ハロー!つばさです。
韓国と朝鮮の軍事境界線(DMZ)ツアーのブログが長くなりすぎたので、前後半に分けることにしました。
まさかの前半は移動中バスの中での会話と、臨津閣(イムジンガク)公園を見ただけで終わってしまったんですが、いろんな貴重な話が聞けてめっちゃおもろかったです。
ちなみに前回の記事はこちら↓
韓国と北朝鮮の軍事境界線(DMZ)に行ってきた〜韓国と北朝鮮のリアルな関係が見れた〜前編
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DMZツアーの為に、パスポートを見せて入ってからすぐに、ガイドさんはこんなことを言いました。
『ここから見えるあの道はソウルにつながる道なんだけど、あの上のコンクリートの部分の中にはダイナマイトがたくさん入ってて、攻め込まれた時に、進軍させない用にしている。』
『ここら辺は全地帯に地雷が埋められていて、道を少し逸れると、地雷地帯なので絶対入ってはいけない。7月とかは雨がめっちゃ降るから地雷が雨で流れてきて、たまに踏んで怪我する韓国人がいる』
道路沿いには地雷危険のマークが
『この施設に地雷を発見する部隊の人がいて、600人ほどが所属している』
『この施設の先がケソン工業団地になっていて、工業団地が使われていた時はここから韓国人は工業団地に行っていた。』
進軍を防ぐ為のダイアマイトの壁や、地雷危険マークなど全く見たことはなかったので、かなり驚き、また停戦中ではなく休戦中なんだということを改めて実感しました。
そんな話を聞いていると、南侵第3トンネル&DMZ映像館に到着しました。
係員に確認したところ、第3トンネルの前に先に映像と資料館に行くことになったので、そっちに向かいました。
映像を見る時は、日本語が聞こえるヘッドフォンをつけることができたので、内容をしっかりと把握することができました。
映像ではこんなことが話されていました。
韓国と北朝鮮の軍事境界線は、世界で唯一の休戦地であるが、停戦中も北朝鮮は韓国侵略の為のトンネルを作っていた。
1974年11月17日
第1トンネルを発見
1975年3月24日
第2トンネルを発見
1978年10月17日
第三トンネルを発見
第3トンネルは、1時間に3万人の兵力と武器を動かせる程の大きさで、北朝鮮の侵略意欲の本気度が明らかになった。
1990年3月3日
第四トンネル
北朝鮮はこのようにトンネルを使ってソウルを強襲しようとしていた。
北朝鮮は10のトンネルを作っていると言われていて、まだ4つしか見つけられていないことのに危機感を感じている。
休戦中にも関わらず、北朝鮮は下はトンネル、地上、海上でも絶えず韓国への挑発を行なってる。
ただ、DMZ地域は休戦後ずっと人が全く入ってこない地域になっていたので、多くの野生動植物が生きていて、多くの生物研究者が研究を行いたいと言っているようです。
映像の最後の『統一時代の象徴としてのDMZ、2度と民族の痛みを繰り返さない』という一言と共に、朝鮮半島(北朝鮮部分は赤色、韓国部分は青色で配色されている)を青色で全て覆う(韓国が全てを統一する)映像が流れていて、やはり侵略することを考えているという事がはっきりわかった。
映像を見た後は、横の資料館に向かいました。
軍事境界線の模型を見て、今回回る場所やそれ以外の重要なポイントの説明を聞きました。
その後、北朝鮮軍がトンネルを掘っている時の方法やなぜトンネルを発見できたのか?という話を聞きました。
トンネルを掘っている時の様子はこんな感じだったようです。
北朝鮮が掘っているトンネルが見つかったのは、1972年キムブソンという北朝鮮軍の兵隊が韓国に亡命する為に移動してきました。
が、亡命中に国境にある地雷を踏んでしまい、韓国軍に保護されました。
この亡命した兵隊が実は北朝鮮が掘っているトンネルの測量を行っていて、測量した結果絶対に韓国に向けてトンネルを掘っているという事を伝えました。
朝鮮半島は、岩石半島なので、北朝鮮軍はスコップなどを使って穴を掘ることはできず、小さい穴を作りダイナマイトを入れ爆発させて穴を掘り進めていました。
なので、手のサイズ程の穴をたくさん堀り水を注ぎ込んで、その水が溜まらずに流れたり、爆発の勢いで吹き出したりするとその場所から地下にトンネルを掘り進めることで、北朝鮮が韓国侵略の為に掘ったトンネルを発見しました。
北朝鮮軍は韓国が穴を掘っている振動を察知し、韓国軍がトンネルを発見した時にはもういなかったようです。
20年程前に韓国と北朝鮮の国境調整されたので、現在の亡命者の大くは中国側の国境から行われているようです。
その後、韓国と北朝鮮軍が休戦協定を行った板門店(ハンモンテン)の模型を見て、その際にも貴重な話が紹介されました。
現在板門店に駐在している軍人は黒いサングラスをしています。
それは、北朝鮮の軍人に見ている(睨んでる)と思われたくないからです。
というのも、板門店に駐在していたアメリカの軍人に以前ある事件が起きたことがこのきっかけになっています。
その事件とは、アメリカの軍人が韓国側の木の葉っぱを切っている時に起こりました。
アメリカの兵隊が葉っぱを切ったことで北朝鮮の兵士が見えやすくなり、監視しようとしていると思ったのかその行為に怒った北朝鮮の兵隊がアメリカの兵隊を斧で殺しました。
この事件以降、無駄な争いを起こさないように、サングラスをつけるようになったようです。
資料館を見た後は、第3トンネルの方に向かいました。
第3トンネルは入り口部分は韓国軍がこのトンネルを発見した後、作ったもので奥に北朝鮮が掘ったトンネルがありました。
徒歩で行くパターンと、トロッコで行くパターンがあるんですが、僕らは歩いて向かいました。
徒歩の入り口はこんな感じ
トロッコはこんな感じでした。
トンネルの中はこんな感じです。
中は撮影禁止だったので写真はないですが、まず、韓国が後日掘った方のトンネルを300mくらい降って北朝鮮が作ったトンネルに到着します。
朝鮮人が作った方のトンネルはかなり低くて、ずっと中腰でかなり歩く時はしんどかったです。
このサイズ感を考えると、朝鮮人の身長は結構低いのかな?とも思いました。
このトンネルの奥にある部屋の先は北朝鮮で、奥に入って捕まると帰ってこれなくなる可能性があるとガイドのリーさんが言っていたのがめっちゃ印象的でした。
一番奥まで行くと2つ部屋があって、監視カメラでしっかりと警備されていました。
一番手前の壁の前で止まって、小窓から奥の部屋を見たんですが、なんというかめちゃくちゃ不気味な空気感が漂っていました。
また、北朝鮮が最後に設置しようとしたダイナマイトを入れる穴や、韓国がこのトンネルを発見する為に掘った穴もあって、すごく異様な実際に見ないとわからない空気感が漂っていました。
トンネルを歩いあとは、周りの施設を見る時間があったので見て回りました。
トンネル施設の横にあったお土産屋にあったシャツ
韓国の軍人さんの模型と一緒に写真を撮った
分断されたこと・これからの統一を願っていることを表している?モニュメント
DMZを表したモニュメントがあった場所
ここの周りですが、よく見るとこんな表記がありました。
地雷危険マーク
こんなに近くに地雷がある可能性があると言うのが、僕の中では非現実的な感じがありました。
第3トンネルのあとには、都羅(トラ)展望台に向かいました。
都羅(トラ)展望台からは、北朝鮮を遠目に見ることができて、天気がいい日には韓国と北朝鮮の旗や金日成の銅像、板門店、ケソン工業団地を見ることもできるようですが、僕らが行った時はあまり天気が悪かったので、景色はこんな感じでした。
望遠鏡があって、望遠鏡を使えばうっすらと韓国の旗と板門店を見ることができました。
トラサン展望台は30〜40年前は規制が厳しく、北朝鮮側の写真を撮ることはもちろん、見ることも禁止されていたんですが、現在はかなり緩和されていて、2年ほど前から写真に対してかなり緩くなったようです。
以前まで使われていた写真撮影する人用のラインも形骸化していた。
ここでも、ガイドのリーさんはいろんな話をしてくれました。
DMZの中に、韓国の旗と朝鮮の旗があって当初はの高さを競っていたようです。
韓国が高くすると、北朝鮮が張り合う、北朝鮮が高くすると韓国も・・・という感じだったらしいですが、結局韓国側が折れて、現在90mくらい、北朝鮮の国旗は104~105mで世界一高い国旗になっているようです。
北朝鮮側の山々にはGPS機能を撹乱させたり、ネットを妨害する電波を発信していたり、ソウルに向けてミサイルを発射できるようになっているようです。
実際に妨害電波を発信している場所に来ることがあるなんて・・・と思いました。
また、ここからケソン工業団地を見ることができて、ケソン工業団地のことを少し詳しく知ることができました。
ケソン工業団地とは、南北共同・統一を目的として作られた施設で、韓国の中小企業100社程が鍋や靴、生活用品(韓国に出荷)を作る為の工場を運営していたようです。
金大中が大統領の時に行ったサンシャインポリシー(北朝鮮に優しくする政策)の一環で行われ、向上の機材などはすべて韓国が準備し、労働者として働いている北朝鮮の労力にも給与を払っていました。
北朝鮮はアメリカと問題を起こしているが、ケソン工業団地での給与は米$で欲しいと韓国に言っていたようです。
ちなみに、2016年2月に韓国から得た米$が、北朝鮮のミサイル開発・核開発の製作資金になっている可能性や、金大中・盧武鉉政権後、サンシャインポリシーは全く意味のないものだったと言った李明博政権になり、北朝鮮政権への当たりが厳しくなったこともあって(1ヶ月1人125$で雇っていたが、北朝鮮から150$に上げてくれと言ったが拒否したなど(今までの政権下では受け入れていた))、ケソン工業団地の運営が終わりました。
『韓国はこの工場を作る為に結構お金をかけたのに、もう1年も機材を動かしていないので、すべてがダメになりかなり損をした。』とリーさんが言っていました。
リーさんの力で、めっちゃ白人系の観光客がいる中、日本語の動画を見ることができました。ほんまめっちゃいいガイドさん。
都羅(トラ)展望台の次は、このツアー最後の観光地、都羅(トラ)山駅に向かいました。
都羅(トラ)山駅は韓国人の寄付によって2002年にできました。
できた時には当時のアメリカ・韓国の大統領がきてサインをして行ったようです。
この都羅(トラ)山駅の2002年当初の構想はめちゃくちゃ面白かったです。
韓国・北朝鮮の関係がよければ2017年にはこの駅から北朝鮮のピョンヤンに行けるようにする予定だったようです。
そして、ピョンヤンから中国やロシア、ロシア(シベリア鉄道)を超えてヨーロッパまで行けるようにする構想でした。
日本から釜山に海底トンネルを通って行けるようになる予定なので、一度も空路を使うことなく日本からヨーロッパに向かうということも可能になる予定でしたが、関係悪化の為、現場実現は難しいです。
構想の路線
国際線になる予定だったので、イミグレーションがあった。
駅もめっちゃ綺麗で、使っていないのがもったいないくらいです。
ホームを見るとピョンヤンと書かれた標識があった
個人的にめっちゃおもしろいと思ったのは、この釜山からピョンヤンを超え、ロシアのシベリア鉄道につながる鉄道の基盤が日露戦争の時にロシアが資材の輸送で作り、戦後日本が経営権を得た満州鉄道がベースになっていたことです。
ずっともしかしたらそうかな?と思っていたことをリーさんに聞いたら、僕の認識が合っているということを知れてなんか嬉しかったです。
こんな感じで、日本語で書かれたパンフレットや日本語のヘッドホンをつけて受けるツアーとは違い、質問すれば答えが返ってくる、日本語でのツアーに参加したことで、本当に多くのことを知れたのは本当に貴重だなーと思いました。
これで、今の日本語のレベルに英語レベルも上げれれば、どれほど世界観が広がるのだろうか?と考えると、これからのフィリピン留学を含めた英語学習がより一層楽しみになります。
本当に貴重な体験をさせてもらったツアーでした。
これで2人で9000円くらいだったので本当に安い!と思いました。
本日もご愛読ありがとうございました。
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