木を切り倒して、燃やして作物が作れる状態に変えていったようです。
今から考えると、あの時に切り倒して燃やした木は木材としてかなりの価値があったな・・・と話されると同時に、入植した当初は住んでいる家の周りに野生のサルやトラがいたが現在いなくなってしまったので、大切な自然を破壊してしまったと仰っていました。
畑を整備する為に森に入った時に2mくらいの大蛇と会った話や、現在有機栽培で納豆用の大豆を作っている事、そして飯田さんが今取り組んでいる人生のテーマのお話など多くの話を聞かせて頂きました。
飯田さん貴重な時間をご一緒させて頂きありがとうございました。
飯田さんのお話を聞かせて頂いて、『自分で考えること』の大切さを改めて感じました。
今日は多くの貴重なお話を知聞けた1日でした♪
夜にはお昼に買った大根と白菜を使って鍋を作りました〜♪
最高に美味しかった♪
本日もご愛読ありがとうございました。
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つばさ&あゆみの新婚旅行日記