シンチャオ!!つばさです!!
2日間の夜行バスを乗り越えて、ホーチミンに到着♪
シンカフェのバスは空いている時期なら1番後ろがかなり良いことが判明しました!
5席が連なっている席があって、空いてたら全部仕えちゃいます♪
ベトナム縦断最後の都市に到着です♪
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ホーチミンではカウチサーフィンを使おう♪と僕達の中で決めてて、2人のホストが泊めてくれることになりました♪
今日は1人目サムエルの家へ向かいます!
サムエルに教えてもらったローカルバスのバス停へ移動♪
88番のバス停へ向かいます♪英語で数字を言って伝わらない時は、電卓に打つとスムーズに伝わることがわかりました♪
ちなみに、バスチケットはこんな感じ!
そして、43番のバスに乗り換え!
バスの切符売りに『ミンマンホテル』に行きたいって言ったんですが・・・伝わらずw
近くにいたお姉さんが『連れてってあげるよ!!』と男前発言♪
優しいお姉さんのおかげで、サムエルとの合流場所んび到着しました♪
サムエルの家はめっちゃでかい!!そして、部屋がとても綺麗です♪
昨日の夜から何も食べてなくて、空腹の僕らをサムエルがローカルフードマーケットへ♪
ここで、サムエルの家に昨日から泊まっているセルと合流♪
セルはロシア人で大のバスケット好き♪ソチオリンピックの時にトンネルを作るエンジニアをしてて、ソチに行く為のトンネルは僕が作ったと言ってました!
現在は退職して、アジアを中心にグルグル旅をしているようです♪
セルの旅スタイルはヒッチハイク&カウチサーフィンです♪凄いなーと思いつつ、僕らもヒッチハイク試してみようか検討中ですw
今日は、セルもホーチミン市内に行くということなので3人で観光してきました♪
まず、さっきのバスでホーチミン市内へ移動♪
ホーチミンはバイクの数が凄いです。
いろんなツアー会社に聞いたんですが、クチトンネルツアー(ベトナム戦争時にベトナム軍が使っていたトンネル)は安くて9万ドンくらい掛かって、しかも入場料(3$)は自己負担。
なので、僕らはローカルバスで行くことを考えてます♪
サムエルに『クチトンネル』に行くローカルバスのバス停を聞いていたので移動!
で、料金を聞いた所このローカルバスは1人7000ドンで行けちゃうみたいです♪
かなりお得だったので、ローカルバスで行くことを決定!!
天気予報を見て天気がいい日に行ってきます♪
それから、近くにあった教会へ♪観光スタートです!
キリストが磔られているとこの前に線香・・・これが和洋折衷でしょうかw
教会を見たあと公園を通って、戦争証跡博物館へ
カメラを構えるとみんな笑顔でピース♪前に出てきた男の子が邪魔してますw
戦争証跡博物館に着いたのですが、お昼休みみたいで入れず・・・近くの観光スポットへ行くことにしました!
統一会堂の庭にあった戦車を見てセルが『あれはロシア製の戦車だ!』って言ってた。
日本人が零戦を見て『あっ!?』って思うようにロシア人もそう感じるんだ!と思った。
それから、聖マリア教会へ移動!
僕が写真撮影をしている間にセルとあゆみが2人で遠くへ
それから、セルが『郵便局に行きたい』と言っていたので、隣の中央郵便局へ
僕らは郵便局に入る前に、地元の学生のアンケートに捕まりましたw
英語がわからない僕達にいろいろ別の言い方で教えてくれました♪
そして、書き終わった後にセルフィーw
アンケートを通して、地元の学生と交流するのも新鮮で楽しかった♪
それから郵便局の中へ♪めっちゃ綺麗!!そして、ホーチミンさんが愛されていることがわかりました!
郵便局の隣にあるモニュメントを発見!
すぐに同じポーズw
こうやって遊んでると戦争証跡博物館に入れる時間になってきたので、移動♪
チケットは1人1.5万ドンでした!!安い!!
博物館の周りには当時使われていた、アメリカ産の飛行機や戦車が
博物館に入る前にセルフィーw
博物館に入るまではかなりのハイテンションだったんですが、中で見たベトナム戦争当時の写真や、枯れ葉剤の影響を見ると、凄く切ない気持ちになりました。
ベトナムに着いてから僕らがベトナム戦争に関する博物館に来るのは、今回が3度目です。
1度目はハノイで、2度目はフエで。ちなみにその時のブログはコチラ↓
ベトナム歴史博物館はベトナム史の宝箱だった
南北ベトナムの境界線に行ってきた
ある程度歴史の流れも、その当時の写真も見てきてて。
その当時に、市民が暮らしていたトンネルにも行ってきて。
ベトナム戦争についてわかった気でいたけど、実際の被害を考えた時に、この博物館程、戦争の被害が生々しく伝わる写真を多く掲載している場所はなかったように思う。
この戦争が後世にどれだけの精神的・肉体的影響を与えてきたのか?が明確に感じられた。
まずは、ベトナム戦争時の様子についての写真。
当時使っていた銃と、その銃を使ってベトナム軍の兵士を殺している様子
前日まで夫婦で一緒に屋台をやっていたのに、進撃してきたアメリカ兵に妻を殺された男性(妻は男性の前で横たわっている)
最後にこの写真が僕にとってとても心に残った。。。
この写真の下にはこのように書かれていた。
『僕達は子どもの時に、子どもの立場で戦争の話をした』
『子どもの立場で戦争を理解した』
『子どもの立場で戦争について考えた』
『でも、大人になった時、子どもの時の記憶をなくしてしまった』
ベトナム戦争が行われている時代の日本人の贈り物も飾ってあった。
金子徳好さんが8年間つけ続けたようで、『ゼッケン8年』という本になっている。
アメリカが手強いベトナム軍に対して原子力爆弾の投入を検討していた時、投下に反対し阻止しようとする日本人のポスター
この当時の日本は、東京裁判史観によって変更された教育を受けた人より、大東亜戦争時代アメリカに勝とうとしていた人が多い時代で、発言の勇ましさに、僕は日本の力強さを感じた。
そして、米軍の枯れ葉剤散布による被害についての写真。
僕は子どもの頃、日本でベトちゃん・ドクちゃんのニュースを見たことがあって衝撃を覚えたのを今でも覚えている。
12歳の時に枯れ葉剤を被ってしまった女性の子どもが奇形児に。
枯れ葉剤によって、お腹の中でくっついたまま亡くなった子ども達
枯れ葉剤の影響はベトナム人のみでなく、現地で散布したアメリカ人兵士や現地で戦っていた韓国人など多くの人間に拡がっていた。
戦場時から戻ったあと20種類の薬を服用しなければならなかった兵士
この兵士の子どもにはベトナムで起きた枯れ葉剤が子どもに与える症状を発祥した。
枯れ葉剤を使うことで、人体にどのような影響が出るかわかっていた。(実際アメリカの会社は影響が出ることを認め、アメリカ人には補償を与えている)
それなのに、兵器として実験感覚で使ってしまったことが大きな罪だと思う。
戦争は、確か国際法とかで市民への攻撃は禁止にされていたはずなのに、多くの市民を殺す兵器を使っている。
兵器を使って、多くの市民を虐殺し、生活を打ち壊し、多くの悲しみを生み出し、後世に影響を与える損害を引き起こした。
僕はこの博物館に来て、2つのことを考えた。
1つ目は、障害を持つ人へ『可哀想』という感情を持つことに関して。
枯れ葉剤によって障害を持って産まれた子どもの写真や大人の写真をたくさん見た。
1枚1枚に対して、何度も何度も『可哀想だ』という感情が心の中で産まれた。
でも、この障害を持った人を『可哀想』と思うことは、その人がこれまで生きてきた人生やこれからの人生に、哀れみの目を向け否定してしまっているのでは?と考えるようになった。
どんな状態からでも、人生を楽しむ方法はあって、恐らく楽しむ為に越えなければならないハードルが少し多いだけだと考えようと思った。
だから、可哀想だから支援したり、助けるのではなく、ハードルを乗り越えるのに自分の持っている物が役立てられるから手伝う。そんな気持ちで自分自身生きていきたいと思った。
2つ目は戦争に関して。
今まで戦争で亡くなった人写真などを見て、悲しい気持ちになったり、できることなら助けてやりたいと思っていたけど、この博物館にきて自分の考えはそうではないことに気がついた。
僕は戦争で戦って亡くなった人に関しては、あまり悲しい気持ちにはならない。
戦争を行うということは、そういうことで。
殺されるけど殺している。
拷問されるけど拷問している。
お互いの理念に沿ってしっかり戦っているから、その戦争でどうなってもそれはその人の選択によって産まれた結果なんだと思う。
でも、戦争に巻き込まれた一般市民、戦争の影響が将来まで拡がるような兵器の仕様。この2点に関してはどうしても許せないと思う。
街に対する空爆。村への奇襲による虐殺。勘違いによって射殺される人々。人体の構造にまで影響を与える兵器の使用。
全ての行動が『非人道的』行動だと思う。
戦っているはいえ、絶対に一般の人のは影響を与えないようにする配慮を持つべきだと思う。
過去の経験を変えることはできないから、これから最悪のケース(戦争が起こる)を考えた上で、一般人を巻き込まない方法や、人体の構造にまで影響を与える兵器(枯れ葉剤・原子力爆弾など)を使用するルールをしっかりと定めるべきだと思う。
即興の案としては、
・攻撃してはいけない場所を戦線布告の際に作る
・インターネットの機能を使って戦時中は市民がどこにいるかわかるようにする
・上記のスペースや情報を使った戦略の組み立ては禁止する
など、一定のルールを盛り込んだ新たな戦時法を生み出すべきだと思う。
最後にいろんな考えを産んだり、過去の経験をしっかり振り返られる現状を作ってくれた人に感謝したいと思う。
今まではあまり気づかなかったけど、写真を撮るということは、現場に行って従軍カメラマンとして危険を顧みず、撮影を行った多くの人たちがいたわけだ。
今までは誰が撮影したのかわからないままだったので、気づかなかったがこの写真の裏側には、多くの人が命を掛けて仕事をしていた。
中には亡くなってしまった人もいるだろうし、この体験がトラウマになってしまうこともあるだろうと思う。
この人たちの努力が、現在を生きる僕達が過去を振り返り、過去の体験をこの目に焼き付ける機会を与えてくれていることに感謝です。
ホーチミン1日目は本当に濃い1日になりました。
本日もご愛読ありがとうございました。
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